新たな日常

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新たな日常

 すっきりと晴れた水曜日の昼下がり。なんとなしに点けたテレビから、不快なワードが飛び出してきた。 「18歳でプロ作家デビューを果たしたスーパーJKの素顔とは!?」  僕は洗濯物を畳む手を止め、見たくもない画面に釘付けになる。どこか現実味のない甲高い声で、ナレーションはこう宣う。 「今の時代、誰でも小説家になれちゃうんですっ! ここ数年で、web作家の数は続々と増えており――」 「フンッ」という、冷めた笑いが鼻を抜けた。無意識だった。  正しく努力さえすれば、誰でも小説家になれる。そう思っていた時期もあった。中学から高校にかけては、特に。母親や国語教師に文章をべた褒めされたあの日から、自分には頭ひとつ抜けた才能があるとどこかで信じてやってきた。しかし大学3年にもなり、就職活動を目前にした今となっては、褒められるどころか浮わついた夢をさっさと捨て欲しいと思われ始めていた。  僕はキンキン声のやかましいナレーションに耐えかねて、チャンネルを堅苦しいニュース番組に変えた。「工業地帯で火災が起きた」「自営スーパーで女性が従業員の男に刺された」「今日の感染者数は過去最高だった」そんなようなものばかりだ。毎日、毎日、面白くもなんともない。  仕方なくテレビを消し、寝不足の充血した目玉を畳み掛けの洗濯物に向けた。白地のTシャツには、昨日の朝こぼした醤油のシミが落とし切れずに残っている。それに気が付いた瞬間、唐突に何もかも放り出したくなって、僕は狭苦しいアパートの部屋を出た。  抜けるような2月の青空の下を何も考えずにずんずんと歩き、やがて視界の開けた河川敷にたどり着いた。  大学生活スタートと共に、この町に引っ越してきて早3年。就活が始まるまでに小説家としての芽が出なければ諦めるという条件でやってきたが、芽が出るどころか種すらまともに蒔けていない始末だ。新型ウイルスとやらのおかげで授業がことごとく休講になり、執筆の時間は増えたものの、だからといって何か素晴らしい物語が書けるわけでもなく、これから受け入れなければならない現実から目を逸らそうと必死になっている。  両親は口癖のようによく言ったものだ。 ――専門学校? それよりちゃんとした大学の方が、ダメだった時に立て直せるでしょ。夢を持つのは構わないけど、小説家は現実的に考えて無理があるんじゃない? ――いいか陸。誰にでも書ける学校の作文とは訳が違うぞ。儲からなかったら意味がない。所詮、商売なんだからな。悪いことは言わん。ちゃんとした企業に就職しとけ。でないと、駄目だった時に人生詰むぞ。  親の言葉は、最も身近なところに存在する呪いだと耳にする。物理的に距離を取っても、言葉は常に頭の中にあって、ことあるごとにフラッシュバックする。それは正論であればある程、絶大な効果を発揮し、その後の人生をも左右する。  僕は川の近くまで土手を下りていき、地べたに腰を下ろした。  言いたいことはわかる。わかるが、納得はいかない。うまく言えないが、そうじゃない。  思い出すとどうしようもなくむしゃくしゃしてきて、僕は気を紛らわそうとポケットからスマホを取り出し、大雑把に画面をスクロールした。  だが5分と経たないうちに、SNSのタイムラインに流れてきた投稿に目を奪われ、思わず指を止めた。 『皆さんにちょっと厳しいこと言いますね。本気でプロを目指すのであれば、皆が読みたいと思うものを自分の書きたいものにできる作家になってください。でなければ生き残れません』  またか。  もうそれくらいにしか感じられなくなっていた。  僕は口の中のガムを強く噛み締めた。いつの間にか味も匂いもなくなって、ただストレスを受け止めるだけの物体に成り下がったガムだ。 『せっかく時間を割いて読んで貰ったのにつまらないと言われてしまったら、私なら謝罪しますけど。というか、それが常識だと思っています。読者様はれっきとした被害者なので』  心はすっかり冷めているにも拘わらず、両目はしっかりと文字を追い、言葉は頭の中で何度も何度も反響してしまう。そして、余計なことまで思い出す。 『あなたの作品を読ませていただきました。文章は上手いけど、web向けではないですね。かといって、公募に出して賞を取れる程秀逸というわけでもないです。あと、あなたの自粛生活を描いたところで、誰もおもしろがりません』  気分転換のために外に出たというのに、スマホ画面をスクロールする指は何かに取り憑かれたかのように動き続ける。 『炎上覚悟で言うけどさ、最近ブクマ数3桁もいかない底辺作家の癖に人様にアドバイスできると思ってるヤツ多すぎ。ちゃんと実績を積んで、賞でも取って出直してきて欲しい。何の説得力もない。ただただ邪魔』 『まったく、創作界隈はよく燃えるねwww燃やす暇があるなら創作しろよwww』  僕は最後に見た投稿に反射的に「いいね」ボタンを押してから、スイカの種を飛ばす要領で、用済みになったガムを勢いよく川の中へ吹き飛ばした。 「お前、なんてことしやがる」  誰かに見られたか、と思って咄嗟に辺りを見回した。川にゴミを吐き捨てたのだから、怒られるのは当然だ。  しかし――  どこを見回しても人の姿は見当たらない。少なくとも、生きた人間の姿は…… 「こっちだ」  川の中から、再び声が聞こえた。恐る恐る目を向けると、半透明の男が水に浸かっていた。
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