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 決闘場に上がる『石動の皇』は万雷の拍手で迎え入れられた。  一方、『黒獅子姫』が決闘場に上がると凄まじいブーイングを浴びせられる。  さらには観客席からは野菜屑や卵などが投げつけられる。幸い、観客席からは距離があるため決闘場には届かない。 (完全にアウェーというわけじゃな)  『黒獅子姫』は軽くため息をつく。『石動の皇』が片手を上げると、観客はぴたりと静まった。 「お久しぶりです、『黒獅子姫』。あなたとこうして、一対一で戦える日が来るとは思いませんでしたよ」 「わしもじゃ、『石動の皇』よ。じゃが正直おぬしは戦いたくないわい。今からでもおとなしく、わしの魔力を返してくれんかのう?」  『石動の皇』は静かに微笑んだ。そして首を横に振る。 「でしたら僕に勝つ事です。それ以外に方法はありませんよ」 「やるしかないんじゃな」 「ええ」  『黒獅子姫』の隣に黒き獅子が現れる。  獅子は漆黒の奔流となり、『黒獅子姫』の身体に絡み付く。  獅子の顔を象った漆黒のラウンドシールド、長い漆黒のランス(馬上槍)、流麗な漆黒の鎧。『黒獅子姫』は瞬時に戦闘形態となった。  あらゆる武器を使いこなす『黒獅子姫』だが、ランスはその中でも最も得意な武器であった。つまりそれだけ本気という事である。  『石動の皇』は左胸に手を当てる。  胸の傷が疼く感覚。全身が魔力に包まれ淡い輝きを放つ。  純白のプレートメイルを身に着けた『石動の皇』の身体の上に、魔力で生み出された武具が具象化する。全身を隙間なく覆う巨大な石鎧、そして巨大な石のグレートソード(大型の両手剣)。 ――これが『石動の皇』の能力、『石動(いするぎ)の闘器』だ。 (『石動の闘器』……。身体の動きを止めた時に発動する『絶対防御』は、魔力を帯びた攻撃すら全く通さない完全無敵の状態を作り出す。……じゃが、その技には大きな弱点がある――)  『黒獅子姫』は床を滑るような動きで『石動の皇』に突進する。  その軌道を読んで振り下ろされるグレートソード。決闘場の石畳が砕け、欠片が雪のように舞い散る。 (――それは『絶対防御』が発動し続ける間は、魔力を消費し続けるという事。魔力が尽きれば、もはや『絶対防御』は働かない!)  『黒獅子姫』は大きく跳躍して攻撃を回避していた。  上空からきりもみ回転しながら落下し、ランスを『石動の皇』の石鎧の兜に突きたてる。  パシッ。  石鎧の全身を『絶対防御』の魔力光が走る。  攻撃を弾かれ地面に降り立った『黒獅子姫』は、流れるような動作で『石動の皇』の背中にランスの連続突きを浴びせる。  パシッ、パシッ、パシッ、パシッ。  ランスが当たる度に『絶対防御』の魔力光が煌めく (これは、まさか!)  『黒獅子姫』は何かに気づき、一瞬手を止める。  そこをついて振り向きざまに横薙ぎの斬撃を放つ『石動の皇』。  ラウンドシールドでまともに防いだ『黒獅子姫』は衝撃で十ギットほど後退させられ、決闘場の端ギリギリで踏みとどまる。 「……腕を上げたのう、『石動の皇』。まさか攻撃が命中する瞬間だけ『絶対防御』を発動させるとは。じゃが確かにそれなら、魔力の消費を最小限に抑えることが出来るわけじゃ」  敵の攻撃を完全に読み、攻撃の当たる瞬間だけ全身の動きを静止させる。  それは並大抵の事ではない。  修練に修練を重ね、敵の動きを見極めるレベルにまで達した『石動の皇』だからこそ可能なのだ。 「お褒めいただいて光栄です、『黒獅子姫』」  石鎧の中からくぐもった声が答える。  ハイレベルな戦いに観客席が大歓声に沸く。  もはや観客達は『黒獅子姫』への敵意など忘れ、眼前の熱い戦いに意識を集中していた。    **********  ダグボルトは道を開けろと叫びながら、ぎっちりと詰まった観客の間を強引に抜けようとしていた。観客席は今までに見た事もないほど多くの観客で埋まっている。グリフォンズロックのほぼ全ての住人が集まっているのではないだろうか。 「戦いを止めろ、『黒獅子姫』!! 