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4
かすかな光の中、金属がぶつかり合う音が無数に響き渡る。
ダグボルトの身体には数えきれないほどの傷。
衣服はあちこち裂けて、ほとんどボロ布と化している。
『金蛇の君』の身体には傷一つない。それどころか一滴の汗すらかいていない。
(一体、何をしとる? 勝ち目なんぞ全くないのに……)
『黒獅子姫』は唇を噛んだ。
蟻を使って戦いをサポートするか迷ったが、ダグボルトの意図が分からない以上余計な事をしたくはなかった。
(……じゃが今はおぬしを信じるしかない。そうじゃな?)
『金蛇の君』はまるでケーキを切るかのような優雅な仕草で刀を振るい、ダグボルトを料理している。
一方でダグボルトの攻撃は、全て『金蛇の君』の傘布の盾で防がれていた。簡単に破れそうな見た目とは裏腹に、スレッジハンマーの攻撃を全て吸収してしまう。この傘布も魔力を帯びているようだ。
「あなた、弱いわね。もうこうさんする?」
「ハア、ハア……。いいや、まだだ!」
しかし言葉とは裏腹に、ダグボルトは徐々に後退させられていく。
ついにダグボルトの背中が部屋の隅の壁にぶつかった。もはや逃げ道は無い。
「本当にこうさんしないの? 本当に?」
「ハア、ハア、ハア……。ああ……。絶対にしない……」
ダグボルトは息を切らせながらもきっぱりと答える。
「じゃあしんぞうに大きなあなを開けて、にどと動けなくしてあげるわ!!」
『金蛇の君』の勝ち誇った微笑み。右手の刀が閃く。
咄嗟にダグボルトは左手を前に突き出した。
心臓に突き立てられようとした刀は、ダグボルトの左の掌に深く刺さり防がれる。
「あっ」
「今度は……。こっちの番だッ!!」
ダグボルトはスレッジハンマーを振り上げた。『金蛇の君』は悠然と傘布の盾で防ごうとする。しかしその動きがぴたりと止まる。
「ああっ!!」
傘の長い先端部分が壁の亀裂に刺さってしまっている。ダグボルトは部屋の隅に追い込まれたのではない。『金蛇の君』を誘い込んだのだ。
「相手の盾を使用不能な状態にしてから攻撃を加える。そういう戦法もあるんだ。おちびさん、ひとつ勉強になったな」
ダグボルトはかつてレンドルに言った言葉を繰り返した。
次の瞬間、スレッジハンマーが『金蛇の君』の右腕にめり込む。
ポキンと小枝が折れるような音がして彼女の右腕はあらぬ方向に曲がる。その手から刀が離れた。ダグボルトは痛みをこらえ、左の掌に刺さった刀を右手で力いっぱい引き抜いた。そしてポツリと呟く。
「こいつだ……。こいつが欲しかったんだ……」
『金蛇の君』は顔色一つ変えず、折れた骨をボキボキと鳴らしながら、右腕を強引に元の形に戻した。醜い傷跡が瞬時に消える。
「それは『金蛇の君』のものなの! 返してよ、おじさん!」
『金蛇の君』は必死に刀を取り返そうとするが、ダグボルトは彼女の手が届かない所まで高く持ち上げた。
すると『金蛇の君』の端正な顔が崩れ、身の毛もよだつ憎悪の表情が浮かぶ。
「そう。人のものを返さないどろぼうさんにはおしおきが必要ね」
突然、ダグボルトの右腕に激しい痛みが走る。
手にした刀の柄が毒蛇に姿を変え、ダグボルトの右腕に咬み付いている。
咬まれた腕の肘から上の部分が、急激にどす黒く変色していく。皮膚がボロボロと剥がれ、血と膿がたらたらと流れ出す。
恐ろしい速さで右腕が腐敗していく様を見て、ダグボルトの顔から一瞬で血の気が引く。
「何しとる!! 早くそれを捨てるんじゃ!!」
『黒獅子姫』が叫ぶ。
しかしダグボルトは首を横に振る。
顔は青ざめているが、口には笑みすら浮かべている。
「……いや、それはできない。俺はもう決断した。今ここでお前を助けるってな!!」
ダグボルトは走りだした。
真っ直ぐ――。
『黒獅子姫』に向かって真っ直ぐ――。
意図に気づいた『金蛇の君』のツインテールの髪が二匹の巨大な金色の大蛇に姿を変える。
だがすでにダグボルトは『黒獅子姫』の目の前まで来ていた。
振り下ろされる刀。
『黒獅子姫』の腕を拘束する鎖が、ガラスのように粉々に砕け散る。
と同時にダグボルトの右腕の肘から先も、腐汁と膿を撒き散らしてボロボロに崩れ去ってしまった。
