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三、誰が本物の芸能人?
翌日もカラッとした良い天気だった。道草コーポレーションのお弁当派社員は、総合オフィスビル間をつなぐ庭園通路で昼食をとっていた。亜仁衣を含む女子従業員の三人は、中でも一番眺めの良いベンチを陣取っている。
この庭園通路は地上100階に位置している。いわゆる庭園型空中回廊だ。そこからは、老朽化の著しいスカイツリーに15頭のパンダが暮らす上野動物園、そして、ぐるりと回ってお堀に囲まれた皇居――と東京の眺めが一望できる。
東京中のどこを見渡しても空中道路が張り巡らされている。その透明な道路は太陽光を反射して虹色に輝く。おかげで、東京全体はまるで巨大な宝石箱のようだ。
さて、今、亜仁衣が食べているのは、勿論キース特製のお弁当だ。アート弁当と称しているけれど中身はなんてことはない。ただの海鮮だったりする。ただし、各種お刺身を使って、地球や月や土星やらとお米の上に宇宙絵がアートされている。一緒に食べていた同僚女子が亜仁衣のお弁当を覗き込んだ。
「亜仁衣のお弁当いつも懲りすぎ。よくそんな面倒なことするね~」
楽しそうにそう言ったのは、同期の馬宮(まみや)臨曄(リンカ)22歳だ。
「お料理アンドロイドとでも暮らしてるんだったりして、ふふ」
亜仁衣はギクリとした。鋭い指摘をしたのは、同じく同期の高串(たかぐし)把稚(パティ)21歳だ。それを聞いた臨曄(リンカ)はプチトマトのヘタをむしった勢いで、「まさか!」と言った。
「アンドロイドなんかと暮らしたら、満たされちゃって縁遠くなるって言うじゃん。亜仁衣がそんなことするわけないでしょ~。まだまだ若いんだし」
「ほ、本当、そうだよ~。はは、はははは」
亜仁衣は、目をしばつかせながら微妙な笑顔で答えた。亜仁衣が芸能人型アンドロイドのキースと暮らしていることは会社では絶対の秘密だ! この仲の良い臨曄(リンカ)と把稚(パティ)にさえ。亜仁衣がキースと暮らし始めた頃、既に世間では、芸能人型アンドロイドの所有者は恥だとされていた。だから言えなかったのだ……!
臨曄がまくしたてる。
「ああいうのって、ある程度、年とってから自分は人があまり好きじゃないって気づいた人が買うものじゃない。それか、子供のベビーシッター用か介護用として」
亜仁衣はウンとうなずいて、
「そうそう。一度、買っちゃうと捨てられないしね~。情が移るから、中古屋にも売れなくなるって言うし……」
と他人事のように言った。その言葉に、臨曄(リンカ)と把稚(パティ)はウンウンと同意しながら、ご飯を入れた口をもぐもぐさせた。
自分で言ったとおり、亜仁衣はキースを中古で売るなんてことは絶対に考えられない。それどころか、将来の結婚相手は、キースを受け入れてくれる人じゃないと無理だとさえ思っている。そうなると、相手探しは相当難航するに違いない。それどころか、恋人さえできないかもしれない――。
そんな亜仁衣の心を見透かしたように臨曄(リンカ)が言った。
「今度、128階の会社の人と合コンやるんだけど行く?」
把稚(パティ)は、間髪いれず「行くー!」と箸を持った手を挙げた。
「「亜仁衣はー!?」」
臨曄(リンカ)と把稚(パティ)が口をそろえて言うと、亜仁衣は「う~ん」と言ったあと、しばらく無言になった。そして、亜仁衣を待つことなく臨曄(リンカ)が「行くわけないよねー」と言い放った。
そう言われてしまうのも無理はない。亜仁衣は入社以来、誘われた合コンは、すべて断ってきたからだ。それは、入社前の女子高校生時代も同じことだった。高校時代には、”合コン断り師”なんていう変なあだ名が付いてしまったくらいだ。
合コンには参加したことがないけれど、亜仁衣はいろんな意味で苦手意識があったのだ。
「私、非リアだしね」
亜仁衣がそう言うと、臨曄は「違う違う」と手を左右に振った。
「亜仁衣は、いまどき身持ちが堅すぎるだけ。ひょっとして理想が高いんじゃない? そういえば、藤井貴伊守――」
