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五、これは、芸能スキャンダル!
「「「ただいまー」」」
亜仁衣の家に三人の声が響き渡った。亜仁衣は家に入ってすぐ荷物をソファの上に置くと、偽藤井に向き直って手を差し出した。
「さ! お金返して」
偽藤井――亜仁衣の中では本物認定されたけれど――は、いつもの調子でダイニングテーブルの椅子に座った。
「いや、無理だって。そもそも俺が宿泊代金を払えなかったのは、おまえ達がカメラマンから金を受け取らなかったからだろ」
「だからって」と亜仁衣は仁王立ちをした。「お金が無いなら、先に言うことぐらいできたじゃない。そうしたら、すぐに宿から追い出してたかもしれないし」
偽藤井は帰りがけに買った『cola(コーラ)』を一口飲むと、その『cola(コーラ)』を持ったほうの人差し指で亜仁衣を差した。
「人聞きの悪いことを言うな。俺は、決して金がないわけじゃない。今は足がつくから口座から引き出せないだけだ。もう一度言う。俺は金がないわけじゃない。ただ、引き出せないだけだ」
「それじゃ、ないのと一緒!」
にべもなく亜仁衣が即答すると、偽藤井はやれやれといった様子でため息を吐いた。
「もし、おまえが俺の口座の総額を知ったら目ん玉飛び出すだろうよ。ああ、無駄に惚れ直されるのを想像するだけで面倒臭い。いや~、ほとほと参る」
「勝手な妄想でまいらないでよ……!」
そんなふたりのやりとりを見て、キースは思わず笑い出した。
「ふたりとも、ずいぶん仲良くなったね」
それを聞いて、亜仁衣は「え~」と嫌そうな顔をした。
(仲良くなんか……ならない!)
正直なところ、亜仁衣にとって肩代わりした宿泊代金のことなんて、どうでも良かった。こうやって亜仁衣がいきり立つのにはわけがある。それは、あの箱根の夜のことだ。
箱根の夜空の下での舞台。亜仁衣はそれを見たことで、少なくともあの舞台のあった四年前までは、偽藤井が本物の藤井貴伊守だったことを悟った。そして、不覚にも四年前、あの舞台を観た自分が散々トキめいた瞬間のことを思い出してしまったのだ。
このままだと下手したら、この変てこりんな性格の偽藤井に惚れてしまうかもしれない。例え本物だったとしても、偽藤井はあの偽藤井だ。悪寒を覚えた亜仁衣は、何がなんでもそれは阻止したかった。そんなこんなで、亜仁衣は気を張って偽藤井にキツく当たっているのだ。
(本物の藤井貴伊守は、テレビの藤井貴伊守だけ……!)
亜仁衣の中では、そう決定が下された。
一方、マイペースな偽藤井は、既に自分ひとりの世界に入っている。ポケットの中身を整理するために、中の物をテーブルの上に取り出し始めた。
テーブルの上には、サングラス、ニット帽、銀色電子ペン、箱根神社のお守り、そして、あとは、なんだか良くわからないゴミかす達が置かれた。
亜仁衣の目が光った。
「これ、もらう」
そう言うと、テーブルの上の箱根神社のお守りを取り上げた。
「おい、勝手に人のもん取るな」と偽藤井。
亜仁衣は、偽藤井を無視してお守りを眺めた。
「これ、どうしたの?」
「俺が撮影商売したおかげで、あの神社の売上げが上がったんだってよ。で、お礼にもらったってわけ」
「へえ~。そうなんだ」
亜仁衣はお守りの紐を指でつかむと、ぶら下げて見つめた。
「――確か、その撮影のせいで、あの人ごみができたんだよね。おかげで私達、神社にお詣りできなかったんだ。だからこのお守りは……私がもらう!」
亜仁衣はキースに向けて、声なく「やった!」とガッツポーズした。亜仁衣は、箱根神社のお守りをどうしても手に入れたかったのだ。これは思わぬラッキーだ。
偽藤井は「ちょ……」と、とがめようとしたけれど「まぁ、いいか」とすぐに覆した。そして、
