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二、不良アンドロイドを探せ!
「あー! ムカつくムカつくムカつくー!」
田中亜仁衣は、空間に映し出されたTV画面に向かって、思い切り口を尖らせた。かれこれ、もう一時間はこうしている。
亜仁衣は、昨日の詳細を思い出していた。それは、遊園地で写真撮影をしたとき――あの藤井貴伊守の見た目の男が、勝手に自分にキスしてきたとき――のことだ。
「キースとでさえ、キスをしたことないのに! っていうか、誰ともしたことなかったのに!」
亜仁衣が「もう!」と、ソファにクッションを投げつけると、そのはずみでソファのはしに置かれたパンダのぬいぐるみが床にころがり落ちた。哀れなパンダは天を仰いでいる。
その様子を見ていたエプロン姿のキースは、困り顔で軽くため息をついた。そして、右手に持ったオタマを自分の顔の近くに持ってくると、
「僕がキスしなおそうか」
と笑顔でおちゃらけてみせた。
「やだっ……! な、何言ってんの…………」
亜仁衣は、借りてきた猫のように大人しくなってしまった。それを見たキースは、ふふっと笑った。
「やっぱり、亜仁衣はかわいいね」
「からかうの禁止! 所有者の命令」
「は~い」
キースは台所に向き直ると、鼻歌交じりで料理の続きを始めた。
亜仁衣がキースとキスをしたことがないのには事情があった。それは、前述のアンドロイドの絶対服従機能――所有者の命令を絶対に聞かねばならないという機能――のおかげだ。言い換えれば、もし亜仁衣がキースにキスを望めば、たとえ嫌だったとしてもアンドロイドは絶対に拒むことができない。拒むどころか嫌だと言うことさえもできないのだ。
亜仁衣は、信頼を寄せてるキースに、絶対にそんなことはさせたくなかった。
「そんなことさせたくないし……」
そう思った瞬間、亜仁衣は、あの勝手にキスをしてきた遊園地の男のことを思い出してしまった。
「私は! あいつみたいに横暴な奴じゃないから、そんなことしないの! あーー!」
そう叫びながら、ソファに突っ伏した。
キースは、テーブル上のピンクのお皿に、得意料理の『世界炒め(世界50カ国の野菜てんこもり)』をよそると、やれやれとため息をついた。
そうしてると、お昼のバラエティー番組に藤井貴伊守の姿が映し出された。
「藤井(ふじい)貴伊守(キース)……!」
亜仁衣は瞬時に画面へかじりついた。その目は完全にハートマークだ。
「明日17日から、全国空中映画館で上映される『旅立ちのセオリー』に主演する藤井貴伊守さんでーす」
番組のMCがそう言うと、藤井貴伊守は笑顔で「どうも、こんにちは。藤井貴伊守です」と、拍手を送る番組観覧者や共演者たちに向かって会釈をした。これは、宣伝のために番組を渡り歩く、いわゆる放送局の一日電波ジャックだ。
「これが本物の藤井貴伊守! ああ~、かっこいい~!」
亜仁衣は空間TVの画面に抱きついた。でも、画面は空間に照射された映像だから、すり抜けてそのままカーペットに突っ伏してしまった。打ち付けた顔の痛みもなんのその、亜仁衣は嬉しさいっぱいで足をバタつかさせた。嬉しすぎて、今にも泣き出しそうな勢いだ。
亜仁衣の態度が急転直下なのにはわけがあった。それはつい一時間前、亜仁衣は藤井貴伊守のブログを見たからだ(この時代はTV網から見ることができ
AOMORI(アオモリ)と亜仁衣の住む新東京は、そう簡単に行き来することはできない。そして、ヴログ動画の藤井貴伊守には、フケも無精ひげも鼻毛も腕毛も無い!