亜仁衣はドキリとして、思わず胸を押さえた。臨曄は続ける。
「――亜仁衣、好きだとか言ってたよね?」
「ああ……うん。藤井貴伊守。今も好きだよ」
「まさか、ああいうのが現われるのを待ってる~とかじゃないよね」
「違う違う! あれは芸能人だから。別にああいうのと付き合いたいってわけじゃないし……。あえて言うなら、優しい人が好きかな」
(キースみたいな)
と、亜仁衣は心の中でつぶやいた。
「じゃあ尚更だよ! いっぱい合コンに出て優しい人をゲットしなきゃ。把稚(パティ)みたいに」
「そう、私みたいに! 彼氏いるのに、合コンに出るぐらい貪欲じゃなきゃ!」
「いや、それはちょっとやりすぎだけどね」
あはははははと、臨曄と把稚(パティ)は顔を見合わせて笑った。まるで漫才のかけあいみたいだ。しかし、
「でも、やっぱり合コン、苦手なんだ~」
と亜仁衣がぼそっと言うと、臨曄と把稚(パティ)のテンションはシュンと下がってしまった。
亜仁衣が合コンを苦手な理由。それは、男性に否定されたときのことを考えたらショックだというのもある。でも、それ以上に、テーブルを挟んでお互いを商品みたいに陳列(?)するという合コンの世界観そのものが嫌なのだ。そして、気に入ったら買っていくみたいなところが。(遊び人がちらほらいそうだし!)
できれば、自然に運命の人に出会いたい――。そんなことを考えながら、亜仁衣は女子高、女子だらけの会社という出会いのない環境で過ごしきてしまった。
おかげで、全然男性に出会わないものだから、亜仁衣はずっと恋人なしだ。〝自然に出会う〟どころか〝自然に非リア充化〟している。ふいに、臨曄が、亜仁衣の背中をポンッと平手で叩いた。
「何言ってんの。若けりゃバンバンモテるんだから、そういう場に出なきゃだめだよ。年とっても恋人や結婚はできるけど、若いときみたいにバンバンっていうわけには、いかないんだからね」
「そう、勿体無い!」
把稚(パティ)が続いた。亜仁衣は、それに苦笑いで答えた。
そう。非リア充には自分で選んでなっている。亜仁衣は、そのことをわかっている。だけど、なかなか、そんな自分を変えることはできなかった。
亜仁衣がキースにキスをせがまないのも、やっぱり真面目すぎるのかもしれない。相手の気持ちを大事にしようだとか誠実でいようだとか。そんな自分をそろそろ変えなければいけないのかもしれない。亜仁衣は、そう悩ましく思った。
そうこう考えていると、言葉数が少なかった亜仁衣は先に食べ終わってしまった。
(キース、ごちそうさま)
亜仁衣がお弁当の蓋を閉めると、それはオート機能で平らに畳まれた。そして、うまい具合に可愛らしいパンダの形になった。
そうだ。ふたりに、あのことを聞かないと。
「臨曄、把稚(ぱてぃ)、不良アンドロイドって知ってる?」
「不良アンドロイドぉ?」
と口をもぐつかせながら臨曄。続いて把稚(パティ)は「何それ?」
「フケまみれだったり不潔だったり、女性を襲ってくるアンドロイド」
亜仁衣がそう言うと、臨曄はしかめっ面になった。
「げえ。なんか、お食事中にいただけない話」
「ごめん」
「そんなの知らな~い」
「私もー」
臨曄とはそう言うと、残りのお弁当の処理に一所懸命になった。
さて、この時代の人々の労働時間は、平均して一日約四時間だ。これが、七十年以上昔となると一日八時間超え。歴史の教科書データにはそう記されている。けれど、労働型ロボットが台頭してからというもの、その労働の半数以上は彼らが担当してくれることになったのである。
亜仁衣は、その昔の時代のことを考えるだけで気が遠のきそうになる。現代のこの恵まれたこの労働環境は、昔の人が築いた礎(いしずえ)のおかげだ。
そういったわけで、この日の亜仁衣もお弁当を食べてからあと一時間もすれば、家に帰る予定だった。しかし、最近の亜仁衣には、会社に居残らねばならない理由があった。それは、あの偽藤井探しである。
