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「本当にありがとうございました、サー・ダグボルト。レンドルも貴方に殺されるのならば、本望だった事でしょう」  ハイント村の村長アイゼルクは、そう言ってぺこぺこと頭を下げる。 「あいつに武器の使い方を教えてやったのが仇になったな。まさか一人で魔女に戦いを挑むとは」  ゆったりとした衣服に着替えたダグボルトは、フォークでテーブルの上の夕食をつつきながら答える。醜く腫れ上がった鼻はガーゼで覆っている。  ハイント村唯一の宿『公魚亭』。  一階の酒場は薄暗くがらんとしている。客はダグボルトだけだ。  放浪の身のダグボルトがここに滞在して三週間になる。  アイゼルクに雇われ、村を襲う異端を刈る一方、村人達に異端や野盗から身を守るための戦い方を指南していた。  相手の盾を使用不能にしてから、攻撃を加える戦法をレンドルに教えたのは他ならぬ自分であったことを、ダグボルトは今更ながら思い出す。 「一年前の話になりますが、北の城に棲む魔女が放った異端に、レンドルは婚約者を浚われているのです。あれからずっと復讐の機会を窺っていたのでしょう」 「…………」 「しかし、あの魔女を憎む気持ちは我々も同じです! 魔女が放った異端に抵抗する者は殺され、そうでない者は浚われて二度と戻ってはこない。おそらくレンドルのように、魔女の手によって新たな異端に変えられてしまったのでしょう。どなたかがあの魔女を殺してくれれば! そうすれば我々も枕を高くして眠れるのに……」  アイゼルクはもじゃもじゃした真っ白な眉毛の下から、訴えるような眼差しでダグボルトを見つめる。  だがダグボルトは冷たくかぶりを振る。 「俺に魔女を殺す力は無い。魔女を殺せるのは聖女だけだ。だがその聖女はとうの昔に死んでしまった。もはや何者も魔女を止めることは出来ない。出来るのはせいぜい、魔女の下僕の異端を刈ることだけだ」  二人の間に流れる気まずい沈黙。  それを見かねたのか、宿の女将が酒瓶を持って二人の前にやって来た。 「サー・ダグボルト。食事が進んでいないようですけど、こちらのワインなどはいかがですか? 二十年ものの赤ワインで、うちの宿の秘蔵の一品なんですよ」  そう言って女将はワインをグラスに注ごうとする。しかしダグボルトは手を振って制止させる。 「いや、いい。俺は酒は飲まない」  またも気まずい沈黙。  今度はアイゼルクが慌てて取り繕おうとする。 「そ、そう言えばサー・ダグボルトは聖天教会のご出身でしたな。教会の方々は皆、お酒など必要としない禁欲的な生活を送っていたのでしょう」 「禁欲的?」  ダグボルトの右目がキラリと光る。そこには静かな怒りがあった。 「違うな。下の者はともかく、上層部の多くは酒色に溺れ己の地位に驕っていた。だからこそ聖女を魔女と見誤り処刑しちまったんだ。その結果がこれだよ。教会も国家も全てが魔女どもに滅ぼされ、人々が怯えて暮らす秩序無き狂気の世界だ。俺が犯した最大の誤ちは、そんな教会に最後まで忠誠を尽くしちまった事だ。今こうして世界を放浪して、異端を刈っているのは俺なりの罪滅ぼしだ。……だがそれも結局は、空しい自己満足なのかも知れんがな」  気の進まない夕食を終えたダグボルトは、『公魚亭』の二階に与えられた部屋にやって来た。寝室のベッドに力無く身を投げる。重い巨体に木製のベッドがギシリと揺らぐ。  ダグボルトは上着の下からロケット型のペンダントを取り出す。ロケットを開くと、そこには十代後半の美しい少女の肖像画。  巻き毛の金髪、白く透き通るような肌、整った卵型の顔立ち。それはダグボルトの古い友人であり、彼が最も尊敬する人物であった。 「セオドラ……」  肖像画の少女は優しく微笑みかけている。ダグボルトも思わず目を細める。 「お前が生きてさえいれば、こんな世界は生まれなかったのにな……」 ――遡る事、十余年。  聖天教会の新教皇に就任したヴィクター・クレメンダールは民衆に説いた。  精神的に堕落した女は悪魔に誘惑され、やがては恐るべき魔女となる。  