魔女はもう一人いるんだ!! 二対一じゃ勝ち目がないぞ!! 早く逃げろッ!!」  ようやく一番前の観客席にたどり着いたダグボルトは必死に叫ぶ。しかし周りの歓声にかき消され、決戦場には届かない。  手前の手すりから下を見ると十ギット程の高さがある。さすがに飛び降りるのは不可能だ。  ロープのようなものがあれば降りられるかも知れないが、下には警備兵が何人もいる。警備を掻い潜って決闘場にたどり着くのは至難の技だろう。 (とにかくもっとあいつに近づける場所があれば……。どこかにないか、そんな場所が……)  ダグボルトは手すりから身を乗り出し、キョロキョロと辺りを見回す。視線がある一ヶ所で止まった。観客席の少し下にある警備兵詰所の窓。そこで何かが光るのが見える。 (あれは……バリスタ!?) 「それでは私が仕事をする間、邪魔が入らないように外で見張っていてくださるかしら?」 「かしこまりました……『緋蠍妃』様……」  緋色のローブを着たイェルクが虚ろな声で答える。  彼の周りには切り刻まれた警備兵の死体。詰所で休憩していた警備兵は皆、イェルクの手によって殺されていた。  イェルクが詰所から出て行くと、『緋蠍妃』ひとりだけが残される。  『緋蠍妃』は豊満な身体にぴったりとした黒革のレザースーツ、ヒールの高いロングブーツを装備している。長い緋色の髪は動きやすいように頭の上で結っている。  窓際には組み立てたばかりの設置式弩砲――バリスタが置かれている。  太い矢の先には鏃(やじり)の代わりに空の毒嚢がはめ込まれている。  『緋蠍妃』は窓から決闘場を見る。そこでは『石動の皇』と『黒獅子姫』が凄まじい攻防を繰り広げている。 「ごめんなさいね、『石動の皇』。あなたが勝ってくれるのが一番いいのですけど、そんな分の悪い賭けに乗るわけには参りませんの」  『緋蠍妃』は矢の先の空の毒嚢を手に取った。魔力で創りだした特別な代物だ。 「問題は『黒獅子姫』を殺してはいけないという事ですわね。『真なる魔女』が死んでしまえば、私も魔力を失ってしまいますもの。死なない程度の毒で、生け捕りに出来るくらい弱らせなければいけませんわ……」  『緋蠍妃』はぶつぶつと呟きながら、しばし考え込む。 「しかしここはあえて毒濃度最大ですわ! 普通の魔女なら即死レベルですけど、『真なる魔女』ならこのくらいは耐えられるはずですわ」  レザースーツの大きく開いた背中から長い蠍の尾が現れる。  『緋蠍妃』は意識を集中させると、毒嚢に細い尾針を打ち込み毒液を注ぎ込む。毒嚢が満杯になると再び矢の先にはめ込んだ。  毒嚢は着弾すると中の毒液を撒き散らす。そして瞬時に気化し、大気中に大量の毒ガスを発生させる。 ――『緋蠍妃』お手製の『毒榴弾』というわけだ。  『緋蠍妃』はバリスタを構え、決闘場の中心に狙いを定める。 「濃度最大の毒ガスですから、決闘場はおろか観客席まで巻き込むはず。観客はほぼ全員死んでしまいますわね。でも仕方ないですわ、このくらいの犠牲は。『黒獅子姫』を捕まえるためですもの」  そう呟くと『緋蠍妃』はクスクスと笑った。 「それだと『石動の皇』も死ぬんじゃないか?」 「そうなりますわね。タイミングよく『絶対防御』が働いていれば助かるかもしれませんけど……」  そこで『緋蠍妃』は背後の声に気づいて振り返る。  詰所の入口にダグボルトがいた。  黒の訓練着、スレッジハンマーとバックラーという軽装備だ。闘技場からの脱走を成功させるために重い鎧などは置いてきていたのだ。 「お前がリーシャを『異端』に変えた魔女だな」  ダグボルトは言った。  その声には静かな怒りがあった。 「クスクス。貴方がリーシャの言っていた『黒獅子姫』のスパイでしたのね、サー・ダグボルト。貴方の剣闘士としての戦いぶりは実に見事でしたわ」  ダグボルトは何も答えず、詰所の中に足を踏み入れた。 「その様子だと私のかわいいリーシャは倒されたみたいですわね」 「ああ。それとここの入口にいた奴も殺しておいてやったぞ」  ダグボルトはイェルクの血に塗れたスレッジハンマーを、『緋蠍妃』に突きつける。 「それからお前も殺す」  一瞬の沈黙。  