家では、キースの目があるからできない。これまでの間、会社帰りの調査は喫茶店でしていた。けれど、長居を良くする客として店員ロボットに目をつけられた亜仁衣は、要注意人物として追い出されてしまったのだ。だから、会社の共有スペースに居残るのが丁度いい。
さて、亜仁衣探偵は、引き続き連絡の取りうる友人達に不良アンドロイドについて聞き込みをすることにした。
これまでの調べで、連絡のとれた学生時代の友人は五十三人。その中で不良アンドロイドについて反応があったのは、たったの三人だった。
その三人から聴取できたのは以下の内容である。
――ビルから落ちて片手が動かなくなったアンドロイド。
――頭を打ち付けて、冗談ばかり言うようになったアンドロイド。
――子供に嫌われて川に流されたアンドロイド。
と、そのどれもがあの偽藤井につながるような話じゃなかった。しかも、最後の川に流されたアンドロイドは、不良アンドロイドでさえもない。
「は~。全然、手がかりが無いよぉ」
連絡疲れした亜仁衣はため息をついた。それから、大変なことに気がついた。それは、社会人になってから知り合いがほとんど増えていないことだ。
なにせ、休日はキースとばかり遊んでいたから。それにしても、ちょっと酷い。社会人になってからは、同期の馬宮臨曄、高串把稚(パティ)、そして、数人の少し仲の良い先輩達以外に、知人と言える知人が増えていない。
――アンドロイドなんかと暮らしたら、縁遠くなるって言うじゃん。
亜仁衣の脳裏に、臨曄の言葉が浮かんだ。亜仁衣は、本当に縁遠くなっている。同性の友人にさえ。
ひょっとして、偽藤井のことなんか調べてる場合じゃないかも! もう、あいつのことを探すのは、これで終わりにしないと。亜仁衣は、最終的にはそう心を決めて帰宅した。けれど、このあと、亜仁衣は神様が想像以上にいじわるだと、思い知ることになった。
夕方の六時すぎ。亜仁衣が帰宅すると珍しく家の中は静かだった。キースの「おかえり」の笑顔は無い。
代わりに、部屋の中には美味しそうな炒め物の匂いだけが漂っていた。夕御飯かな。キースがいないのは、たぶん、足りない食材の買出しか何かだ。
亜仁衣は、疲れを吐き出すようにふぅとため息を吐くと、ソファに座ってみた。けれど、今日は何もすることがない。時間を持て余した亜仁衣は、後でキースと入浴時間がかちあわないように、早めにお風呂に入ることにした。
脱衣所内の脱衣スペースに入ると、亜仁衣は両腕を広げて立った。衣服は自然に脱げ、自動的に洗濯機へと転送される。
その間、亜仁衣は考えた。なんで、あんなに偽藤井にこだわっちゃったんだろう。私は、本当にあの偽藤井が本物じゃないことを証明したかったのかな。本当は、本物だってことを証明したかったんじゃ――。
そんなことを考えながら、亜仁衣は壁のボタンを押した。すると、お風呂と脱衣所の間のシールド扉が消失した。
瞬間、亜仁衣は固まった。バスタブに、見慣れた男が入っていたからだ。
「おお、おかえり!」
見慣れた男は、右手を挙げて亜仁衣にあいさつをした。
「へ?」
亜仁衣は、しばし固まった。目の前にいるのはキースだ。
亜仁衣は固まったまま顔が赤くなった。そして、
「きゃーーーー!」
と叫ぶと、勢い良く壁のシールド扉開閉ボタンを押した。即座に、お風呂と脱衣所との間のシールド扉が閉まった。
それから、亜仁衣は慌てて着替えのワンピース型寝巻きを掴み取ると、頭からスポッと被った。そして一呼吸置いてから言った。
「キース、ご、ごめん……! 入ってると思わなくて……」
お風呂からは返答がない。もしかして怒ってる……? これまで一緒に過ごした三年間。キースが怒ったことは一度もない。たぶん、大丈夫だとはわかっていても、亜仁衣は不安になった。しかし、しばらくして悠長な口調で、
「いいや~。別に慣れてるし」
と、なんとも間の抜けた返事が返ってきた。
「別にって……。アンドロイドは所有者に従わなきゃいけないからって、そんなことまで慣れなくても……。それじゃ、まるで私が悪の大王みたいじゃん!」