疫病や天災などの災いは全て魔女の手によって引き起こされたものなのだ。  愛する人々を守るために魔女を滅ぼせ、と。  民衆の魔女に対する恐怖が頂点に達したところで、クレメンダールは魔女を狩るための専門機関、審問騎士団を創設する。  しかも彼は世界各国の指導者達を説得して、審問騎士団に無制限の捜査権限と処刑執行権を与える事を認めさせたのであった。  かくして世界中に波紋のように魔女狩りの波が広がっていく。  審問騎士団の団員はありとあらゆる場所に派遣され、魔女として告発された女を捕らえて尋問した。そして執拗な尋問の末に魔女だという自白が得られれば容赦無く火刑に処した。  しかし審問騎士団の活動は徐々にエスカレートしていく。  尋問はやがて拷問となり、告発を受けた者が拷問の果てにさらに別の者を告発するなど、歯止めが利かない状況となっていた。  審問騎士であったダグボルトが活動に疑問を持つようになったのもその頃だ。  そして惨劇が起きる。  セオドラ・エルロンデ――聖天教会でただ一人『癒しの秘蹟』を使え、聖女と称されていた彼女は審問騎士団の活動初期から魔女狩りに反対し、度々クレメンダール教皇に意見書を送っていた。  しかしついにはセオドラ自身が、何者かによって魔女として告発されてしまったのだ。  一介のシスターであるにも関わらず、『癒しの秘蹟』を使う事の出来たセオドラは、教会上層部の人間にとっては羨望と嫉妬の的であった。  やがて嫉妬は憎しみに変わり、セオドラを抹殺する口実を欲していたのだろう。  捕らえられてから僅か二日で彼女は火刑に処された。  だがセオドラの死を引き金とするように、世界各地に魔女の軍勢が現れる。  それも濡れ衣によって処刑された無実の女達とは異なり、強大な魔力を持った本物の魔女達だ。  魔女の軍勢の襲撃を受けた聖天教会には抗うすべなど無かった。  戦いのさなか、聖職者達は幾度となく聖天の女神ミュレイアに助力を乞うた。しかし聞き遂げられるはずもなかった。  魔女を殺す力を持つ唯一の存在であり、女神の使徒でもある聖女を殺したのは他ならぬ彼ら自身なのだから。  魔女の軍勢は、その後もたがが外れたように思うままに暴れ回り、大陸中の人々を殺め、あらゆる国々を滅ぼした。   『黒の災禍』――惨劇を生き延びた人々はこの大災乱(アポカリプト)をそう呼んだ。  ダグボルトの脳裏に、磔にされ炎に包まれるセオドラの姿が映る。  あの時、どんな事をしてでも処刑を止めていれば……。  二人で一緒に逃げてさえいれば……。  だが、あの時の俺は決断を下すには若すぎた……。  いつの間にかダグボルトは眠ってしまっていた。  窓から差す太陽の光で目を覚ました時には、すでに正午を回っていた。このところ続く異端との戦いで、大分疲れが溜まっていたようだ。  ベッドから体を起こすと、サイドテーブルにカラフルな砂糖菓子の積まれたお皿と手紙が置かれている。 『昨日はお疲れのせいか、あまり食が進んでいないように見えました。夜食になるかと甘いお菓子をお持ちしましたが、眠ってらっしゃったのでここに置いていきます。甘いものを食べると疲れが取れますよ。これを食べて元気を出して下さい』  宿の女将からの労わりに満ちた手紙を読んで、ダグボルトの心に温かいものが広がる。  皿の上の砂糖菓子を一つ頬張ると、甘みが全身に染み渡る。  ダグボルトは戸棚からハンカチを取り出すと、残りの砂糖菓子を包んでポケットに突っ込んだ。 (今日はいい天気だし、気分転換に少し散歩するのも悪くないな。こいつはどこかで休憩がてら食べるとしよう)  ダグボルトは宿の裏の井戸で顔を洗う。冬の息吹が頬を撫で、冷たい水がピリッと気を引き締める。  それから村の中を当てもなくぶらぶらと歩く。すると数人の村人が道の角で何やら話し込んでいるのに気づく。皆、一様に暗い顔をしている。  嫌な予感がしたダグボルトは、近くにいた中年の村人に尋ねる。 「どうした? 何かあったのか?」 「ダグボルトの旦那! じ、実は今朝、レンドルの親父さんが息子の仇を討つって、一人で北の城に行っちまったんですよ。