おかげで、昨日、遊園地で見た藤井貴伊守の見た目の男は、やはり、どこぞの芸能人型アンドロイドだったのだ――そう亜仁衣の中で認定されたのである。
生放送の藤井貴伊守は、主演映画の内容を聡明な口ぶりで紹介している。いつもの爽やかな笑顔だ。昨日の悪臭ただよう不届き者とは似ても似つかない。
「亜仁衣、落ち着いた?」
キースは世界スープをテーブルの器によそりながら笑顔で言った。
「うん、藤井貴伊守のおかげ」
亜仁衣は、さっき床に落ちたパンダのぬいぐるみをつかみ取ると、ぎゅっと抱きしめた。パンダの顔は、押しつぶされてなんだか苦しそうだ。
そのとき、亜仁衣の目には、近くの棚に放り出された昨日の遊園地での写真が目に入った。あの不届き者と亜仁衣とキースの三人で撮られた写真だ。
写真の中の不届き者は、美しい貴族衣装をまとい爽やかな身形をしている。映像照射機能『migirei(ミギレイ)』のおかげで本物の藤井貴伊守と違わない。光り輝いている。その上、三人の周囲は花畑で背景はお城なもんだから、亜仁衣は不覚にもあのトキメいた瞬間のことを思い出してしまった。本物だと思ってしまったあの瞬間のことを――。
そのトキメキを思い出すと、本物じゃなかったことに少しガッカリしてしまう。でも、ここに写っているのは、あの横暴な不潔男だ。だから、もしこれが本物ならば、それはそれでガッカリだ。やっぱり、あの男は偽者で良かった。亜仁衣はそう思い直した。
問題は、あの偽者の藤井――偽藤井が足から血を流していたことだ! 偽藤井は、藤井貴伊守本人じゃない。けれど、ただのアンドロイドでもない。じゃあ、一体何者なのだ?
昨日、亜仁衣は、遊園地から帰ると散々あることを確かめた。でも、念のためもう一度調べることにした。藤井貴伊守に双子の兄弟がいないかどうかをだ。
でも、結局のところ、各種情報、どこを探しても、藤井貴伊守には兄ひとりとしか出てこなかった。それも、あまり似ていないという。そもそも、ファンである亜仁衣にとって、そんなことはとっくに承知のことだった。
亜仁衣は、後ろ前反対にソファに乗ると、背にひじをかけて言った。
「ねえ、キース。なんで、あいつ、足から血を流してたんだろう」
「さあ」
「アンドロイドが血を流すなんてことある?」
「さあ、わからないよ」
そう言ったところで、キースは亜仁衣の席に箸を置いた。
「亜仁衣姫、ご飯ですよ」
亜仁衣は、ハッとしてテーブルの上に目をやった。
「わあ、おいしそう~」
そう言うと亜仁衣は自分の席に飛んでいった。
それから一ヶ月。あの遊園地での出来事はなんだったのかというくらい、亜仁衣とキースにとってはいつもどおりの日々が過ぎていった。
その間、亜仁衣は、かの偽藤井について何度もキースに質問してみた。けれど、キースはどんな質問にも、ただ、わからないと答えるだけだった。その上、偽藤井の話をするとなんだかキースの言葉数が少なくなる。
もしかして、キースは偽藤井について話したくないのかもしれない。アンドロイドは、たとえ嫌だったとしても所有者に対しては拒否権限がない。だから、いつだってその本心はわからない。でも、ほんのちょっぴり気持ちが表に出てしまうのだ。それを察した亜仁衣は、キースにあの偽藤井のことについて話すのは、極力控えることにした。
けれどやっぱり気になる。だから、亜仁衣は、キースには内緒でかの遊園地や藤井貴伊守が出没すると噂の場所に、ひとり足を運んでは嗅ぎ回ってみた。
その調べにあたって、亜仁衣は、昔の探偵さながらハンチング帽をかぶってみたりもした。けれど、ハンチング帽もむなしくそれらしい手掛かりは何ひとつ得られなかった。
”芸能人型アンドロイドと暮らす独身者の集い”
立派な文字で、パーティー会場の案内板にはそう書かれていた。
「こんなに派手に書かなくても……」
亜仁衣の心配通り、看板を目にして通り過ぎる人々が、おのおの笑いを堪えている。
亜仁衣とキースは、このパーティーが催される会場『mimoza(ミモザ)』に来ていた。