「は?」
そのとき、家の玄関シールド扉の閉まる音がした。
「ただいま~。亜仁衣、帰ってるの?」
玄関からキースの声がする。
「えぇ?」
亜仁衣は、脱衣所からひょっこりと顔を出した。玄関には、キースが立っている。
「キース!?」
男は、上から下までどこから見てもキース以外の何者でもない。間違いなく。
「キース! お風呂の中にもキースがいる! どういうこと!?」
「ううん」とキースは首を横に振ってから言った。「お風呂の中にいるのは、あの日、遊園地で会った偽者の藤井さんだよ」
「え……?」
次の瞬間、マンション中に亜仁衣のけたたましい絶叫が響き渡った。
「亜仁衣、落ち着いて」
亜仁衣の耳には、キースの言葉も届かない。錯乱して息が乱れている。
「なんで。なんで、あいつがお風呂にいるの!? だって、さっき、私、お風呂に入ろうとして、あいつの裸見ちゃったし、私も見られちゃったよ。本当にあの偽藤井なの!? イヤあ~~~!」
それを聞いたキースは苦笑いした。
亜仁衣はお風呂場の様子をちらっと見ると、キースの腕を引っ張って自分の部屋に連れ込んだ。そのあと、部屋のシールド扉をピシャっと閉めるのを忘れずに。
亜仁衣は小声で、だけど、はっきりとした口調でささやいた。
「なんで、あいつがお風呂にいるの?」
キースも小声で続く。
「ごめん。藤井さんがカレーを食べたいっていうから、カレー粉を買いに行ってたんだ。まさか、あの人、勝手にお風呂に入るとは思わなかったから」
「そうじゃなくて。なんで家にいるのかってこと……!」
「そっか。彼を家にあげたのは、亜仁衣が一生懸命探してたからだよ」
「えぇ!?」
「気づいてたよ」
キースの言葉に亜仁衣は脱力した。
「いつから?」
「最近。いつも仕事の帰りが遅いし、出掛けたら帰ってこないし。おかしいとは思ってたんだ。そんなときに、亜仁衣の高校時代の友達だっていう相原さんから家に電話がきてね。自分は、不良アンドロイドなんか知らないって言うから」
相原蕗羅(ロラ)。彼女は高校二年生のときのクラスメイト。学年で一番おしゃべりな女の子だった。彼女に何かを話せば、明日には学校中の誰もが知っている。そのくらい、彼女はいつだって聞いていもいないことをべらべらとしゃべってくれた。たぶん、キースにも、私の探偵ごっこについてその詳細すべてを話してしまったんだろう。
亜仁衣は、それを思ってうなだれた。
「じゃあ、あいつのこと……お風呂に入ってるあいつのことは、キースが探してきたの?」
「いや、あの人が自分でうちに来た」
「へ?」
亜仁衣の口から変な声が出た。続けて、
「自分で来たって……。私達の家を勝手に調べ上げたってこと? 怖い、怖すぎるよ……! なんで家に入れたの!? 明らかに変な人……変なアンドロイドだよ!」
とまくしたてた。キースは冷静に答えた。
「さっき言ったように、それは亜仁衣があの人を一生懸命探していたからだよ。会いたいのかと思った。だから、家に――」
キースがしゃべり終わる前に亜仁衣が被せた。
「勘違い! 会いたくないよ。キースは、あいつのこと嫌いじゃないの? あまり話したがらなかったじゃん……!」
「それは、亜仁衣があの人のことを話すと、いつもプンプン怒るから。たぶん、僕の頭の中のプログラムが、あの人のことを所有者の嫌がる話として判断しちゃったんじゃないかな」
「そういうことかぁ……」
このプログラム機能はすごく厄介だ。一体、何がアンドロイドの本心なのかを、わからなくさせる。実際、今のようにアンドロイド本人さえもわからないときがある。
「じゃあ、亜仁衣はあの人には会いたくなかった。でも、あの血のことは知りたいでしょう」
「それは……」
それは知りたいと亜仁衣は思った。あの血のこととは、偽藤井が遊園地で足から流した血のことだ。
あの男は、不審者な上に、人の家を探し当てるストーカーだ。そんな危ない奴だけど、こうなったら飛んで火にいる夏の虫! 偽藤井に洗いざらい話してもらおう!!