「今日から、俺もこの家に世話になるんだしな」
と耳を疑うような発言をした。亜仁衣は、少しの間、固まると偽藤井に向き直って、「は?」と短い質問をした。
「は? ――って?」と偽藤井。
ここで、見かねたキースが、わけのわからないふたりのやりとりに割って入った。
「それって、亜仁衣が寝言で言ってたあれのことかな」
偽藤井はキースを指差すと「そうそう」と笑顔になった。
亜仁衣が「何、寝言って!」と言うと、偽藤井は女の子らしい口調で、
「『私が藤井さんのことを守ってあげる~。大好き~。うちで一緒に住もうよ~』ってね。そこで、『俺のことか?』って聞いたら、おまえは、『うん』って答えたぞ」
亜仁衣は、昨晩の夢に記憶を巡らせた。そして思い出した。昨日は確かに夢を見た。でも、それはテレビの中の藤井貴伊守をマスコミ集団から守ろうとした夢だ。でも、その藤井貴伊守は、四年前に出演していたドラマでの衣装を着ていた。……ということは夢に出てきた藤井貴伊守は、ここにいる偽藤井のことだったのだろうか⁉ でも、もし、そうだとしても寝言は寝言だ!
「それは寝言でしょ! っていうか、寝言に話しかけないでよ……!」
偽藤井は両腕を頭の後ろで組むと、椅子に背もたれた。
「そうか。それは残念だな~。夢は、その人の深層心理が出るって言うから、てっきり俺のことを大好きなおまえは、俺を助けたくて仕方がないのかと思ったわ。寝言として漏れ出でてしまうくらいにな」
と言って、偽藤井は亜仁衣の顔を横目でチラリと見た。
亜仁衣はギクリとした。夢でのことを思い出したからだ。確かに、夢の中で自分は窮地に追い込まれた偽藤井らしき人を、必死に助けようとしていた。偽藤井の言うとおり、夢で見たということは、もしかして私はこいつを本当に助けたいのかも?
と思わず騙されそうになって、亜仁衣は慌てて頭を横に振った。
それから、冷静になるために偽藤井に背を向けるとソファに座った。すると、ひとつ疑問が浮かんだ。
「あ、あんた……。他に泊めてくれる友達ぐらいいないの⁉」
偽藤井は鼻で笑った。
「そりゃ、いないだろう」
「冗談でしょ?」
「言っとくけど、友達がいないっていう意味じゃないからな。俺は、こうやって世間を欺いているんだ。誰にも本当のことは言えない。だから、友達とも家族とも、全員、縁を切るしか無かった、っていうわけ」
亜仁衣とキースは目を見合わせた。なんだか、しんみりとした雰囲気になってしまった。亜仁衣は、偽藤井に背を向けたまま聞いた。
「なんで、その友達とか家族には本当のことを言わないのに、赤の他人の私達には話したのよ」
「それは……。おまえらの場合はただの事故だ。血を見られただろ。それから――」
と言うと、偽藤井は淡々とした口調で、
「おまえは俺型のアンドロイドと暮らすくらいに、俺のことが大好きだ。そんなおまえなら、俺をおとしめるような秘密を他人に漏らすわけがない。だからだ」
とほざいた。
ようやく、偽藤井のうぬぼれ発言に慣れてきた亜仁衣は、諦めたように軽くため息をついた。でも偽藤井の発言もあながち間違いじゃない。亜仁衣はテレビの藤井貴伊守に被害が及ばないよう、偽藤井のことは口外しなかろうと思っていたからだ。
そう思案していると、偽藤井は大きくひとつため息をついた。そして、憂いに帯びた声で、
「どうして、こうなったんだか……」とぼやいて、
「そういった訳で……。今、俺が信用できるのは、おまえらしかいない……」
そう言ってから黙りこんでしまった。
(何――。急に悲しそうな声を出して……)
亜仁衣は、おかしくなった偽藤井の様子が気になって、振り返ろうとした。しかし、それを遮るように偽藤井は口を開いた。