先日、調査に行き詰ってしまった亜仁衣探偵は、新しい方法を試みることにしたのだ。それは、偽藤井同様の『不良アンドロイド』を探すことで、偽藤井の正体解明への糸口を掴もうというものだ。亜仁衣は、その情報収集のために、この”芸能人型アンドロイドと暮らす独身者の集い”という名のパーティーに来ている。
不良アンドロイド捜索。当初は中古アンドロイド店を巡ったけれど、目ぼしい調査結果は得られなかった。けれど、最後に回ったお店の店長さんに良いドバイスをもらったのだ。「不良アンドロイドを探したいのならば、アンドロイドの所有者達に話を聞いてみるのはどう? きっと、誰よりもアンドロイドには詳しいに違いないよ」と。確かにそのとおり!と思った亜仁衣は、こうしてアンドロイド所有者たちの集まるパーティーに足を運んだのだった。
ちなみに、パーティー”芸能人型アンドロイドと暮らす独身者の集い”の目的は出会いだ。出会いといっても、男女の縁をつなぐ合コンのようなものではない。それは、今や、世間から白い目で見られる芸能人型アンドロイド同士で友達になろうだとか、孤独な所有者同士で心を温めあおうだとか、そういった類のものである。同じ境遇の人々が全国から寄り集まるのだ。
このようなパーティーは昔からあった。でも、亜仁衣はとある理由から、一度も参加したことがなかった。でも、今の亜仁衣は、あの偽藤井の正体が気になって仕方がない。細かいことは気にしていられない。
けれど、やっぱり初めてのパーティー参加だ。会場を前にして、亜仁衣はだんだん緊張してきた。けれど、それを振り切るかのように、意を決して会場の扉を開けた。すると、亜仁衣とキースの目の前には、噂どおりの光景が広がっていた。
「世麗澄(セレス)ちゃん、はい、あーん」
「僕の莉璃(リリ)たんのほうがかわいいに決まってるじゃないか」
「私の大事な嫁の樹梨絵都(ジユリエツト)です」
会場に集まっていたのは、若い女性アイドル型アンドロイドを引き連れた男性だらけだった。年齢層はお年寄りから若者までさまざま。そもそも、芸能人型アンドロイドを所有するのはほとんどが男で、女性の所有者はほんの1パーセント以下だって言う。そういったわけで、同じ境遇の友達を作れそうもないと思った亜仁衣は、パーティーに参加したことがなかったのだ。
その雰囲気で、誰が所有者で誰か芸能人型アンドロイドなのか、一目でわかる。男たちは、人目をはばからず、連れのアンドロイドにベタベタしたり、用意された立食オードブルをアイドルアンドロイドの口に運んだりといちゃついている。アンドロイドのほうも、絶対服従機能があるからか何なのか、まんざらでもない様子だ。
「ひゃっ!」
思わず亜仁衣は目をつむった。目の前にいた中年の男が、一緒にいた女性アイドル型アンドロイドの頬にキスをしたからだ。
亜仁衣は、顔を赤らめてキースのほうを見やった。キースは苦笑している。亜仁衣は慌ててその場を離れた。
けれど、いくら目線をよけたところで、亜仁衣の目はチカチカした。それは、男たちの引き連れる女性アイドル型アンドロイド達の服装のせいだ。胸の谷間や太ももを強調した際どいものから、際限なく乙女チックに仕立てたゴスロリ調の服まで、明らかに所有者の意志を反映したものばかりだ。
服装そのものというより、所有者の意のままにされている女性アイドル型アンドロイドという構図が、亜仁衣をそわそわと落ち着かない気分にさせるのだ。昔の言葉で言えば、そう。何となくハレンチ。
どうしても目に入ってきてしまう。亜仁衣は、顔を赤らめ伏し目のまま会場を歩き回った。
そうして、雰囲気に惑わされた亜仁衣だけど、パーティーに参加した目的はしっかり忘れてない。それどころか、そのことばかり考えてると言っても過言じゃない。亜仁衣は、上手にキースの目を盗みながら、芸能人型アンドロイドの所有者達に、かの不良アンドロイドについて聞き込みをすることにした。