「あ~。いい風呂だった~」
リビングのほうから、気の抜けた声が聞こえてきた。亜仁衣は、おそるおそるリビングを覗いた。すると、そこには、腰にバスタオルを巻いて上半身裸姿の偽藤井がいた。おかげで、亜仁衣はドキリとして顔が赤くなってしまった。
偽藤井は「はあ~」と声を出すと、ダイニングテーブルの椅子にドカッと座り、濡れた髪をタオルで拭きだした。
ちょうど照明の下だったせいか、その姿はキラキラと輝いて見えた。さすが、見た目だけは藤井貴伊守だ――。しかし、亜仁衣は、逆にそのことが腹立たしかった。今の亜仁衣には特に。
「亜仁衣、リビングに行こっか」とキース。
「イヤ!」
亜仁衣は、盛んに首を左右に振った。
「あいつが服を着るまで……それから落ち着くまで。もうちょっと、ここにいたい」
そう言って、亜仁衣はリビングに繋がる自室のシールド扉を完全に閉めると、枕を抱きかかえてベッドにぽんと座った。すると、キースは、
「じゃあ、僕は藤井さんの相手をしてくるよ」
「えぇ?」
「亜仁衣は、落ち着くまでこの部屋で休んでて」
「う、うん……」
キースはにこっと亜仁衣に微笑みかけると、部屋のシールド扉を開けてリビングに行ってしまった。
途端、亜仁衣は心細くなった。抱きかかえていた枕をベッドに押し付けると、音を立てないようにシールド扉まで近寄った。そして、リビングを盗み聞きするように、扉にそっと片耳をくっつけた。
「これから、カレー作るから」
「マジで~? やったぁ」
キースと偽藤井の声だろう。リビングから、そんな会話が聞こえてきた。そのあと、亜仁衣は懸命に耳を澄ました。けれど、何も聞こえてこない。
代わりに、空間TVのスイッチが入れられたようだ。テレビの音が聞こえてくる。
時折、ガハガハと笑う声が聞こえる。恐らく偽藤井のものだろう。亜仁衣は怒りにうち震えた。
(あいつ……。人んちを、自分の家のように……)
しばらくして、カレーのいい匂いが漂ってきた。
「うわ~美味そう! いっただきま~す」
その声のあとに、カチャカチャと品なく食器を鳴らす音が聞こえてきた。偽藤井がキースのカレーライスを食べているのだろう。
亜仁衣は、シールド扉を少しだけ開けるとリビングを覗いた。すると、偽藤井はダイニングテーブルでカレーライスを食べていた。あの遊園地で会ったときのと同じ黒尽くめの服装で。
(……やっと服を着たか)
ふと、亜仁衣は裸を見られたことを思い出して、思わず両手でサッと胸を隠した。亜仁衣は恥ずかしいやら腹立たしいやらで、どうにも我慢ならない。
考えてみれば、この偽藤井は亜仁衣のさまざまな初めてを盗んでいる。亜仁衣の初めてのキス、男の人に初めて裸を見られたこと、初めて男の人の裸を見てしまったこと、そして人間の男の人が初めて家にあがったこと――だ。
そうだ、この男は泥棒……。つまり、初めて泥棒だ。人生で一度きりしかない貴重な初めてを盗む泥棒。不潔でずうずうしい上に、初めて泥棒だ!
