一、芸能人型アンドロイド

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一、芸能人型アンドロイド

”芸能人型アンドロイドは、もはや死体(しにたい)!”  記事の見出しは、田中亜仁衣(アニイ)の名誉にかなりの痛手を負わせるものだった。 (何この記事~~!)  田中亜仁衣泣かせの記事は、続いてこう語る。  〝ここ十年で、人型(ひとがた)アンドロイドロボットの性能はもはや本物の人間と違わぬレベルにまで達した。その恩恵か、実在の芸能人と見た目がまったく同じである『芸能人型アンドロイド』は、販売されるやいなや大変な人気を博した。しかし、昨今、彼らは世間からその姿を消している。〟  田中亜仁衣は、今、その姿を消したところの『芸能人型アンドロイド』と、遊園地の中、仲睦まじくデートをしている。 (これで、もっとデートしづらくなるじゃん……あぁ)  記事はこう続く。  〝彼らが世間から姿を消した理由――。それには、悲しき事情があった。芸能人がそこかしこに現われるという不可思議な現象。それを目撃した人々は、即座に、目の前にいるのが芸能人型アンドロイドだと見抜いてしまうからだ。〟 「やだ! あれって芸能人アンドロイドじゃない!?」 「まだ持ってる人いるんだ。アハハハ!」  記事のとおりに見抜かれた田中亜仁衣と芸能人型アンドロイド・キースは、遊園地を行きかう来園客達に笑われ、中傷の的となっている。 (……)  亜仁衣を絶句させる記事はまだ続く。  〝そもそも、アンドロイドと行動を共にすること自体が、人との関わりが少ない = 非リア充(もはや死語であるが)と認定され、世間ではそのことを恥だとする風潮がある。この状況を不名誉に思った所有者達は、アンドロイドだと気づかれづらい『一般人型アンドロイド(一般人の見た目のアンドロイド)』の所有へと切り替えていった。そういった訳で、昨今、芸能人型アンドロイドを街中で見かけることは、ほぼ、なくなってしまった。〟  指輪型デバイスから空間に照射された映像画面でその記事を読むと、亜仁衣は、ふぅっとため息をついた。彼女の疲れを察したのか、同行していた芸能人型アンドロイド・キースが続きを読み上げる。  〝ご存知の通り、人格を備えた芸能人型アンドロイドは、人間同様の権利を与えられている。それがゆえに人権保護の観点から、法律上その廃棄が禁止されている。巷から姿を消した芸能人型アンドロイド。現在、彼らの行方は、所有者宅の片隅か、中古アンドロイド店で大量のかかえ在庫になっているかである。〟  芸能人型アンドロイド・キースがそう読みあげると、通り過ぎた女学生達がニヤニヤとした嘲笑を投げかけてきた。 「以上、記事」  そう言って身長185cmのキースは小柄な亜仁衣の顔を覗きこんだ。亜仁衣はしょげた顔をしている。 「こんなこと書かれたら、余計みんなに笑われるよ。酷い記事」  そう言って、指輪型デバイスの宝石部分を軽く叩くと、空間に映し出された記事はすぐに消失した。キースは、悲しそうな顔で亜仁衣を見つめる。  田中亜仁衣21才。彼女は生まれてこの方、21年間恋人なし、人間とのデート経験もなし。2060年現在、彼女は生粋の非リア充であり、それは自分自身でも良くわかっていた。その田中亜仁衣が、芸能人型アンドロイド・キースと生活を共にするようになったのは、ちょうど三年前、就職を期に独り立ちしたときのことだった。  亜仁衣が高校生の頃、好いてやまなかった芸能人、藤(ふじ)井(い)貴伊守(キース)。彼は、メディアでは見ない日はないというくらいに引っ張りだこの大人気俳優だった。いわゆる時代の寵児とも言うべき存在である。  藤井貴伊守は、長身にその端正な顔立ち、そして爽やかな笑顔――と、イケメン必須三点セットのそろった男だ。そんな彼には、彼自身のアンドロイド化権が認可されたあまたの芸能人型アンドロイドが存在していた。  藤井貴伊守型アンドロイド。それは、販売当初、一体五百万円はする非常に高価な代物だった。だが、それにも関わらず大変な人気を博し、数多くの一般家庭に普及した。  