体力の限界にあったダグボルトはがっくりと膝をつく。その無防備な身体に襲いくる二匹の大蛇。
鋭い黄金色の牙が浅黒い皮膚に食い込む――。
――かに見えた瞬間、漆黒の奔流がダグボルトを包み込む。弾き飛ばされた大蛇は、苦痛と困惑の呻きをあげる。
漆黒の奔流が形を失うと、そこにはダグボルトを庇うように黒髪の少女が立っている。
獅子の顔を象った漆黒のラウンドシールド(大型の丸盾)、長い漆黒のランス(馬上槍)、流麗な漆黒の鎧。
『真なる魔女』『黒獅子姫』の戦闘形態へと。
「大丈夫か?」
『黒獅子姫』は優しく尋ねる。
「ハア、ハア……。こんなのは……全然……大した事ない……。だがせめて……俺の右腕一本分の仕事はしてくれ……」
強がるダグボルトに『黒獅子姫』は微笑みを返す。
「それならお安いご用じゃ」
そして今度は『金蛇の君』を真っ直ぐ見据えて言った。
「さあ、『金蛇の君』。わしとは何をして遊ぼうかのう?」
『金蛇の君』のあどけない顔に、微かに動揺の色が浮かぶ。
「う、う~ん、かんがえ中……。かんがえる間、代わりにお友だちが遊んでくれるって!」
『金蛇の君』が口笛を吹くと、頭上からぱらぱらと『蛇の異端』が降ってきた。その数二十程。
それを見てダグボルトは、左手でスレッジハンマーを杖の代わりにして立ち上がろうとする。
「数が……多すぎる……。俺も力を……」
「いいや、必要ない。おぬしはそこでゆっくり休んでおれ」
『黒獅子姫』は振り返りもせずに答える。
「グギュァアアアアアアアアアエエエエエエエエエエエエエエエ!!」
耳をつんざく鳴き声の唱和。
『蛇の異端』の群れが一斉に迫る。
だが『黒獅子姫』は顔色一つ変えず、軽い動作でランスを放り投げた。
先頭の『蛇の異端』とその後ろの『蛇の異端』の身体が、ビクンと大きく痙攣する。二体はかわす間もなくランスで串刺しにされていた。
滑るような動作で彼女がランスを引き抜くと、それは瞬く間に漆黒のバトルアクスに形を変える。
背後から組みつこうとした『蛇の異端』の身体を薄紙を裂くように真っ二つにする『黒獅子姫』――同時に横にいた三つ首の『蛇の異端』にラウンドシールドを叩きつけている。
シールドの獅子の顔の意匠が大きく口を開き、三つ首を全て喰い千切る。
ダグボルトはもはや言葉もなく、青ざめた顔で戦いを見つめるだけだった。
これが本気を出した魔女の戦い。
彼は無意識のうちに顔の火傷を何度も指でなぞっていた。
一体、また一体と『蛇の異端』は数を減らしていき、ついに最後の一体が倒れる。
「もう、おぬしの友達はおらんぞ」
『黒獅子姫』は息ひとつ切らさずに言った。
だが次の瞬間、彼女の細い身体に二匹の金の大蛇が巻き付き、ぎりぎりと締め上げていた。
「隙あり!! お姉さま、つかまえた~!!」
『金蛇の君』は悪戯がうまくいったかのように無邪気にははしゃぐ。『蛇の異端』を囮にして、ずっと攻撃のワンチャンスを窺っていたのだろう。
『黒獅子姫』の両腕は、金の大蛇に巻き付かれているせいで、全く動かすことが出来ない。
「じゃあ次はおにんぎょう遊びね。お姉さまがおにんぎょう。ほ~ら、たかい、たか~い!!」
『黒獅子姫』の小柄な身体は宙に持ち上げられ、地面に激しく叩きつけられる。
「クスクス。これ、おもしろ~い! ほ~ら、たかい、たか――」
「待て。『金蛇の君』……」
再び宙に持ち上げられた『黒獅子姫』の口から囁くような声。
「なあに、お姉さま?」
『金蛇の君』は可愛らしく小首をかしげる。
「……遊びの時間はもうお終いじゃよ」
朽木が爆ぜるような音。
何かが焦げる嫌な臭い。
「いやあああああああああああああああああああああああああ!!」
『金蛇の君』の悲痛な叫び声。
『黒獅子姫』に巻き付いた金の大蛇が黒煙を上げ、激しい勢いで燃えている。
「わしの蟻が吐き出す蟻酸には、大気に長く触れていると発火する特性があるのじゃ。おぬしは知らんかったようじゃがのう」
金蛇の拘束が緩み、『黒獅子姫』は自由の身となる。いつの間にか両手には、それぞれ漆黒のカトラス(船乗り用の曲刀)が握られている。
二つの黒き煌めきが、二匹の金の大蛇に混じり合う。