そう思ったら、亜仁衣は、段々と怒りが沸騰してきた。そして思った。こんな奴に何も恥ずかしく思う必要はない。なぜなら、この男自身が誰よりも恥ずかしい存在だからだ。
つと、亜仁衣はバンッと壁のボタンを押すと、部屋のシールド扉を開いた。
「うわぁ!」
亜仁衣の突然の登場に偽藤井は驚きのけぞった。おかげで、椅子ごと後ろに倒れそうになっている。
「お、おまえいたのか。どっかに行ってたのかと思ったわ」
亜仁衣は返事をせずフンッと鼻先で答えた。仁王立ちしながら、挑戦的な目で偽藤井を見据えている。
偽藤井は、体勢を立て直すと「なんだ、その目は」と亜仁衣に目をやりながらも、再びカレーにがっついた。また、食器の音をカチャカチャと鳴らしている。偽藤井はまだ口にものが入ったまま、
「あ、そういや、さっき女のすんげー叫び声が聞こえたけど、あれなんだ? まさかおまえじゃないよな。このマンションには猛獣でも住んでんのか?」
とスプーンの先で、亜仁衣を何度も指しながら言った。
叫び声とは、お風呂にいるのが偽藤井だ――と、亜仁衣が気がついたときのものだろう。
だが、偽藤井の言葉に亜仁衣は身じろぎもしない。挑戦的な目で頬を膨らますと、もう一歩、偽藤井に近づいた。
そんな亜仁衣をよそに、偽藤井はカレーライスを口に放り込んだ。
「いや、しかし美味いなー。おまえ、いつもこんなもん作ってもらってんのかよ。しかも、俺の見た目のアンドロイドに。いやあ、ずるい。ずるすぎる」
その食べる様子は、まるでここ数日、何も食べていなかったかのようだ。偽藤井は、フケだけはお風呂に入ったおかげで治った。けれど良く見ると、相変わらず無精ひげに鼻毛腕毛ボーボーは健在だ。
亜仁衣は目を細めて、男をにらみつけた。
(本当に、この間のあいつだ……)
リビングテーブルを見ると、偽藤井が遊園地で被っていた帽子とサングラスとが脱ぎ捨てられていた。
一歩一歩近づくたびに、偽藤井の不潔感あるもろもろが目に飛び込んでくる。その様子を見て、これじゃまるで特定の住居が無い人、つまりアンドロイド版浮浪者――浮浪アンドロイドだ!と亜仁衣は思った。
偽藤井までの距離があと数歩というところにまで亜仁衣がにじり寄ったとき、偽藤井はまたスプーンの先を亜仁衣に向けてブラブラとさせた。
「そういやおまえ。相当、俺に会いたがってたらしいな。いやあ、俺もそんなに惚れられて男冥利につきるな~」
亜仁衣の顔は、みるみる赤くなった。
「な……、何言ってんの! 会いたかったわけじゃない! あんたになんか会いたいわけないじゃない!」
「嘘つけ。キースに聞いたぞ。おまえが、必死になって俺を探し回ってたって」
「それは、別に会いたかったわけじゃ……! それより、なんで、ここがわかったのよ!」
「そりゃ~ねえ、この辺りに俺のアンドロイドと暮らしているアホがいるって、おまえはとんでもなく有名みたいだからだよ。みんなに注目されておまえは恥ずかしいな」
偽藤井はスプーンの先で亜仁衣を指し、もう片方の手で下腹を押さえる仕草をすると、わざとらしくハハハと笑いだした。
「な……!」亜仁衣は頬を紅潮させて言葉を失った。
「とにかく、こうして、おまえがアンドロイドとして一緒に暮らすくらい大好きな俺が、遊びに来てやったんだ。だから喜べ。恥ずかしがらなくていいぞ」
そう言うと、偽藤井は、鼻につく高慢な態度でニヤニヤした。
イヤなやつ――。
そのとき、亜仁衣の頭の中でプツッと音がして何かが弾けた。
「違う! 違う違う違う違う違う違う!」