あっしらは止めたんですけど、どうしても聞かなくて……」  それを聞いてダグボルトは、思わず村人の肩をぎゅっと掴む。そして一息つくとこう言った。 「悪いが馬小屋までひとっ走りして、馬丁に頼んで俺の馬に鞍をつけさせておいてくれ。今から後を追えばレンドルの父親が城に入る前に止められるかもしれん」  北の城は、ハイント村から馬を飛ばして半日ほどの場所にあった。  ダグボルトが城にたどり着いた時には、すでに日は落ちかけ、夕暮れの空は赤々と染め上げられている。  かつてマインツ男爵がこの地を治めていた頃は、城の周りは実り豊かな畑が連なっていた。  だが今は醜く捻じれた灌木と、赤黒い砂に覆われた無人の荒野となっている。  古びた城壁前の木に馬が繋がれているのを見て、ダグボルトは胃がぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。  乗ってきた黒馬を下り、近くの木に手綱を繋ぐと城門からそっと中をのぞく。  そこにあるのは黒々とした闇。耳が痛くなるほどの静寂。  レンドルの父親はすでに城の中に入ってしまったようだ。連れ帰るには自分も中に入るしかない。  鎧を身に着けている暇は無かったが、腰のベルトにスレッジハンマーを吊っている。魔女にこの武器が通じるとは思えないが、下僕の異端との戦いには役に立つだろう。  しかし……。  ダグボルトは無意識のうちに顔の火傷を何度も指でなぞる。その手はかすかに震えている。  聖天教会の審問騎士だった頃、魔女の一人と戦った時につけられた傷。  今も悪夢にうなされるほどの忌まわしき思い出。  いっそのこと諦めて引き返すか、それとも……。  ダグボルトは静かに目を閉じ、心の中から少しずつ恐怖を締め出す。 (聖天の女神ミュレイアよ。『真なる聖女』セオドラよ。どうかご加護を。この呪われた世界をまだ完全に見放していなければだが)  スレッジハンマーを腰のベルトから引き抜き、短く祈りを捧げる。  そして目を開くと、覚悟を決めて城の中へと入っていった。  城の中はマインツ男爵の一族が生活していた時とさして変化はないようだが、窓が分厚いカーテンで覆われて、外の光がほとんど漏れないようになっている。  魔女は吸血鬼のように太陽の光で息絶えることはないが、魔力が衰えるため日中に外に出る事を好まない。  日が完全に落ちる前に、レンドルの父親を見つけ出し脱出出来ればいいのだが。  ダグボルトは暗闇に目を慣らすと、出来るだけ足音を立てないようにひとつひとつ部屋を見て回る。  大広間、食堂、書斎、武器庫。  どの部屋もからっぽで人気は無い。  共通しているのは、壁にクレヨンで大きく描かれた幼稚な落書き。  椅子や棚の上に所狭しと飾られている、どこからか集められた可愛らしい人形やぬいぐるみの数々。  この城に棲む魔女の趣味なのだろう。  一階の部屋を一通り調べたがレンドルの父親は見つからない。後は二階か。  ダグボルトは玄関ホールにある二階への階段に足をかける。  その瞬間、どこからか感じる殺気――反射的にダグボルトは背後に転がって身をかわす。  同時に頭上から一体の『蛇の異端』が、先ほどまでダグボルトがいた場所に落ちてくる。  頭は一つでオレンジ色の鱗に覆われた身体は小柄で痩せていてる。異端に変生させられる前は子供だったのだろうか。しかしダグボルトに考えている暇は無い。  奇襲に失敗した『蛇の異端』が体勢を整える前に、ダグボルトは玄関ホールに敷かれた赤絨毯の端を掴み、バッと放り投げる。  被せられた赤絨毯の下から這い出ようとする『蛇の異端』。その身体に無慈悲なスレッジハンマーの一撃。  ボグッという鈍い音。  絨毯のせいでハンマーの衝撃は弱まるが、その分打撃音も小さい。何度かスレッジハンマーを振り下ろすと、絨毯の下の身体は完全に動かなくなった。  ダグボルトは手の甲を口に当て、静かに息を整える。  絨毯を捲って死体を確認する気にはなれない。相手がおそらく子供であろうことを考えれば特にだ。 (出来るだけ音をたてないように戦ったがどうだろう? 魔女に気づかれなかった事を祈るしかない……)  しかしその考えは無常にも打ち砕かれる。 「クスクスクス」  あどけない笑い声。  ダグボルトの背筋に冷たいものが走る。  振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。  年は七、八歳ほど。  艶やかな長い金髪を横にロールしたツインテールにまとめている。  肌は大理石のように白く、あどけなく穢れを知らぬ顔立ち。短めの水色のワンピースを着て、ほっとりとした足に白のニーソックス。  屋内だというのに、手には大きな日傘を持っている。 「『金蛇の君(アンフィスバエナ)』のおうちに遊びにきたのはだあれ?」  鈴のような心地よい音色の声。  『金蛇の君』はダグボルトの顔を見てにっこりと笑う。  透き通るようなブルーの瞳に見つめられてダグボルトの全身から力が抜ける。 (こいつには人間に対する悪意も憎悪も全く無い。純粋で無邪気な子供の目。こいつにとって人間など床を這う一匹の蟻みたいなもんだ。機嫌が良ければ放っておくが、虫の居所が悪ければ殺す。ただそれだけの存在なんだ)  かつて魔女と戦った時の恐怖が再び蘇り、無意識のうちにダグボルトは顔の火傷を何度も指でなぞる。その手ははっきりと震えている。 「あなた、『金蛇の君』のお友達になりにきたの?」  『金蛇の君』のツインテールの髪がそれぞれ巨大な金色の大蛇に姿を変えた。『金蛇の君』 アンフィスバエナ は右の髪の大蛇を優しく撫でる。大蛇は気持ちよさそうに舌をチロチロと躍らせる。 「こっちのへびさんにかまれた子は『金蛇の君』とお友達になれるわ」  今度は左の髪の大蛇を優しく撫でる。 「でもこっちのへびさんにかまれた子はしんぞうが止まっちゃうの。ずっと、ずっと、ずーーーーっとね」  そして『金蛇の君』はダグボルトの目を見据え、こう告げる。 「ねえ、あなたはどっちのへびさんにかまれたい?」  ビロードのように滑らかで柔らかで、それでいて毒の含まれた言葉。  ダグボルトは震える手で右の蛇を指さす。 (こうなったらレンドルの父親なんかどうでもいい。今はまず、俺自身が逃げ延びる事を考えるんだ……)  恐怖を押さえ込み、思考をフル回転させる。  幸いここは玄関ホール。出口は目の前だ。  しかしそれは『金蛇の君』の後ろにある。脇をすり抜けるには、僅かな隙をつくしかない。  後ろ手に隠し持ったスレッジハンマーは、『金蛇の君』の視界には入っていない。これを顔に叩きつけてやれば、隙が生まれるかもしれない。  『金蛇の君』は一歩一歩と近づいてくる。  早鐘のように鳴る心臓。  スレッジハンマーを持つ手が汗で滑りそうになる。  あと一歩。そう、あと一歩近づいてこい……。  しかし不意に『金蛇の君』は足を止める。そして可愛らしい仕草で人差し指を横に振る。 「チッチッチッ。『金蛇の君』はお利口さんだから、嘘つきさんには騙されないわ。あなた、本当はお友達になんかなりたくないんでしょう?」 「くそッ!!」  ダグボルトは隠し持っていたスレッジハンマーを振り上げ、『金蛇の君』に飛び掛からんとする。だが鱗に覆われた太い腕が、背後からダグボルトの腕を掴みねじり上げる。  空しく地面に落ちるスレッジハンマー。  気が付けばダグボルトの周囲に十体ほどの『蛇の異端』がいた。鱗が赤いもの、緑色のもの、首が三本のもの、腕が四本あるもの……。  数の暴力でダグボルトは地面に押し倒される。両腕を押さえつけられ完全に身動きが取れない。 「嘘つきさんにはおしおきが必要ね」  『金蛇の君』の手に小さな鋏が現れたのを見て、ダグボルトの顔がさっと青ざめる。 「嘘をつくわる~い舌は切っちゃいましょうね~」  ダグボルトは口を塞ぎ歯を食いしばるが、『蛇の異端』どもの手によって強引にこじ開けられる。  カシャン。カシャン。  鋏の音が空ろに響く。  ダグボルトを見下ろす『金蛇の君』は、ままごと遊びで母親を演じているかのように優しく微笑みかける。 「だいじょうぶ。