『緋蠍妃』は堪えきれずに噴き出した。 「プフッ! クスクスクスクス。あなた、大事な事に気づいていませんわよ。仕方がないから私が教えてさしあげますわ。クスクス。人間に魔女は殺せませんのよ」  ダグボルトは目を閉じると、スレッジハンマーを下した。 「……確かに俺に魔女を殺す力は無い」  すると右腕を構成する黒蟻がざわめき、一部がスレッジハンマーを包み込む。  ダグボルトは漆黒に染まったスレッジハンマーを、再び『緋蠍妃』に突きつける。 「だが、俺の右腕には魔女を殺す力がある!」  『緋蠍妃』の顔から笑みが消える。 「まさか、その蟻は『黒獅子姫』の……」 「ああ、そうだ。いくぞ!!」  ダグボルトは一気に踏み込むと、『緋蠍妃』の頭めがけスレッジハンマーを振り下す。  際どい所で『緋蠍妃』は横にとびずさってかわす。  『緋蠍妃』は長い蠍の尾をがむしゃらに振り回して、接近されないように距離を取る。しかしダグボルトはそれをバックラーで受け流し続けながら、徐々に距離を詰める。 「どうした? 攻撃が単調過ぎるぞ。これならお前の『異端』の方が、お前の何倍も強いぞ」 「クスクス。接近戦なんて『石動の皇』みたいな原始人のやることですわ。決して自分の身を危険に晒さず、安全な場所でスマートに戦い、そして勝つ。それが私の流儀ですわ」 「だがここにはもう、お前が身を隠せる安全な場所など無いぞ。そうやって人を利用し盾にするやり方が仇になったな。今のお前に勝ち目などない!」 「さあ、それはどうですかしら?」  不意に右腕の黒蟻がざわめいた。次の瞬間、机の下から淡く光る小さな蠍がダグボルトの踵目がけ飛び出してきた。 「ちッ!」  とっさにダグボルトは足を上げて攻撃を回避し、逆に踏み潰す。蠍は弾けるような音を立てて消滅した。 「クスクス。言い忘れてましたけど、この部屋には私が生み出したかわいい蠍が何匹も隠れていますのよ。みんな貴方を刺そうと隙を窺っているのですわ」  ダグボルトは右目だけ動かして周囲を窺う。警備兵の死体の陰、カーテンの中、戸棚の隙間、他にも小さな蠍が隠れられそうな場所がいくつもある。  しかもダグボルトは左側に大きな死角がある。小さな蠍の攻撃を見極めるのは困難だ。 「……貴様らしい卑劣なやり方だな」  ダグボルトは吐き捨てるように言った。だが『緋蠍妃』は悠然と笑い返す。 「クスクス。卑劣だなんて酷いですわ、サー・ダグボルト。でも安心して下さいな。その蠍に刺されても死にはしませんの。私のかわいい奴隷(ペット)に生まれ変わるだけですわ」 「くだらん。貴様の『異端』にされるなんて死んでも御免だ」 「だったら死ねばいいですわ! 私の尾針の毒でもがき苦しみながらゆっくりと!」  ダグボルト目がけて振り下ろされる巨大な尾。  バックラーで受け流した瞬間、またも右腕がざわめく。今度は天井から落ちてきた蠍をスレッジハンマーで叩き潰す。 (右腕の蟻が魔力探知機となって蠍の接近を教えてくれている。今はこいつらが頼りだ) 「あら、かわいい蠍にばかり気を取られていいのかしら?」  『緋蠍妃』はダグボルトのバックラーを指差した。尾針を受け流したバックラーには毒液が垂れており、かすかに煙が立ち昇っている。 「げほッ!」  唐突にダグボルトは咳き込んだ。口を拭った手に血がついているのを見て愕然とする。 「クスクス。警告してあげるのが遅かったみたいですわね。私の尾針の毒は『異端』のしょぼくれた毒とは違って、気化したガスを吸い込んだだけでも命取りとなりますの。つまり貴方はもう助からない、という事ですわ」  ダグボルトは再び咳き込む。口から一筋の血が流れ落ちる。 「でも実は助かる方法が一つだけありますの。私の奴隷(ペット)にお成りなさい。そうすれば毒に耐性が出来て助かりますわ」  しかしダグボルトは口の血を拭い、スレッジハンマーを構える。 「……いや、もう一つあるぞ。この毒はお前の魔力で生み出されたものだ。だから魔力が失われれば毒も一緒に消えるはず。つまり今ここでお前を殺せばいい!!」    **********  黒き身体を穿たんとする石の斬撃。  