そう言いながら、亜仁衣は激しい足音を立てて偽藤井に詰め寄った! 気圧された偽藤井は、また椅子ごと後ろに倒れそうになった。
「な、なんだよ!」
「違うって言ってるの! 私は、あんたがテレビの藤井貴伊守と別人だって証明したかっただけ! あの遊園地の日だって、本物のほうはAOMORI(アオモリ).にロケに行ってたって言うし、あんた何者なのよ! やっぱり不良アンドロイド――!?」
亜仁衣がまくしたてたから偽藤井はひるんだ。
「いやあ、それは……」
亜仁衣がダンと地団駄を踏むと、偽藤井は苦い顔で手をかざし亜仁衣を制した。そして「それはねぇ……」と口ごもった。
そのとき、亜仁衣の勢いを後押しする決定的な言葉が聞こえてきた。
「もうひとりのゲストは、藤井貴伊守~」
声の主は空間TV画面だ。偽藤井と亜仁衣はその声の主を見た。画面には爽やかな笑顔の藤井貴伊守が映し出されている。画面の右上には”148時間テレビ生放送”とある。
リビングソファに座っていたキースはそれを見ると、亜仁衣と偽藤井に顔を向けて首をかしげた。
亜仁衣は空間TVを指差して、
「148時間テレビ生放送!」
と強調するように一文字一文字読み上げた。
偽藤井はひきつった笑いを浮かべた。亜仁衣は今度は偽藤井をサッと指差し、
「やっぱり、不良アンドロイド!」
と啖呵を切った。
それを聞いて、偽藤井は一転、力ない表情になると、観念したようにため息をついた。亜仁衣はしてやったりの顔をした。
「その態度。やっぱりあんた、不良アンドロイドなんでしょ。所有者から逃げてきたの!?」
しかし、偽藤井はもう一回ため息をつき、しばらく黙ったあと、「おまえ見ただろ」とつぶやいた。
「は?」
「見ただろ」
偽藤井は念を押すように、もう一度同じことをつぶやくと自分の足を指差した。
それは、この男が遊園地で怪我をして血を流したほうの足だ。その時の傷跡がまだ少し残っている。
「どういうこと……?」
と亜仁衣が言うと、キースが偽藤井に向かって、
「テレビの藤井さんが、アンドロイド――?」
と言った。
亜仁衣は一瞬、その言葉の意味を理解できなかった。けれど、しばらく考えて理解するとフッと吹いた。
「何言ってんの、キース。面白い」
そう言ったあと亜仁衣がふふふと笑っていると、偽藤井の妙に真面目な顔つきが目に入った。亜仁衣は徐々に笑うのを止めた。
「何……? その顔」
偽藤井は亜仁衣の質問に答えず、真面目な顔のまま一息吸うと、また、ふぅっとため息をついた。それから、空間TV画面を見つめた。
次に、亜仁衣は「え?」とキースを見やった。すると「そういうことなのか……」とキースも空間TV画面を見つめて言った。続いて、亜仁衣も空間TV画面を見つめた。そうして、三人が押し黙ったから、リビングには空間TVの音だけが鳴り響いた。
しばらくして亜仁衣は我に返った。そして、偽藤井を見て、勢い良く頭を横に振りながら、
「いや! いやいやいやいやいや! そんなわけない。そんなわけがないって!」
しかし偽藤井は何も言わない。相変わらず真面目な顔つきをしている。
「ちょっと、ふざけないでよ」
「何がだよ」
「何か言ってよ」
「だから、俺が――」
「やっぱり、何も言わないで!」
亜仁衣は振り払うように言った。不都合なことは何も考えたくなかった。
でも、残念なことに、即座、不都合な考えが頭に浮かんでしまった。
(こんなフケ、鼻毛、腕毛、自己中男が、本物の藤井貴伊守。……で、テレビに出ている藤井貴伊守がアンドロイド――!?)
