いつか君が泳げるようになったら。

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「ねぇ、(アサヒ)さん。」 そっと顔をあげる。 気に入らない顔を隠す前髪のせいで記憶の中の私の視界はいつでも薄暗い灰色のフィルターがかかっていた。 「な…んですか……?」 気に入らないのは顔だけじゃない。 この妙に濁った声も、強ばった肩も、丸まった背中も。 何を着ても似合わないこの容姿… 全てが気に入らない。 それらを隠そうとして余計惨めになっている事だって解っている。 が、どうにもできない。 恥ずかしくて、恥ずかしくて。 人前に立てる姿じゃないと解っているからこそ、 全てを隠すような服装が一層情けなくさせていた。 「旭さんって何部だっけ?」 「あ、帰宅部…っす」 声そのものが気に入らない為、可愛い喋り方なんてできるわけもない。 兄がいることもプラスされ、喋り方は常に高校野球児のようだった。 「やっぱり!」 「……?」 でも、この時の彼女の目は本当に輝いていて。 灰色の世界にそこだけ色がついていたように思える程だった。 「ねぇ、旭さん。」 髪がそっと風になびくのと共に灰色のフィルターが取り除かれる。 「水泳部に入ってみない?」 風の悪戯で隠していた自分の瞳が露わになったにも関わらず、動くことが出来なかった。 全身に鳥肌が立ち、金縛りにあったように動けない。 彼女はクラスの中心にいる女子ではなかった。 その為か、メイクや髪を染めたりなどは一切していなかったが、 風で流されるその長い黒髪と光を受けて輝く瞳が 彼女をより一層輝いて見せていた。 「っ……。」 小さく頷く。 水泳は嫌いではなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーー 「やっぱり私の見込んだ通りだね!」 彼女は水から上がった私をプールサイドから見下ろし、仁王立ちで言った。 「そう…っすか。」 「ええ!」 小学校の頃は水泳を習っていて県の大会などにも出たことがあった。 まぁ結果は惜しくも6レーン中、3番目だったが。 しかし、中学校に入ってからはそんなことも忘れてしまっていた。 新しく作らなければならない友達、急に難しくなった授業の内容。 それに加えて委員会や部活まである。 急に変わった日常から私は目を背けることができなかった。 「もしかして、水泳とか習ってた?」 彼女の言葉に軽く頷く。 プールの縁に手をつき、重心をあげてよじ登る。 ここで嘘をつく必要は何もないと思った。 「やっぱり!泳ぎ方が素人じゃないって思ったんだ。」 「……ありがとう、ございます。」 何故か彼女にタメ口で話すのは躊躇(ためら)いがあった。 彼女は私と違い何か神々しさを感じるような人だったから。 それは見た目の美しさもそうだし、 中身もその容姿をそのまま写したような、人を笑顔にするような…。 私は彼女の顔を見上げた。 彼女の髪は光を受けて焦げ茶色に輝く。 ふと風が吹き、ふわりと髪がなびいた。 「あの、どうして私のことをこの部活に呼んだんすか。」 「あー。それはね…」 彼女は舞い上がった髪の毛をさらりと耳にかけ、遠くを見た。 「君が………だよ。」 耳元でゴウゴウとなった風に彼女の声はかき消された。 「あの、なんて…」 彼女は少し目を見開いたかと思うとそっと言った。 「ごめんね、なんでもない。」 「え………?」 「てか、今日風強いねー。さっ!早くタオル被って!」 そう言って彼女は私の頭に白いバスタオルを被せた。 何かを誤魔化したようなその話し方にそっと下を向く。 どれだけ考えても風に邪魔された先程の言葉は解らなかった。 「もう!プールも屋内にして欲しいよねっ!」 彼女の弾けたような声が真っ白な視界の中聞こえてくる。 そっとタオルから顔を覗かせると夏の日差しが視界に差し込んだ。 「っ………。」 そっと手で影を作る。 やはり私は、日陰じゃないと生きてはいけない。
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