――まずは、キースがお皿に宇宙食フルーツを取り分けている瞬間の聞き込み。
「フケまみれのアンドロイドに心当たりはありませんか?」
「へえ? そんな酷い所有者が居るんだ。許せない!」
――キースが会場に飾られた生け花の制作者名に目を凝らしている間。
「キスしたり、異性を突然襲うアンドロイド、知りません……?」
「聞いたことないなあ」
――そして、ロボットのボーイさんから新しいグラスを受け取っている間。
「ナルシストで傍若無人(ぼうじやくぶじん)なアンドロイドを知ってますか?」
「それって、プログラムミスじゃないかなあ。え? 会ったことないかって? ないよ~。そんな危ないアンドロイド」
同じように、亜仁衣は足から血を流すアンドロイドについても聞いてみた。けれど、「有りえない!」と鼻で笑われてしまった。
そして、勿論だけれど、女性アイドル型アンドロイドしかいない会場内には、キースと同じ藤井貴伊守型アンドロイドはいないようだ。
「あ~あ、無駄骨だったかなあ」
亜仁衣がそうボヤくと、「何が?」とキースが様子をうかがってきた。だから亜仁衣は、
「ううん……! なんでもない!」
と慌てて、誤魔化すように近くのテーブルのシャンパングラスを手に取った。
そのとき、亜仁衣はテーブルの向かい側で、シャンパンを酌み入れている年配の女性と目が合った。女性は、勿論ロボットのスタッフではないし、芸能人の見てくれでもない。ということは、消去法でいってこの女性は所有者のほうだ。
その傍を見やると、七色チョコフォンデュのテーブルの前に背の高い男が立っている。後ろ姿だから人間なのかアンドロイドなのかわからない。けれど、背の高さはキースと同じくらいだ。そして男は、黒づくめの服装をしている。まさか、偽藤井――?
そう思った瞬間、男は振り返った。
「か……、加藤鳥陸地(バードランド)!」
驚いた亜仁衣は思わず声を上げた。男の正体は、なんと往年の大俳優・加藤鳥陸地(バードランド)』だったからだ。つまり、芸能人型アンドロイドだ!
「どうしました?」
加藤鳥陸地(バードランド)の見た目の男が話しかけてきた。紳士的な振る舞いとそのきらめく目で。
「あ……あの。そちらの所有者のかたに、お聞きしたいことがあるんですが」
すると、加藤鳥陸地(バードランド)の見た目の男は、眉を寄せて、
「すみませんねえ、お嬢さん。この女性……幸子(さちこ)さんは、いわゆる”夢の世界の住人”なのです。何か聞きたいことがあるならば、この私がお答えしましょう」
夢の世界の住人――。それは、この時代の隠語みたいなもので、いわゆる認知症を患った人のことを言う。所有者である年配の女性は、亜仁衣の顔を見て笑顔で首を傾げた。
そういえば、介護の必要な年配者の介添えとしてアンドロイドがお供をするという話は良く聞く。この女性の場合は、それが加藤鳥陸地(バードランド)の見た目の芸能人型アンドロイドなのだろう。
ここは、アンドロイドのほうに聞き込みするしかない。
「あの、不良アンドロイ……。いえ……! なんでもないです!」
忘れていた! 隣りにはキースがいる。偽藤井に関する調査はキースには内緒だ。そのことを思い出した亜仁衣は、慌てて口をつぐんだ。
そのあとキースの目を盗んで、この加藤鳥陸地(バードランド)さんに不良アンドロイドについて聞いてみた。すると、他のアンドロイドに関しては何も知らないとだけ返されてしまった。 残念。
こうして、亜仁衣は、会場中のほぼ全員に話しかけた。けれど、何も収穫は得られなかった。でも、せっかく来たのだし、誰か仲良くなりたい芸能人型アンドロイドはいないかとキースに聞いてみた。すると、キースは苦笑いで首を小さく横に振った。その目線の先には、女性アイドル型アンドロイドにチューを迫っている男がいた。
「あはは……」
亜仁衣のほうは引きつり笑い。でも、次の瞬間、露出の激しい女性グラドル型アンドロイドのお尻をなでまわしている男を目撃してしまった!