魔力の光を弾かんと大気を貫く猛き黒槍。  二人の魔女が掻き鳴らす武具の調べが、苦き死に満ちた闘技場に呪いの歌を奏でる。  戦いは互角。はた目にはそう映る。  しかし『黒獅子姫』は押されていた。手数に勝るにも関わらず、『石動の皇』本体に全くダメージを与えられていない。  『黒獅子姫』は一見無傷に見えるが、鎧の下の肉体には無数の痣、打撲傷が出来ている。 (ずいぶんと攻撃を貰ってしまったのう。さすがにいつもより蟻を減らして戦うのはきついわい。じゃがその分、魔力を節約出来た。もっと『絶対防御』を使わせて、あやつの魔力を減らしたかったが、これ以上戦いを長引かせるとわしの身が持たん。チャンスは一度きり。こっちの方が魔力が多く残っとる事を祈るしかあるまい!)  『黒獅子姫』の漆黒のランスが長い鞭に姿を変える。  『石動の皇』の身体に鞭を叩きつけると、石鎧が一瞬にして蟻酸の炎に包まれる。 「正攻法では僕の『絶対防御』を破れないので、奇策を繰り出してきたようですね。しかし無駄ですよ」  『石動の皇』は炎に包まれたまま、グレートソードを横に薙ぎ払う。受け止めた『黒獅子姫』のラウンドシールドが軋みを上げ、表面の黒蟻が次々と消滅する。 「魔力を帯びていてもこんな炎では、僕の石鎧の表面を焦がすのが精いっぱいですよ。『絶対防御』を使う必要すらありません」  それでも『黒獅子姫』は鞭を振るうのを止めない。鞭が叩きつけられる度にどんどんと炎が大きくなる。石鎧の表面が焦げ、黒煙が上がり出す。  だが『石動の皇』に動じる様子はない。 「あなたらしくないですね、『黒獅子姫』。こんな無意味な攻撃でいたずらに魔力を消耗するなんて」 「らしくないのはおぬしの方じゃ、『石動の皇』。確かにその石鎧は炎を通さないじゃろうな。じゃが熱はどうじゃ? 石は熱を通しやすいんじゃよ」 「!!」  石鎧内部の『石動の皇』はちりちりと身体が焦げるのを感じる。すぐに『石動の皇』はぴたりとその場で動きを止めた。石鎧が魔力光に包まれる。 「そうじゃな。ここは動きを止めて『絶対防御』を発動させるしかあるまい。でないと、中のおぬしは蒸し焼きになってしまうからな」  『黒獅子姫』は執拗に鞭を浴びせる。石鎧を炎で炙り続けるために。 「――となると問題はわしの魔力が尽きるのが先か、おぬしの魔力が尽きるのが先か、という事になるわけじゃな」  『黒獅子姫』は鞭以外の武装を解除し、黒ローブと長ブーツ姿に戻る。  魔力の消耗を最小限に抑えるためである。  『石動の皇』はピクリとも動かない。  いや動けないのだ。動けば『絶対防御』が解け、次の瞬間には大火傷を負って死ぬ事となる。  しかし動けない間はずっと魔力を消費し続ける。 「降伏するのじゃ、『石動の皇』。ここで死ぬ事なんてないぞ。敗北にだって価値はある。己の弱さと向き合い、次に繋がる力になるのじゃから」 「……………………」 「おっとそうか。動けないから、わしと話す事も出来ないわけじゃな。じゃが動けずとも、わしに魔力の信号を送って合図する事ぐらいは出来るじゃろう? 降伏の合図として――」  突然、『石動の皇』の姿が消える。  いや消えたのではない。  彼女の姿は『黒獅子姫』の頭上にあった――『石動の闘器』を解除した生身の状態で。  石鎧が無くなったため、鎧を焼いていた炎も消えている。  そして見上げた『黒獅子姫』の首に鋭い手刀が放たれた――。    **********  幾度となく攻撃を仕掛けるダグボルト。  しかしその度に『緋蠍妃』は後退し、距離を空けてしまう。  さらに背中の尾で牽制しダグボルトを近づけさせまいとしているが、積極的に攻撃はしてこない。  一瞬でも気を抜くと、今度は物陰に隠れている蠍が襲ってくる。右腕の蟻が接近を教えてくれるおかげでかろうじて避けられてはいるが、いつまで持つか。 (……あの女、完全に時間稼ぎに入っているな。回避に専念して、俺が毒で死ぬか蠍に刺されるのを待つ気なんだ)  目が霞み、咳が止まらない。ダグボルトの口の中に苦い死の味が広がる。  その時、彼のぼんやりとした視界に窓の外の決闘場が映る。