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泳ぐのは水だけでよかった。
「ねぇ、旭さん。」
水にぷかぷか浮いていた黒い水泳帽が上を向く。
「……?」
既に彼女が水泳部に入って何ヶ月かが過ぎようとしていた。
私は迷いながら口をゆっくりと開いたが、やはりやめよう、そう思い直し、言葉を飲み込んで口を閉じた。
変じゃなかっただろうか。忘れたような演技をすれば間に合うレベルか?何で声なんか掛けたんだろう。考え無し過ぎて、自分で自分が嫌になる。
「ごめん……何言おうとしたか忘れちゃったや。」
「…そうっすか。」
いつもそう。
私は彼女の異変に気づいたところで何も言えない。
知らないふりをして、見なかったふりをして。
心配する素振りを一切見せずに「友達」の線を引く。
「大丈夫?」その言葉を発するだけ。
それだけで彼女と私は安心安全の「友達」という薄っぺらい関係で居られる。
でも…。
私は薄々気づいている。
彼女が私を「友達」だけの関係で終わらせたくないこと。
そして、彼女は今日、何かがあったんだということ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「悪いけど。君をここに呼んだのには理由があるの。」
「それ以外ないだろ。まぁ、呼ばれたというより連行されたの間違いだけどな」
目の前のこいつはそう言って軽く笑った。
「そういや、久しぶりに話すんじゃねーの?美咲。」
「下の名前で呼ばないで、一馬。」
「そう言いつつお前も下の名前呼びじゃんか。」
口を尖らせて一馬が私の事をジト目で眺める。
あぁ。このやり取り。久しぶり過ぎてこの感覚を忘れていた。
「で?今日は校舎裏まで呼んで何の用?」
一馬がニヤリと笑う。
「まさか…告白?」
「んなわけあるかい。」
半笑いでツッコんで手をバシッと一馬の腕に当てる。
いてて、と腕を困り眉で笑いながら二の腕をさする一馬に軽く謝った。
部長になって急に距離が出来たような気がしていたのは自分だけだったのかと我ながら嫌気がさして苦笑する。
私も、こんな友達が居たのならこんな風にはならなかったのかもな…なんて浅はかな考えが脳裏に浮かんで離れない。
「じゃあ…まさか…決闘…?」
口元に手を当ててしらけたような顔をする彼を見て、本当にそうだったら良いのにと心の中で強く願う。
「残念ながらそれも違う。」
「そうか……」
少し考えたような顔をしたが、一馬は本当に心当たりがないらしい。少し経ったのち、降参だよ、と小さく告げた。
「ダメだ。本当にわからない。何なんだ?」
何だか急かすような言い方だな、とふと気付く。
「まさか、この後予定あった?」
あぁ、まただ。やってしまった。
最後の最後までこんなに空気を読むなんて。
よく言えばお人好し、悪く言えば怖がり。
自分が嫌われることに対する事が本当に怖い。いつの間にか嫌われている事が多い私にとってこれ以上の恐ろしさはない。
「あー…。うん。実はこの後幹部内で話し合いが…。」
「……。」
唇を噛み締めた。やっぱり、そうか。部長様はお忙しいものね。
心の距離は出来ていなかったとしても、身体は宿命的に離れていく。そういう運命なんだ。皆。
私は、皆が離れていくことが怖い。もう。それなら…。
自ら離れるしか、ないんじゃないか。
「いいよ、もう。」
「…え?」
「私、水泳部、辞めるの。」
「……は」
一馬は大きく口を開けた。何を言っているのか解らない、そんな顔が無性に腹立たしくて突き放す。
「今日ここに呼んだ理由はそれだけだから。もういいよ。行きなよ。」
そう告げて微笑んだ。
「嘘だろ?」
「じゃあ、またね。」
そう言って歩き出す。
変じゃなかっただろうか。あっさりと、シンプルに言えていただろうか。
下を向いて早足で歩く足を見つめる。
少し経って、いきなり後ろから手を掴まれた。
「おい、待てよっ!」
「っ……!」
こいつなら追いかけてくると思っていた。
……そんなことを考えてしまっている自分が情けない。
「何?」
冷たく言い放つ。
「な、何なんだよ急にっ!」
一馬が私の声音に怯えたように口籠もる。どれだけ私は集中していたのだろうか。追いかけてくると解っては居たにせよ、近づいてきたことに全く気が付かなかった。
「……。」
「俺、お前とまだ一緒に泳いでいてぇよ。」
この頃、君と一緒に泳いでなんか居なかっただろ……。部長は上位入選、私は段々と順位を落としていく部活のならず者。
「……。」
「なぁ、なんで何にも言わねぇの?」
「……ごめん。」
そっと掴まれた腕を抜いて歩き出す。先程とは違いゆっくりとしか歩けなかった。視界がプールに入った時のようにボヤけて、手の甲で目を拭う。
もう彼は追いかけて来なかった。
私は、2日に1回は依存したいのに、1週間に1回は独立したくなる。
1ヶ月に1回は無性に泣きたくなるのに、1日に1回は笑わないと死にたくなる。
私はその日、部活を辞めた。
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