「ひゃっ!」
亜仁衣は、本日二度目の叫び声をあげると、顔を赤くして両手で目を覆った。すると、男は亜仁衣の目を見てにんまりと笑った。面食らった亜仁衣は、慌ててキースの手を引っ張ると会場から逃げ出した。
会場を出た亜仁衣は、顔を赤らめたままため息をついた。
「想像してたより、凄かった~……」
隣りを歩くキースは、苦笑いでそれに同意した。
やっぱり、亜仁衣のような若い女性の所有者は珍しい存在らしい。アイドル型を連れた男性達も、往年の大俳優・加藤鳥陸地(バードランド)を連れた年配女性も、亜仁衣とはタイプが違う。男性たちは、基本的に人の目など気しないタイプばかりだし、年配女性は介護目的のアンドロイド所有だから、人に笑われることなんかない。
そういったわけで、亜仁衣には、自分の境遇を分かち合える相手が、これまでずっといなかったのだ。そして、その状況はこれから先もずっと続くに違いない。
でも、今の亜仁衣にとって、そんなことはどうでも良かった。それよりも遥かに気になることがあるからだ。それは、あの偽藤井の正体だ。
(手がかりないなぁ……)
亜仁衣がため息を吐くと、隣りのパーティー会場の案内板が目に入った。案内板には、”一般人型アンドロイドと暮らす独身者の集い”とある。本来は、芸能人型アンドロイドを連れた亜仁衣がこの会場に入ることはできない。けれど、中にいるのはアンドロイド所有者だ。不良アンドロイドについて、何か知っているかもしれない。
「キース、ひとりでここ入ってみたいんだけどいい?」
「勿論。いいよ、楽しんできて」
キースの了承をうけて、亜仁衣は会場の扉を開け、中を覗き見た。すると、その先の光景は面白いものだった。なぜならば、そこにいた人々は、一体誰がアンドロイドで誰が所有者なのか、まったく見分けがつかなかったからだ。まるで普通の人々が集うごく普通のパーティーのようだ。そして、それに加え何となくハイソな雰囲気が漂う。
一般人型アンドロイドの人気は、芸能人型アンドロイドのそれと違って未だ衰え知らずだ。ゆえに、一般人型アンドロイドの値段は、販売当初のままの高額――500万円相当を保っている。相変わらず、裕福な者にしか手にできない代物だ。だから、その生活ぶりが見た目にも現れてる。
「見て見て。お金持ちっぽい雰囲気」
亜仁衣の手招きに乗って、キースも扉の隙から会場を覗いた。
(でも、この人たちも、非リアなんだ……)
そう。アンドロイドを連れている者は、例えハイソであろうと例外もれなく非リア充。それが定説。でも、この会場の人々には、それを感じさせない雰囲気が漂っている。その服装と同じく、そつなく繕っている――といった感じだ。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
亜仁衣は、おそるおそるひとり会場に忍び込むと、不良アンドロイドについて聞いて回った。今回は、キースが会場の前で待っていてくれてるから、亜仁衣は堂々と聞き回ることができた。でも、聞けた内容はというと――
「知らないなあ」
「それより、あなたのアンドロイドを紹介して!」
「血が出る? そういう手品なんじゃないのかしら?」
「そんなアンドロイド、早く修理してもらわないと」
と、実のある話ではなかった。
そのあと、亜仁衣は結構な人数に不良アンドロイドについて聞いて回った。でも、やっぱりあの偽藤井につながるような情報はなかった。そうして、気づいてみたら、同じ人に二度目を聞き込みをしてしまった亜仁衣は、諦めて会場を出ることにした。
(やっぱり、血を流すアンドロイドなんかいるわけがない。まさか、偽藤井は本物の人間なんじゃ……)
そんなことを考えていたから、亜仁衣は気をとられた。会場の入口近くにある大きな花瓶を倒してしまったのだ……!