『石動の皇』の石鎧が炎に包まれ、激しく燃えている。 (そうだ。俺にもあの技が使えないか?)  応えるように右腕がざわめく。  ダグボルトは無言で頷いた。  再度『緋蠍妃』に飛び掛かるダグボルト。  だがスレッジハンマーはまたも空を切る。かわされたハンマーは側にあった机を真っ二つに叩き割る。すると机の残骸から炎が巻き上がった。  『緋蠍妃』は一瞬驚いた顔をするが、すぐにまた微笑む。 「クスクス。そう言えば『黒獅子姫』はそんな技も使っていましたわね。でもそれが何ですの? 攻撃が当たらなければ、そんな炎なんて意味が無いんじゃないかしら」  しかしダグボルトはやけになったかのように、何度も『緋蠍妃』に飛び掛かる。その度にかわされた攻撃が家具に命中し、次々と火の手が上がる。  やがて詰所の中は火の海と化した。 「ひどい戦い方ですわねえ。こんな事をしたらあなたまで焼け死んでしまいますわよ」  そう言って『緋蠍妃』は非難めいた視線を送る。  ダグボルトは苦しげに咳き込み、肩で息をしている状態だった。だが口元には微かに笑みを浮かべている。 「……まさか貴方、自分が助からないと知って、私を道連れにしようとしてますの?」  『緋蠍妃』の顔に僅かに苛立ちの色が浮かんだ。 「そういう事ならそろそろ止めを刺してあげますわ。それだけ弱っていれば、もう私の攻撃もかわせないでしょう?」  するとダグボルトは肩を震わせた。今度ははっきりと笑っている。 「フフッ。俺は別に貴様と心中する気なんかないぞ。それに俺が焼き殺したかったのは貴様じゃない。周りをよく見てみるんだな」  燃える戸棚の隙間から炎に包まれた蠍が現れた。ふらふらと数歩歩くと弾けるように消滅する。他の蠍も次々と炎に焼かれ消えて行く。 「これで貴様のかわいい蠍はもういない。さあ、一対一の勝負で俺に勝てるか試してみろ!!」 「お、お黙りなさいッ!!」  『緋蠍妃』は怒りの雄叫びを上げて、背中の尾を振り回した。 「貴様の攻撃は単調過ぎると言ってるだろうが!!」  尾撃をバックラーで弾き飛ばし、間合いを詰めるダグボルト。振り上げたスレッジハンマーが炎に照らされ赤々と輝く。  『緋蠍妃』は身体を捻って避けようとしたが、僅かに遅かった。肉付きの良い肩にハンマーがめり込む。  骨の砕ける鈍い音と凄まじい絶叫が闘技場に響き渡る。  しかしそれは観客席の歓声にかき消され、誰の耳にも届く事は無かった。    **********  『石動の皇』は血に塗れた左手を自分のマントで拭う。  目の前には喉を押さえ、苦しげに立っている『黒獅子姫』。  彼女の喉はぱっくりと裂け、赤い血がだらだらと溢れている。黒蟻の群れがチョーカーに変わり、傷口を塞いだ。 「今のは残念です。踏み込みが足りていれば、あなたの首を刎ねて殺せたのですが」 (殺せた? 今、殺せたと言ったのか? こやつは!?)  『黒獅子姫』が唖然としているのを見て、『石動の皇』はにっこりと微笑む。 「驚いているようですね。確かにあなたを殺せば僕は魔力を失ってしまいます。この魔力はあなたに貸し与えられたものですからね。だから本来ならあなたを生け捕りにしなければならない。だけどそんな考え方はくだらないですよ」 「くだらない……?」 「僕の望みはただ一つ。強い相手と戦い、そして勝利する事。それだけです。それが叶うのなら、別に魔力など失っても惜しくはないのですよ」 「先の事なんぞ一切考えないんじゃな、おぬしは……」 「ええ。僕はこの一戦に生涯の全てを懸けています。ですからその先の事などどうでもいいのです。闘技場も。グリフォンズロックも。そして僕自身の人生もね」  『石動の皇』の微笑みは静かな狂気を孕んでいた。 (『石動の皇』、いやローレン……。優れた騎士だったおぬしが、こんな風に狂ってしまうとは……。全てわしのせいじゃ。おぬしに魔力を与えてしまった、わしのせい……) ――ローレン・リース。  代々、高名な騎士を輩出してきた、グレイラント公国のリース家出身。  ローレンは若いうちに両親を亡くし、名のある騎士だった祖父の元で育てられる。  祖父はローレンを自分の後継の騎士とすべく厳しく鍛え上げた。