表と裏

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表と裏

 カレーの匂いが残る部屋。どんな具材の競演も、カレーを入れればなんとか食べられるようになる。ネットで拾った、真しやかな闇鍋情報は正しかった。  空の鍋、使用済みの取り皿、夥しいビール缶……テーブルの周りには、賑やかな笑いが、まだ燻っているようだ。ソファーに横たわる陽斗を横目に、取り皿を重ね、空き缶をゴミ袋に入れていく。  ――ピンポーン  誰だ? 忘れ物は確認した筈だが。ゴミ袋を片手に、インターホンのディスプレイを覗いた。 「どうしたんだよ」  10分ほど前に見送ったばかりの蓮を、戸惑いながらも再び招き入れる。 「悪い。忘れ物……」  赤い頰のまま、歯切れの悪い言い訳を呟いて、そそくさと居間に入っていく。  背中を追うと、彼は友人の寝姿を眺めていた。探し物をするのなら、と淡い間接照明から天井の照明に切り替えようとしたら、軽く視線で制された。 「陽斗は、まだ眠っているのか」 「ああ。久しぶりで疲れたみたいだな」 「お前も、疲れた顔してる」 「ちょっとだけだ。楽しかったよ」  胸の内(こころ)を読まれたくなくて、重ねておいた取り皿をキッチンに運ぶ。 「水、もらっていいか?」 「構わないけど」  『早く探さないのかよ?』――その質問は飲み込んで、カウンターを示した。蓮は大人しくスツールに腰掛ける。 「お前ら、渡米ってさ……」 「ああ。これから荷造りして――」  冷たい水を注いで、カウンター越しにグラスを渡す。受け取った蓮は、酔いのない眼差しを向けてきた。 「嘘だろ」  勘がいいんだ。全く。  あの頃――エースの陽斗と控えの俺。2人の球を受けてきた蓮は、俺達(ピッチャー)の好不調を本人より早く見抜いた。肩や肘に現れた微かな張りも見逃さず、投げたくて吐いた嘘も、彼には通用しなかった。 「お前、何考えてるんだ? この鍋パーティー、仕掛けたのはお前だろ」  キッチンの隅に立て掛けてあった折りたたみ式のスツールを開き、腰を下ろす。立ち話は、膝に堪える。 「陽斗が、皆に会いたがっていたんだ」 「なんで、このタイミングで?」  報道に入り混じる真実とゴシップ。それから、表に出ない本当のこと。コイツは、何をどこまで知っているのだろう。 「渡米は本当だ。お前を信用して話すけど、肘の手術を受けに行く」 「2年前の事故……相当悪いのか」 「お前のことだから、察していると思うけど――退団は事実上の解雇だ。球団は、FA権を取得するまで待ってくれた」  新人王、奪三振王に最高防御率、最多勝利投手、ベストナイン賞……投手が獲り得る賞を軒並み総ナメにして、あとは沢村賞だけ。今年こそ確実だと囁かれた2年前の秋、陽斗は交通事故を起こした。  首都高を飛ばして、中央分離帯に接触、コントロールを失ったまま、トンネルの壁に激突。右足の骨折と右肘の複雑骨折に、頭部の打撲。一命を取り留めたものの、選手生命の終わりが見えた瞬間だった。  事故の翌(シーズン)は、手術明けでリハビリ生活。2軍での登板すらなかった。その翌年は、減額制限を越えた年俸の250%ダウンを提示されたが、解雇せずに残してくれた。陽斗のキャリアを考慮しても、異例の待遇だった。 「水くさいだろ。皆、陽斗の挑戦を心から応援しているのに」  地元の星――仲間達を含めた日本中が、ずっと陽斗を崇拝してきた。 『陽斗なら、出来る筈』 『陽斗だから、出来て当然だろう』 『出来なきゃ、陽斗じゃないよな』  等身大のアイツを遥かに凌ぐ期待を重ね合わせて、勝手に理想化している。結果を残せば残す程、虚像と現実との乖離に苦しんできた。そんな姿を見てきたのは俺だけだ。 「手術が成功すれば、嘘も真になる。そのつもりで、腹括ったんだ」  招待状の文言は、俺に任されていた。仲間の夢を壊さず、陽斗のプライドに配慮した、精一杯の作り話(カバーストーリー)を用意したつもりだ。 「それも――嘘だよな、裕志」  蓮は声を落とした。瞳を上げると、待ち構えていた眼差しに捕まる。グラスが白く曇っていた。
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