「それから。俺は、おまえらと一緒にいれば、アンドロイドとして扱われる。普通の奴らと同じように外出だってできる。もし、このままひとりで逃げ続けていたら俺は――」
また沈黙だ。亜仁衣の顔は曇った。
(まさか、泣くんじゃ……)
キースを見やると、偽藤井を見て悲しそうな顔をしている。
さすがに偽藤井のことが可哀想になってきた。あの傍若無人な偽藤井にも感じる心というものがあったのだ。
(ちょっとの間だけなら……)
家にいてもらっても構わない――。亜仁衣がそれを言おうとした瞬間、偽藤井は衝撃発言をした。
「こんな生活を続けていたら俺は……退屈で死んでしまう!」
全身に電撃が走った。亜仁衣は、勢い良く偽藤井の座るダイニングテーブルに身体ごと向き直った。偽藤井は、きょとん顔だ。
結果、偽藤井は悲しい顔なんか、ひとつもしていやしなかった。代わりに、頬杖をついて何かをムシャムシャと食べている。手に持っているのは洋菓子『kogane(コガネ)』。『kogane(コガネ)』は、亜仁衣用にとテーブルに常備してあるお菓子だ。偽藤井は、次の一口を食べた。
「このお菓子……、おいしいな~。でも……、なんかこう……、すんげー……パサパサする」
洋菓子『kogane(コガネ)』は、かぼちゃとサツマイモと蜂蜜でできた水分量の極少ないお菓子だ。だから、偽藤井は身の上話をしながら、何度も言葉を詰まらせていたのだ。
そして、キースが悲しそうな顔をしていたのは、たぶん、偽藤井が亜仁衣の大事なお菓子を勝手に食べていたからだ。
ようやく、すべてを悟った亜仁衣は、わなわなと身を震わせた。
「やっぱり……ダメ! あんたといると、藤井貴伊守のイメージが崩壊する! 頼むからもう来ないで……来るな! キース、お願い、この人を追い出して!」
その言葉をうけて、キースは「やめろ!」と抵抗する偽藤井を、苦笑いで玄関外に追い出した。
追い出すなやいなや、亜仁衣は玄関シールド扉の開閉ボタンを押した。でも、それと同時に、偽藤井が家に入ろうとしたから、おかげで玄関シールド扉に偽藤井の足が挟まってしまった。
〝警告。人体検出。シールド外に、はじきだします〟
「いて!」
外で、ドカっと倒れたような音がした。
「前にも言ったが、俺はアンドロイドじゃないから怪我すんだぞ!」
外から偽藤井の声がする。前にもこんなことがあった。しかし、今回はそのあとがやけに静かだ。
怪しんだ亜仁衣は、超小型デバイスで玄関前の監視映像をチェックした。すると、右足をかかえてじっと座り込んでる偽藤井の様子が映し出された。亜仁衣は、玄関に近づくと言った。
「ずっとそこにいても、入れないからね!」
そう言ってから耳を澄ます。けれど、やっぱり、うんともすんとも言わない。
「聞いてる?」
……偽藤井はだんまりだ。
亜仁衣は、もう一度、玄関前の監視映像を見た。監視カメラは極小で目視できない。けれど、どの世帯も設置場所が大体決まっている。だから位置がわかったのだろう。偽藤井はカメラ目線で言った。
「やべえ。足がやられたっぽい」
偽藤井、キース、そして亜仁衣――。
三人は、リビングのソファに横並びで座っている。そして、三人とも無言で洋菓子『kogane(コガネ)』を食べていた。
偽藤井は機嫌良く。キースは苦笑いで。そして、亜仁衣は、ちょっぴり機嫌が悪そうだ。
玄関シールド扉にはじき飛ばされた偽藤井は、打ちどころ悪く右足に怪我を負ってしまった。動けないというほどでもない。けれど、足をひきずってやっと動ける程度だ。たぶん打撲だろう。でも、正体がバレてしまうから病院に行くことなんかできない。
玄関シールド扉を閉じた亜仁衣は、少なからずとも責任を感じていた。偽藤井を、当面走ることができない男にしてしまったのだから。それは、偽藤井をマスコミから逃げられない男にしたのと同じことだ。