しかし、時が経ち、世間で芸能人型アンドロイドが受け入れられなくなると、藤井貴伊守型アンドロイドも、もれなく中古アンドロイド店で激安販売されることになってしまったのである。  中古アンドロイド店の店頭ディスプレイに並べられた藤井貴伊守型アンドロイド。会社帰りに、それをたまたま見かけた亜仁衣は、思わず泣きそうになってしまった。その静かに目をつむった顔つきが、とても寂しそうだったからだ。そして、躊躇うことなく購入を決めてしまった。  法律上、アンドロイドは一度購入したら廃棄することができない。亜仁衣は、そのことを知っていたというのに。そして、後先考えずにアンドロイドに名前を付けた。キース。それは、藤井貴伊守の名前そのものだった。  それから三年。亜仁衣とキースは、ちょっぴり奇妙な同居生活を送ることになった。亜仁衣は外で仕事を、そして、キースは家で家事をして待つ。そんな生活だ。  本来ならば、アンドロイドを所有する家庭は、小さな子供や引退したお年寄りがいるものだ。そして、アンドロイドはその日中を誰か人間と一緒に過ごすものである。そのパターンに属さない亜仁衣のような単身世帯でのアンドロイド所有は、とても珍しいことだった。  そして、アンドロイドであるキースには、法的に労働が許可されていない(人間の労働環境を守るためだ!)。その上に、世間からは疎まれる芸能人型アンドロイドなものだから、友人もいない。だから、キースは、日々、家の中でひとり家事をして過ごすしかなかったのだ。  家の中でずっとひとりというのは、思いのほか退屈でつらいものだ。それを察した亜仁衣は、気分転換にと休日になるとキースをデートに連れ出す。  アンドロイドなんだから退屈だとかないんじゃないか? そう言われてしまいそうだけれど、残念ながらこの時代のアンドロイドには、感情という要素がプログラミングされている。だから、週末のデートは亜仁衣のキースへの心遣いだった。  でも、本当のところ、それは亜仁衣にとっても楽しい時間だった。キースのアンドロイド人格は穏やかで優しい。いわゆる、とっても紳士的な男――もとい、アンドロイドだったからだ。周囲の嘲笑さえなければ、亜仁衣にとって、週末のデートは最高の時間だった。 「亜仁衣、家に帰ろうか」  キースは、行く先を見据えて言った。 「え?」  意表をつかれた亜仁衣が見やると、キースは少し悲しげな、でも優しい笑顔を向けてきた。  亜仁衣はハッとした。自分の顔が酷く歪んでいることに気がついたから。芸能人型アンドロイドのおかげで恥ずかしい、キースといるのが恥ずかしい。たぶん、自分の顔にはそう書いてあったのだ。  亜仁衣は、思い直して努めて笑顔で言った。 「やだ! 今日は、ちゃんとデートしてから帰ろう」  亜仁衣は笑顔でキースの手をとった。しかし、すぐに何かに気がつくと、手を離して何かに向かって走り出した。そして、走るスピードを落として振り返ると、 「あそこでアイスクリーム売ってるよ。食べよ!」  行く先には、露店のアイスクリーム屋がある。亜仁衣は、キースがついて来ているか少し不安になって、もう一度振り返った。大丈夫。キースは、優しい笑顔で追いかけてきている。亜仁衣は、周囲がなんと言おうとこのキースの優しい笑顔が大好きだった。  ラーメン味アイスクリーム、エビカニ味アイスクリーム。ベンチに座り、ふたりはそれぞれのアイスクリームを食べていた。最近、巷ではこの変な味アイスクリームが大流行なのだ。 「ラーメンっていうか、チャーシュー味?」  そう言って、亜仁衣は自分のアイスクリームをキースに差し出した。エビカニ味を食べていたキースは慌ててそれを受け取ると、今度は「はい」と自分のエビカニ味を亜仁衣に手渡した。亜仁衣は意を決したように、それを一口大きめに食べた。 「げっ」  エビカニ味は、亜仁衣のお気に召さなかったようだ。 「キース、よくこんな生臭いアイスクリーム食べられたね」 「ちょっと、気持ち悪かったけどね。ほら、僕の頭はプログラミングされてるから」  そう言って、キースは自分の頭を指差した。 「そんなことまで我慢しなくていいのに……」  芸能人型アンドロイドを含む人型アンドロイドは、人間らしさをより再現するために、人格、感情を保有している。