亜仁衣は、またぞろ頭を横に振った。
「そんなわけない! テレビに出てる藤井貴伊守がアンドロイドで、あんたが本物だなんて……。絶対に信じない!」
それを聞いた偽藤井は立ち上がると、「信じないも何も」とリビングソファに向かって歩きだした。そして、
「本当なんだから、しょうがないじゃ~ん」
と、キースの隣りにドカッと座った。
そして、当たり前かのように、テーブル上に置かれた麦茶を勝手に飲みだした。それは、さっきまでキースが飲んでいた麦茶だ。
絶句する亜仁衣をよそに偽藤井は長い足を組むと、ソファの背もたれに片ひじをかけた。その反動で、偽藤井のフケがパラパラと舞い落ちた。どうやら、頭を洗いきれていなかったようだ。亜仁衣は思わず、「ひいっ」と声を出した。
そして、次に空間TV画面の藤井貴伊守が目に入った瞬間、偽藤井のおかげで彼自身にも〝フケ〟という変なイメージが付いてしまったことに気がついた。途端、亜仁衣は青ざめた。
このままでは、テレビの藤井貴伊守まで嫌いになってしまうかもしれない――。悪寒を覚えた亜仁衣は、偽藤井の前に立ちはだかるとその腕を思い切り引っ張り上げた。反動で、偽藤井は半分立ち上がった。
「何すんだ……!」
偽藤井の問いを無視して、
「キース手伝って!」と亜仁衣。
「何を?」
とキースが聞くから亜仁衣は、
「こいつを追い出すのを!」
と言い放った。うなずいたキースは、即時、偽藤井をひょいっと持ち上げた。
「うわっ、何すんだ、やめろ」
そうして、絶対に所有者に逆らえないアンドロイドは、人間の十倍はあるその力で、じたばたと抵抗する偽藤井を玄関外に追い出した。
続いて、亜仁衣はリビングテーブルに置かれたニット帽とサングラスを掴み取ると、外の偽藤井に投げつけ玄関シールド扉を閉めた。
「お~い、いいのか~! 俺を追い出してー!」
ドンドンドンと玄関シールド扉を叩く音とともに、大声が聞こえてくる。
「開けろ~!」
しばらくの間、玄関シールド扉を叩く音が聞こえた。けれど、やがて静かになった。超小型デバイスで玄関前の監視映像を出力すると、もう誰もいないようだ。
亜仁衣は、玄関壁のシールド扉スイッチをスライドして、おそるおそる扉を開けた。
すると、影に隠れていた偽藤井が駆け込んで来ようと手を差し込んできた! 亜仁衣は、シールド扉開閉ボタンを強く叩いて、シールド扉を閉めてやった。
「いてぇ!」
偽藤井の手がシールド扉に挟まれた。
〝警告。人体検出。シールド外にはじきだします〟
「うわぁ!」
外で、ドカッと尻餅をついたような音がする。
「やめろ! 俺はアンドロイドじゃないんだから、怪我するんだぞ!」
亜仁衣が、超小型デバイスで玄関前の監視映像をチェックすると、偽藤井が不満そうな顔つきで去っていく様子が映し出されていた。
亜仁衣は脱力してその場に座り込んだ。キースがそばにしゃがみこんで「大丈夫? 亜仁衣」と、そっと亜仁衣の肩に手をやった。亜仁衣はキースの顔を見つめた。偽藤井とキース。見た目は同じでも、まったくの別人にしか見えない。
亜仁衣は、へたりながら思った。アイツは一体なんなんだろう。玄関シールド扉が人体検出したからには、やっぱりあの男は本当に人間のようだ。けれど、あんなのが本物の藤井貴伊守だなんて信じたくもない。もし本物だとしても、自分が見てきた藤井貴伊守はテレビの中の藤井貴伊守だけ……!
そのとき、亜仁衣はあることに気がついた。
「そうだ! あいつが入ったお風呂を洗わないと!」
亜仁衣は脱衣場に走っていくと、脱衣所壁のお風呂全洗浄ボタンを押した。お風呂場からは、ジャージャーと洗浄音が聞こえてくる。
亜仁衣はふいに思い出した。お風呂で偽藤井に遭遇したときに、あいつが言い放った言葉を。
――いいや~。別に、慣れてるし。
慣れてるし――。裸を見られ慣れているということだ。ということは、ひょっとして、あの偽藤井は相当の遊び人なのかもしれない。亜仁衣はそう思い至った。
「ああ……イヤだ!」
亜仁衣は頭を横に振った。おかげで、亜仁衣は余計に偽藤井への嫌悪感を募らせることになった。
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