彼女が幼い頃から全く容赦はせず、遥かに年上の騎士と訓練試合をさせることもしばしばあった。 『実戦では年齢も性別も関係ない。勝者は生き残り、敗者は死ぬ。それが唯一の掟だ。実戦で死にたくなければ、訓練でも勝ち残れるようになれ』  それが祖父の教えだった。  やがてローレンは訓練試合で敗れると、自分の左胸にナイフで刻み目をつけるようになった。 (この試合が実戦だったら私は死んでいた……)  それは死の暗示であり、同時に自らを戒めるための行為であった。  彼女は刻み目が増えるたびに血反吐を吐くような厳しい特訓を行い、修練に修練を重ねた。  そして刻み目は八本目が最後となる――ついに彼女は不敗の騎士となったのだ。  だが公家主催の馬上槍試合で彼女の運命の歯車が大きく狂う。  ローレンの準決勝の相手は公王の三男だった。本来なら主君である公家の名誉のため、わざと負けるか引き分けるのが常識である。  しかしローレンには戦いを冒涜するようなそのような行いが出来なかった。  彼女は勝った。  それも敗者の心に絶望を刻み付けるほどの徹底的な勝利。  一週間後、公家の三男は城のテラスから身を投げて、自らの命を絶った。  公王は激怒した。  しかしローレンに落ち度はないため、自らの手で処罰を与える事は出来ない。  そこで聖天教会の大司教に賄賂を贈って魔女の嫌疑をかけさせ、彼女を始末しようとしたのであった。 (魔女の容疑で牢獄に囚われていたローレンに、わしは魔力を与えて本物の魔女に変えた。その時に人間だった時の記憶は全て消えとるはず。じゃが勝利に対する執着心が、歪んだ形で『石動の皇』の心に残ってしまったんじゃ……) 「では、今度こそ止めを刺します」  『石動の皇』は死刑を執行するかのように告げ、再び『石動の闘器』を纏った。石鎧には焼け焦げた跡は一切残っていない。  ゆっくりと。  だが着実に、彼女は『黒獅子姫』に向けて歩を進める。  石のグレートソードが大きく振り上げられた。  しかし『黒獅子姫』の方は武具を纏おうとしない。ただその場に立ち尽くしているだけだ。 「どうしました? まさか魔力を使い果たしてしまったのですか?」  石鎧から『石動の皇』の籠った声が響く。  すると『黒獅子姫』は哀しげな顔をして首を横に振った。 「いいや、違うぞ。もう勝負はついとるんじゃ。さっきの攻撃でわしを倒せなかった時点で、おぬしはもう負けておる」  『石動の皇』本体の脇腹に痛みが走る。  見ると純白のプレートメイルの脇腹に漆黒の短刀が刺さっている。 「いつの間に……?」  漆黒の短刀は黒蟻の群れに戻り、ざわざわと『石動の皇』本体の左胸に集まる。 「次は心臓を貫くぞ。分かったら降伏するのじゃ!」  『黒獅子姫』の必死な訴えに応えるように、『石動の闘器』が解除された。  『石動の皇』は脇腹の痛みなど感じないかのように、またも静かに微笑んでいる。 「手刀が当たった瞬間に、僕の身体に蟻を付着させていたんですね。迂闊でした。『石動の闘器』を解除した後、またすぐに装着すれば良かったのに、勝ちに逸って生身の姿であなたを攻撃してしまった。僕は最後の最後で一手誤ったみたいですね」 「そうじゃな。さあ、そろそろこの不毛な戦いを終わりにするのじゃ」  『黒獅子姫』は『石動の皇』を優しく抱きしめようと近づいた。  しかし『石動の皇』はそれを拒むように後退する。 「いえ、僕はまだ負けを認めていませんよ」  『石動の皇』の全身が魔力の光に包まれた。  今までに無いほど強烈な光だ。  体に付着していた黒蟻が、泡が弾けるように一瞬で消滅する。 「正真正銘、これが最期の勝負です!!」  『石動の皇』は叫んだ。  身に纏っていた純白のプレートメイルも、ダークブルーのマントも溶けるように消えていく。露わになった白い裸体。それもすぐにボロボロと崩壊していく。  とうとう『石動の皇』の肉体は完全に消え失せ、巨大な魔力の光球と化す。 「『強制魔力転換』じゃと!? まさか自分の肉体まで魔力に変換してしまうとは……」  信じられないという表情で『黒獅子姫』は呟く。  