右腕

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 Xは走っていた。ぜいぜいと息を荒げる音と激しい足音がスピーカー越しに聞こえてくる。それに加えて、背後からは甲高い汽笛のような音。振り返ることはできない。その一瞬が惜しいと言うがごとく、Xは前だけを見据えて走り続ける。  行く手には岩のような壁が左右に立ち並び、Xの走るルートを制限する。全力で走っているにもかかわらず、背後の音は決して遠ざかってはくれない。むしろ、刻一刻と迫っているような気すらしてくる。  Xをいつでも引き上げられるよう、スタッフたちに命じる。スタッフたちが持ち場につくのを横目で確認しながら、私はディスプレイに映し出されたXの視界に集中する。  けれど、Xは自分から引き上げを求めてこない。いつもそうだ、Xはどれだけ追いつめられるような状況になっても、めったに引き上げを求めない。自分の判断が及ぶ範囲では『異界』の探索を続けようとするのだ。たとえ、その判断が、正しかろうと、間違っていようと。  ……果たして、Xは走り続けていたが、その行く手に何かが現れたことで、思わずその速度ががくりと落ちる。それが、こちらに向かってくる自分と同じように見える『ひと』だと視認できてしまった時点で、本来ならば私が判断を下すべきだったのだろう。  ひとを見つけたXがどうするかなど、わかりきっていたのだから。 「来ないでください!」 『異界』の人間に言葉が通じるかなどわからなかっただろうが、Xは叫んでその場に立ち止まり、今度こそ背後を振り返る。  いつの間にかすぐ背後まで迫っていたのは、立派な鬣を持つ、巨大な六足の獣だった。口から蒸気のようなものを吐き出したそれは、Xに向かって飛び掛かってくる。ほとんど反射的な行動だったのだろう、Xは獣に向けて片手を突き出して。  その、片手が、食いちぎられたのを、目にした。
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