ほ~ら、いたくない。いたくないですよ~」  引っ張り出された舌に、冷たい鋏の刃が押し当てられる。  ダグボルトは無意識のうちに目を閉じる。  ブツン。  肉が断たれる鈍い音。  ……だが痛みは無い。  ダグボルトが目を開くと、『金蛇の君』の腹から長剣の刃が突き出していた。  いつの間にか『金蛇の君』の背後に、四十代後半ぐらいの白髪交じりの金髪の男が立っている。レンドルの父親に違いない。 「息子の仇だ!! 魔女め、思い知れッ!!」  レンドルの父親は吐き捨てるように言った。  ゆっくりと振り返る『金蛇の君』。  無表情のままてゆっくりと小首をかしげる。 「あなたはだあれ?」  『金蛇の君』の体に突きたてられていた刃がボロボロと錆びていく。  やがて長剣はポキリと折れ地面に落ちる。破れたドレスの隙間から覗く『金蛇の君』の肌は白く滑らかで、傷一つ残っていない。  あまりのショックにレンドルの父親は言葉を失う。 「あなた、『金蛇の君』のお友達になりにきたの?」 「あ…………ああ…………」 「……聞くまでもないわ。あなた、つまんない」  『金蛇の君』の髪の二匹の大蛇が、レンドルの父親に喰らいつく。一匹は頭。もう一匹は足に。  レンドルの父親の体は軽々と宙に持ち上げられ、雑巾のように捩じられる。  体中の骨が砕ける音。吐き気を催すほどの凄まじい絶叫。  『蛇の異端』に両腕を押さえつけられていなければ、ダグボルトも耳を塞いでいただろう。  何度も捩じられるうちにレンドルの父親の腹は裂け、上半身と下半身が真っ二つになる。トマトジュースのようにどろりとした赤い血と臓物が地面に降り注ぐ。  『金蛇の君』は澄ました顔で日傘を差して、汚物で体が汚れるのを防ぐ。  ダグボルトは降り注ぐ血と臓物に塗れながらも、右腕を押さえる力が緩んでいるのを感じた。  『蛇の異端』どもの注意が逸れている今がチャンスだ。  床に落ちているスレッジハンマーを足で蹴って滑らせると、右腕を振りほどいてキャッチする。間髪入れず、左腕を押さえている『蛇の異端』の脳天にスレッジハンマーを叩きこむ。  ダグボルトが立ち上がると同時に『金蛇の君』が振り返った。  交錯する二人の視線。  次の瞬間、ダグボルトはくるりと後ろを向いて城の奥に走りだした。  タックルを仕掛けてくる『蛇の異端』の腕を重いブーツで踏みつけ、一度も振り返ることなく走り去る。  ダグボルトが城の奥に消えると、『金蛇の君』はクスクスと笑いだす。 「ふうん。今度はかくれんぼがしたいの? おもしろいわね。いいわ。たっぷり遊びましょう」  ダグボルトは走った。走り続けた。  走り続けながらも、頭の中で必死に思考を組み立てていく。 (さっき一階を調べた限りでは裏口は一か所だけ。しかも板で厳重に塞がれていた。あれを剥がすには時間がかかる。それに魔女も、俺があそこに逃げるだろうと予測してるはずだ。どうすればいい? ……一つだけ可能性があれば抜け道だ。大抵こういう城は、敵に攻め落とされそうになった時に、城主が脱出するための抜け道が作られてるものだ。そいつを見つけられれば……)  ダグボルトは迷う事無く書斎へとやって来た。一番奥の本棚を横にスライドさせると、そこには南京錠でロックされた分厚い鉄の扉があった。  先ほど一階を調べて回った時、すでにこの隠し扉の存在には気づいていた。しかし鍵を破壊する際に大きな音が出るリスクを考え開けずにおいたのだ。  だが今はそんな事を気にする必要はない。スレッジハンマーを古びた南京錠に何度も叩きつけ破壊する。 (抜け道の可能性があるとすればここしかない。ここに賭けるしか!!)  ダグボルトは祈るような気持ちで扉を開け、勢いよく部屋に踏み込む。  しかしそれはあまりにも慎重さを欠いた行動だった。  踏み込んだ場所に床が無い事に気づいた時には、ダグボルトの身体はすでに宙を舞っていた。 (しまった――)  そしてダグボルトは、なすすべなく奈落の底へと落ちて行った。
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