「わっ!」
亜仁衣は落ちそうになった花瓶を支えようとした。でも、
「きゃあっ!」
今度はバランスを崩して、会場に向けてすっころんだ! それを見た会場中が、わっ!とどよめいた。けれど、
「ふぅ。間一髪!」
声の主は、人間の十倍の力を持つキース。床にころげ落ちる直前の亜仁衣を軽やかに救い上げたのだ。もう片方の腕には、きちんと花瓶を受け止めて。
「亜仁衣、大丈夫?」
「……うん! ……ああ、怖かったぁ」
キースに抱き起こされて亜仁衣は安心した。でも、その矢先、会場中の妙な視線が自分たちに向いているのに気がついた。
――藤井(ふじい)貴伊守(キース)……ふふっ。
――芸能人型アンドロイド……。
会場中に、くすくす笑いが広がる。
同じアンドロイド所有者でも、芸能人型と一般人型とでは大違いだ。あの人もこの人もニヤニヤと笑っている。ああ、会場中の視線が突き刺さる。
恥ずかしくなった亜仁衣は、キースの手を引いて逃げるようにして皆の視線から逃げ出した。
(ここなら大丈夫だと思ったのにっ!)
今日も、”偽藤井”関連情報は何も得られなかった。帰りの途、亜仁衣は憂鬱な顔をして歩いていた。晴れ上がったとても良い天気だというのにずいぶんと不似合いな表情だ。隣りを歩くキースは心配そうな様子で亜仁衣の顔を覗き込んだ。けれど、それに気づかぬほどに、亜仁衣の心はもやもやしていた。
亜仁衣は、あの偽藤井のことを思い出すと、心がざわついてどうにも止まらない。あの男が、勝手にキスをしてきたこと、それから足から血を流していたこと。それらが、頭の中をぐるぐると駆け回る。早くその正体を突き止めなければ、亜仁衣の頭はどうにかなってしまいそうだ。
そのとき、キースはあるものに目を止めた。「あっ」と言ったキースの視線の先には、ビル屋上に設置された電子広告看板があった。看板には、ビールを手にした藤井貴伊守が映し出されている。つられてそれを見た亜仁衣は思わず目を見開いた。なぜなら、看板の藤井貴伊守の笑顔が、あの遊園地で偽藤井が見せた笑顔にとても良く似ていたからだ。それも、亜仁衣にキスしてきたときのものに――。それは、キースがこれまで、たったの一度きりも見せたことのない笑顔だ。
偽藤井は、キースよりも本物に似ている。看板の藤井貴伊守の笑顔はそれを物語っていた。おかげで、亜仁衣のもやもやは大爆発した。
(偽藤井……! あいつ何者なの⁉ 絶対に、正体を突き止めてやる……!)
そうして、ふくれっ面になった亜仁衣は、偽藤井探しの意志を更に強めることになってしまった。その様子を見たキースは、不思議そうに首を傾げるしかなかった。
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