切り落とされた二つの蛇頭が、溶け合うようにひとつの黄金色の奔流に変わっていく。
『金蛇の君』の長い艶やかな金髪に。
髪を切られた『金蛇の君』はその場に崩れ落ちる。
呆然自失のままその場から動けない。
『黒獅子姫』が目の前までやって来ると、ハッと怯えた顔をする。
「こないでお姉さま!! もういや!! もうだれとも遊びたくないッ!!」
「……そうじゃな。もうこんな遊びは止めようではないか」
『金蛇の君』を見つめる『黒獅子姫』の瞳は優しげであり、同時に哀しげでもあった。
『黒獅子姫』はしゃがみこむと、『金蛇の君』を優しく抱きしめる。
「あっ」
「子供は眠る時間じゃよ。目を覚ます頃には、悪い夢はすべて忘れておろう」
『黒獅子姫』は顔を近づけ、甘く囁くように言った。
「さよならじゃ、『金蛇の君』」
『黒獅子姫』の薄い唇が、『金蛇の君』の瑞々しい唇に重なり合う。
『金蛇の君』の身体から淡い輝きが溢れ出し、『黒獅子姫』の身体に吸い込まれていく。
「そしてお帰り、マリーアン」
「そいつは死んだのか?」
気づくといつの間にか、背後にダグボルトが立っていた。
顔は死人のように青ざめているが、命に別状はないようだ。肘から先を失った右腕は、上着を裂いて作った止血帯を巻いて出血を防いでいる。
『黒獅子姫』は、腕の中ですやすやと寝息を立てている『金蛇の君』を見て、ゆっくりと首を横に振る。
「いや。全ての魔力を失って眠ってるだけじゃ。『偽りの魔女』としての記憶も失っとる」
「……じゃあ今は魔女じゃないってわけだ」
ダグボルトが左手でスレッジハンマーを振り上げたのを見て、『黒獅子姫』は冷たく睨み付ける。
「やめよ。わしを敵に回す気か?」
「そいつには大勢殺されたんだぞ。このまま生かしておくわけにはいかない」
「全てはわしのせいじゃ。魔女の嫌疑を掛けられたマリーアンを救うために、良かれと思って与えた魔力が、幼いこやつの心を狂わせ、善悪の区別もつかない怪物『金蛇の君』に変えてしまった……」
「…………」
「それでもマリーアンを殺したいのなら、代わりにわしを殺せ」
『黒獅子姫』は有無を言わさぬ口調できっぱりと言った。
ダグボルトは振り上げていたスレッジハンマーを渋々下ろす。そして苦々しげに呟く。
「俺に魔女を殺す力は無い」
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アイゼルク村長は、ダグボルトが放浪の旅に出ると聞いて何度も引き留めようとした。しかしダグボルトが折れなったため、とうとう最後は諦めた。
ダグボルトが村を発つ日には、村人全員が村の入口に集まり別れを惜しんだ。
一通り別れの挨拶が済むと、宿の女将に連れられてひとりの少女がダグボルトの前に進み出る。
「ダグ。また戻って来てくれる?」
哀しげな顔をしたマリーアンの髪を、ダグボルトは優しく撫でる。
「ああ。いつか、きっとな」
黒馬に跨ったダグボルトは、村人達に軽く手を振ってその場を後にした。
村から十分ほど馬を走らせた小高い丘で、『黒獅子姫』が切り株に腰掛けて待っていた。
黒いフード付ローブ、膝上までの黒のロングブーツ。
足元には黒き獅子が寝そべっている。
「村の連中との別れは済んだか?」
「ああ」
「マリーアンを預かってくれる所があって助かったぞ」
「これで良かったのかは分からないがな。あの村の人間は何人も『金蛇の君』に殺されている」
「…………」
「だが俺にはあの村しか思いつかなかった。宿の女将が預かってくれて正直助かった。さすがにあの娘が魔女だった事は隠しておいたがな」
「おぬしには感謝しとるぞ。さあ行こうかの」
そう言って『黒獅子姫』は立ち上がった。黒き獅子もむくりと起き上がる。
『黒獅子姫』は獅子の背にひらりと跨る。
「そう言えば、おぬしの名前を聞いとらんかったな」
馬に拍車を入れると同時に答える。
「ダグボルト・ストーンハート」
そう。
それがこの一つ目巨人めいた騎士の名前。
モラヴィア大陸を呑み込む闇に、敢然と足を踏み入れんとする騎士の名前。
無邪気な魔女の遊び場 完
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