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 夜は全ての者に平等に訪れる。  夜空を支配するのは鮮血色の満月。  地上に不吉な光を投げかけ、狂気をかきたてる真紅の煌き。  人々は夜も早々に眠りについて、悪夢を締め出そうとする。  月の光に紅く照らし出される、丘の上の小さな教会跡。  以前は周辺の村の人々が集まって祈りを捧げた場所だが、今は屋根も外壁もあちこちが剥がれ落ち、蔦に覆われて見る影も無い。  しかし今宵、教会跡には一人の男の姿があった。  二ギット(メートル)をゆうに超える巨漢。  飾り気の無い鋼のプレートメイルは、あちこちに戦傷や窪みが残されていて、歴戦の騎士であることをうかがわせる。  特にフルフェイスヘルムの破損はひどく、顔の部分の左側が醜く焼け焦げ、左目の覗き穴が溶けて塞がってしまっている。残された右目の覗き穴からは、緋色の瞳が熟れ過ぎたザクロのように爛れた輝きを発している。  端が擦り切れボロボロになった枯葉色のフード付マントを纏い、左手にはヒーターシールド(逆三角形の中型盾)、腰のベルトには片側を尖らせた武骨なスレッジハンマーを吊り下げている。スレッジハンマーの片側には、聖天の女神を象った聖印が施されている。  ダグボルト・ストーンハート。  それがこの一つ目巨人(キュクロプス)めいた騎士の名前。  ダグボルトは乗っていた黒馬から降りると、臆することなく教会跡に踏み込む。  廊下を覆う湿った苔には、何か巨大なものが這った跡が残されている。それを辿っていくとかつて礼拝堂として使われていた場所にやって来た。  割れたステンドグラスの残骸が残る天窓。  かつては祈りを捧げる者達が腰かけていたであろう、朽ちた木のベンチ。  そして頭と両腕の無いトルソーと化した石の女神像。  かつては聖天教会に仕えていたダグボルトは、無残な女神像の姿を見てその痛ましさに右目を細める。 (聖天の女神ミュレイアよ。『真なる聖女』セオドラよ。どうかご加護を。この呪われた世界をまだ完全に見放していなければだが)  ダグボルトは祈りを捧げながら、スレッジハンマーを腰のベルトから引き抜く。鋼の槌部が紅い月の光に照らされ鈍く輝く。  それを合図とするかのように、花崗岩の柱の陰からぬらりと巨大な体躯が現れる。 ――魔女の尖兵『蛇の異端』  筋肉質の上半身は人間に近いが、下半身と二本の長い首は蛇そのもの。体の表面を覆う青緑色の鱗がてらてらと輝く。  むせび泣くような声と共にダグボルトに迫る双頭。真っ白な牙から紫色の毒液が滴り落ちる。  刹那、吹き上がる真紅の飛沫。骨の砕ける鈍い音。  『蛇の異端』の双頭の片方が砕け、近くにのひび割れた石柱に叩きつけられる。その衝撃で柱の亀裂がさらに大きくなり、破片がパラパラと降り落ちる。  ダグボルトのスレッジハンマーから、血と脳味噌がしたたり落ちている。もう片方の頭は、ダグボルトが構えたヒーターシールドに牙を食い込ませていた。 「グギュァアアアアアアアアアアアアアアア!!」  苦痛と怒りの混じった叫び。  ダグボルトはフルフェイスヘルムの中でサディスティックな笑みを浮かべ、スレッジハンマーをその頭に叩き込もうとする。  不意に風を切る音。  ダグボルトはヒーターシールドで防ごうとするが、『蛇の異端』が咬みついているため動かすことが出来ない。  顔面に走る鈍い衝撃。  『蛇の異端』の下半身の蛇の尾が、ダグボルトのフルフェイスヘルムに叩きつけられていた。 その衝撃でヒーターシールドに食い込んだ牙が外れ、『蛇の異端』の頭は自由となる。 「こっちの盾を……使用不能な状態にしてから攻撃を加えるとは……異端のくせになかなかやるな……」  ダグボルトは顔の痛みをこらえつつも、思わず賞賛を口にする。  『蛇の異端』は一旦後ろに下がると、体をのた打ち回らせ再度ダグボルトに襲いくる。一方、先ほど顔に受けた打撃のせいでダグボルトの動きは鈍い。  (今の俺では先ほどのように身をかわしながらに攻撃するのは厳しい。だが盾で防ぐとまた尾で攻撃してくるだろう。横に転がって避けるか、それとも……)  ダグボルトの思考は死を間際にして回転を速める。 (……いや、もう何もしなくていい)  それが導き出された結論。  事実その通りだった。  轟音と共に崩れる石柱。巨大な石の欠片が、振り返った『蛇の異端』の体躯をぐしゃりと押し潰す。  先ほど『蛇の異端』の双頭の片方を叩きつけた柱だ。老朽化した柱はその衝撃に耐えられなかったのだ。  ダグボルトは『蛇の異端』が息絶えているのを確認すると、フルフェイスヘルムを脱いだ。  長い黒髪には白いものが混じり、三十五歳という年齢よりも老けて見える。肌は浅黒く、無精髭を生やした顎はがっしりとして引き締まった顔立ち。  顔の左側には酷い火傷の跡があり、白く濁った左目は眼帯で覆われている。  高い鷲鼻が顔を叩かれた衝撃で左に折れ曲がり赤黒く変色している。  ダグボルトは曲がった鼻をつまむと無造作にひねる。  ボキッという嫌な音。  よく磨かれたヒーターシールドの表面を鏡の代わりにして、鼻が元の位置に戻った事を確認する。  口に流れ込んだ鼻血をペッと吐き出すと、深いため息を一つ。 「ずいぶん無様な戦いをしたものだな。俺も歳か」  ひとり呟くダグボルト。  その間に『蛇の異端』の屍体はシュウシュウと音を立て、白い煙と共に人の形へと変わっていく。やがてそれは二十代前半くらいの金髪の男の裸身となる。  男の口からは鮮血があふれ、空ろな瞳が宙を見つめている。ダグボルトには見覚えのある顔だった。 「……俺と一緒に帰るか、レンドル」  ダグボルトは『蛇の異端』、いやレンドルの遺体をマントで覆うと両腕に抱きかかえる。  そしてまだ悲しみの残る教会跡を立ち去った。
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