このまま偽藤井を追い出せば秘密は白日の下に晒され、確実にテレビの中の藤井貴伊守は失墜する。
だから、亜仁衣は偽藤井の足が治るまでの間、しぶしぶ家にかくまうことにしたのだ。これから一体、どういう生活になるんだろう。それを想像するだけで、亜仁衣の頭はキリキリと痛んだ。
ソファに横並びした三人は、洋菓子『kogane(コガネ)』を食べ終わると同時に麦茶で喉に流し込んだ。それからすぐ、亜仁衣は前を見据えたまま口火を切った。
「なんで、アンドロイドが芸能人やってんのよ」
自分への質問だと悟った偽藤井は答える。
「なんでって、いろいろあってな……」
偽藤井は言いよどんで、話題を変えた。
「それより、急に俺のことを本物だと認めだした気がするけど、なんでだ?」
亜仁衣はギクリとした。
「い……、いいじゃない。認めたんだから……。理由なんて無い。それより、いろいろって何よ」
「いろいろって、いろいろだ。とにかく、いろいろあって。それで、仕事が面倒臭くなったんだよ」
「面倒くさいって……。っていうことは、やっぱり、途中まであんたが本物やってたっていうこと?」
「そういうことになるわな」
間に挟まれたキースは、大人しくうなずきながらふたりの話を聞いている。
亜仁衣は偽藤井の話を聞いて、かの四年前に行われたミュージカル舞台のことを考えた。あのときは、やっぱりまだ本人をやっていたのかな。でも、なぜかそれを聞き出すことはできなかった。
また無言が続いたから、三人は同時に洋菓子『kogane(コガネ)』を手に取った。しかし、それを食べている間はお菓子のパサパサのせいで、なかなか話が進まない。そう気がついた亜仁衣は、3人の食べるお菓子を、餅菓子『osenbe(オセンベ)』に変更した。
亜仁衣は、『osenbe(オセンベ)』をバリッとかじると言った。
「で、業界が嫌になって、アンドロイドに働かせたわけね」
キースを挟んで、向こう側に座る偽藤井は答える。
「まー、そういうことになるな。けど、実際アンドロイドに働かせたのは、うちの社長」
「うちの社長?」
ふたりの間に挟まれたキースは、超小型デバイスで情報を検索した。
「広瀬玲レ音オン58歳、PLACEON(プレイスオン)芸能事務所社長」
偽藤井はキースを指差した。
「そう、その人。当時、俺のいる事務所は、経営が失敗したとかなんとかいって倒産寸前で。辞めないでくれって社長に泣きつかれたんだ。でも、俺はやる気がしなくて。で、社長が提案したってわけ」
「アンドロイドに働かせようって?」と亜仁衣。
「そう」
「でも、それって違法でしょ。まさか業務用ロボット?」
偽藤井は一笑した。
「そんなわけないだろ。テレビに出てる俺は、どう見たって人型アンドロイドだ」
確かに、業務用ロボットは人型アンドロイドのように人の見た目をしていない。そこまで精巧に作る必要がないからだ。偽藤井は『osenbe(オセンベ)』をひとかじりして続けた。
「違法だから、こうやって身を隠してるんだろ」
「でも、その事務所結構有名だし、とっくに立て直したんじゃない? もうこんな生活止めてもいいんじゃ……。人生を崩壊させてまで社長に義理立てしなくても――」
「ダメだ」
「なんで?」
「それはだな。俺は知ってしまったからだ」
偽藤井は、ひとつため息を吐くと、
「仕事をしなくても金をもらえることが、こんなにも楽だということを」
亜仁衣は絶句した。キースは思わず手を滑らし『oオseセnンbeベ』を床に落としてしまった。
そのあとしばらくの間、部屋の中には偽藤井が『oオseセnンbeベ』をかじる音だけが鳴り響いた。
(やっぱり、こいつ……ダメだ……)
亜仁衣は、心底あきれ返ってうなだれた。
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