魔力球が『黒獅子姫』目がけ、猛烈な速さで突進する。通過した箇所の石畳は大きく抉れている。僅かに触れただけでも消滅させられかねない強大なエネルギーの塊だ。 「そんな事をしたら、おぬしは二度と元の身体に戻れなくなってしまうぞ!! それでもよいのか?」  返事は無い。  『黒獅子姫』はやむなく再び武具を纏う。  漆黒のランスを魔力球に突き刺すが、槍先が音を立てて消滅する。魔力球を受け流したラウンドシールドも、獅子の顔の意匠が無残に抉り取られる。 (魔力差が大きすぎて、まるで勝負にならんわい。対抗するためには、こっちも同じ手を使うしかない……)  『黒獅子姫』が身に纏っていた黒蟻が全てが弾け、魔力に変換される。青白い華奢な身体も崩壊し、魔力の粒子に変換されていく。そして『石動の皇』と同じように巨大な魔力の光球へと姿を変える。  決戦場の上空で、二つの魔力球が激しい音を立てて衝突する。  それは戦いを超えた戦い。  剥き出しの魂のぶつかり合い。  もはや観客達には、決闘場で何が起こっているのか理解する事すら出来ない。  しかし皆、瞬きすら忘れ、二人が命を削り合う姿をその目に焼き付けていた。    **********  詰所の火は消えつつあった。  壁や柱は石造りの上、机やタペストリーなどは全て燃え尽きている。目に染みるほどの煙が充満しているが、それも通風孔から少しずつ外に吐き出されていく。 「ハア、ハア……」  『緋蠍妃』は苦痛で喘ぎつつも、煙に紛れて逃げようとしていた。肩の皮膚は裂け、赤黒い筋肉の間から割れた肩甲骨が飛び出している。 「この私が……こんな所で……死ぬわけには……」  しかし詰所の入口にはダグボルトが立っていた。毒のせいでだいぶ衰弱してはいるが、まだ意識は残っている。  『緋蠍妃』は観念したようにその場に膝をついた。ダグボルトは静かに漆黒のスレッジハンマーを振り上げる。 「お願い、助けて……。虫がいいのは分かっていますわ……。でも私は、本当はこんな力なんて欲しくなかった!」  『緋蠍妃』はダグボルトの足に縋り付いた。  潤んだ瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる  「この力のせいで私は正気を失ってしまったの……。全部『黒獅子姫』に返すから……命だけは……。お願い……」  何度も嗚咽を漏らし、必死に言葉を絞り出して哀願する。ダグボルトの足にぴったりとくっついた身体は小動物のように震えている。  あまりに惨めな姿に殺意を失ったのか、ダグボルトは振り上げたスレッジハンマーをゆっくりと下す。  『緋蠍妃』は心の中でほくそ笑んだ――実は部屋の中には一匹だけ、炎に焼かれずに生き残った蠍がいたのだ。  蠍はダグボルトに見つからないよう、ゆっくりと窓の側のバリスタに近づいていく。 (クスクス。あの子にバリスタの『毒榴弾』を破裂させれば……。最大濃度の毒ガスが部屋中に撒き散らされ、この男は即死するわ……)  ついに蠍はバリスタにたどり着き、鉄製の足場にしがみついた。 「そうですわ……。毒の血清がありますの。本当は『黒獅子姫』を毒で弱らせた後、飲ませるつもりだったんですけど……。代りに、あなたに差し上げますわ……」  『緋蠍妃』はレザースーツのポケットを弄り、血清を探すふりをして時間を稼ぐ。  すでに蠍は足場を昇り終え、バリスタの砲身にとり付いている。  あと少し。  さあ、もう少しですわ……。 「お前にひとつ言わなきゃならん事がある」  ダグボルトが唐突に口を開いた。  同時にスレッジハンマーをひっくり返すと尖った部分を前にする。 「俺はミルダほど甘くは無い」  ダグボルトはスレッジハンマーの尖部を、まるで吸血鬼の心臓に杭を打ち込むかのように『緋蠍妃』の胸に力一杯突きたてた。 「魔女は殺す」  その衝撃で奥の壁に叩きつけられる豊満な肉体。  白目を剥いた『緋蠍妃』の鼻と口からどっと鮮血が溢れだす。  そして次の瞬間、全身から轟炎が噴き出した。  『緋蠍妃』の身体が炭化していくのを見守るうちに、己の身体から毒素が抜けていくのが感じられる。 「仇はとったぞ、リーシャ」  ダグボルトは静かな声でそう呟いた。    **********  二つの魔力球が虚空を縦横無尽に飛び回り、何度も何度も激しくぶつかり合う。  その度に光の粒子が舞い散り、彼女達の魔力と魂が砕けてゆく。  やがて二つの魔力球は少しずつ輝きを失っていった。すでに最初の半分以下に縮んでいる。 (互いに魔力を消耗し過ぎておる……。これでは戦いに勝ったとしても、魔力を肉体に再変換出来んわい。この戦いに、もはや勝者などおらん。どっちかが相手を倒したとしても、自分もまた消滅してしまうんじゃから……)  『黒獅子姫』は絶望の淵に立たされていた。  こうなっては戦いを止める事も出来ない。もはや消滅する運命は避けられないのだ。 (……じゃがわしが死ねば、他の全ての『偽りの魔女』も力を失う。ダグ、後はおぬし次第じゃ。おぬしの力で、この歪んだ世界を立て直すのじゃ……)  その時、消えかけていた『黒獅子姫』の魔力球に新たな魔力が注ぎ込まれる。  彼女は知る由もないが、それは死んだ『緋蠍妃』から返ってきたものだった。 (この魔力は一体……? じゃが、これならいける! 今の魔力量なら肉体を再構築できるはずじゃ!!)  『黒獅子姫』は残された全ての魔力を振り絞り、己の身体を組み立て始める。  肩のあたりまで伸びたくしゃくしゃの黒髪。退廃的な美しい顔と青白くほっそりとした小柄な裸体。  元の姿に戻った『黒獅子姫』は、ちらちらと明滅している『石動の皇』の小さな魔力球を空中で優しく抱きしめた。  魔力球は形を失い、『黒獅子姫』の身体に吸収されていく。  やがて静かに地面に降り立つ『黒獅子姫』。  左胸には八つの刻み目がある――かつてはローレンのものであった傷が。  『黒獅子姫』は爪で九つ目の刻み目をつけた。 (負けたぞ、ローレン。わしにはおぬしを救う事が出来んかった。じゃから、せめてわしの中で生き続けてくれ……)    **********  朝焼けの空は澄み渡り、周囲を静寂が包み込んでいる。  ダグボルトは真新しい御影石の墓石の前に、そっと白百合の花を置いた。 「じゃあな、リーシャ。全てが終わったらまた会おう」  手を合わせ祈りを捧げると、ダグボルトは一度も振り返る事なく郊外の墓地を後にした。 「闘技場は残された競技委員達の手で、新たな形で運営されるらしいぞ。今度は敗者が死ぬような殺伐としたものじゃなく、剣闘士達が己の力を試し合うスポーツのような形で」  『馬の骨亭』の酒場でフィッシュサンドを摘まみながら『黒獅子姫』は言った。 「そうか。そいつは何よりだ。だがそれよりお前が観客に襲われなくて良かったぞ。何と言ってもお前は『石動の皇』を殺した仇なんだからな」  『緋蠍妃』を倒して観客席に戻ってきたダグボルトが見たものは、決闘場に向けて鳴り止まぬ拍手を浴びせている観客達の姿だった。  全員の目に涙があった。  命を懸けて戦った二人への賞賛の涙が。 「わしは『石動の皇』を殺した訳じゃないぞ。あやつは肉体を再構成するだけの魔力を失っとった。じゃからわしは、残された魔力ごと『石動の皇』を体内に取り込んだんじゃよ」  『黒獅子姫』は左胸に手を当てた。  そうしていると不思議と力が湧いてくる気がする。 「……ところで俺の腕を知らないか?」  ダグボルトの右腕の肘から先が忽然と消えていた。  『黒獅子姫』は黙って隣のテーブルを指差す。  そちらを見ると皿の上に載ったアップルパイに黒蟻の群れがたかっていた。アップルパイを注文した客は必死になってナプキンで蟻を追い払っている。 「あいつら……」 「さあ、行くとするかのう」  食事を終えた『黒獅子姫』が立ち上がった。  ダグボルトも目の前の皿のチキンサンドを全て口の中に詰め込んで立ち上がる。  そして二人はグリフォンズロックの街を後にした。 ――グリフォンズロックは今もその姿を残している。  『石動の皇』の主催する闘技試合に、観客達が沸いたあの頃の姿を。                     敗者の価値   完
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