でも、それと同時に所有者に都合の良いようにと、絶対服従機能――所有者に対し不平不満を言えない機能――が組み込まれているのだ。 「いつも言ってるように、私は、本当のこと言ってもらって構わないんだから……。じゃないと、キースが可哀想」 「僕も言おうとしてるんだけど、どうしても言えないんだよね。やっぱり、アンドロイドだからね」 「そんなことないよ」  そう言いながら、亜仁衣はそんなことあるか――と思い直した。  ふたりは、しばらく無言になってしまった。亜仁衣がキースの顔を見ると少し寂しそうだ。 「これ持ってて!」と亜仁衣はキースにエビカニ味アイスクリームを手渡した。そして、笑顔で目をつむると顔の前で手のひらを合わせた。 「いつか、技術が進歩して、キースが本物の人間になりますように」 「亜仁衣……?」  亜仁衣は目を閉じたまま。そして、キースに自分の本気を見せようと、合わせた手のひらに力を入れた。それから、しばらくその願いを念じた。 「亜仁衣……」  亜仁衣は、念じ続ける。 「亜仁衣ってば……」 「何? 今、真剣に願ってるの」 「亜仁衣……、目を開けて」  珍しくキースがしつこい。 「なに~?」亜仁衣は少し不満そうに、うっすらと片目を開けた。すると、目の前には花畑が広がっていた。 「えぇ?」  驚いて亜仁衣は立ちあがった。辺り一面は足が埋もれるほどの花畑。足元を見ると、花びらをひっくり返したようなふんわりとしたドレスのスカートが着せられていた。体全体を確認すると、西洋の姫が着るような煌びやかなドレスが。  キースを見やると、貴族紳士のような衣服を身にまとっている。目にした瞬間、亜仁衣は、思わずキースに見惚れてしまった。けれど、ハッとしてすぐに後ろを振り返った。視線の先には、この遊園地のお城がある。 「そういうことかぁ」  亜仁衣はカメラマンのほうを向き直った。カメラマンは、ふたりに笑顔を向けた。 「1枚1500円、いかがですかぁ?」  カメラマンの手元にある特別カメラ『migire(ミギレイ)i』からは、亜仁衣達に向かって映写機のごとく光が照射されていた。遊園地のカメラマンは、この『migirei(ミギレイ)』機能を使って、瞬時にして来園客を見た目だけ着飾り、辺りを花畑に仕立て上げる。そこで喜んだ客に、撮影を売り込むのである。  この遊園地は、目玉であるお城型アトラクションを背に、このような奇襲型カメラマンが現われることで有名である。亜仁衣はカメラマンの売り込みに応えず、キースに夢中だ。 「キース、めっちゃ格好いい~」 「亜仁衣も可愛いよ」 「うそ! 私が可愛いわけないじゃん」 「いや、可愛いって」  ふたりのやりとりを見たカメラマンは少し呆れたように笑った。しかし、次の瞬間、「あ!」と何かに気がつくと、その何かに向かって「あなたもあなたも!」と手招きをした。  刹那、亜仁衣の視界は不自然にぐらりと移動した。一瞬、何が起きたのかわからなかった。けれど、少しして亜仁衣は気がついた。自分が宙に浮いてしまったことに。  キースはポカンと口を開けて、今まで見たこともないような驚きの表情をこちらに向けている。どうやら、亜仁衣は何者かに姫抱っこされているようだ。 「なに、なになに!?」  そう言って暴れようとすると、亜仁衣は自分を持ち上げた〝何かしら〟と目が合った。その瞬間、なぜ、キースが驚愕の顔を向けていたのかを悟った。 「うそ……」  そのまま、亜仁衣は、その〝何かしら〟を凝視して何も言えなくなった。撮影の準備を終えたカメラマンは笑顔で、 「はい、行きますよ~」 と決めポーズを促す。そして、さあ撮影をしようというときになって、遠くのほうから事情ありそうな、ふたりの中年男が勢い良く走り寄ってきた。うちひとりが叫んだ。 「いたぞ! あそこだ!」  男達はそう言いながら、亜仁衣とキース達を指差している。しかし、そんな男達にも気づかぬほどに亜仁衣は放心状態だ。次の瞬間、亜仁衣を持ち上げた〝何かしら〟は、突然、亜仁衣にキスをした。  ――!  亜仁衣の心臓は、今にも止まりそうだ。そんな心臓をよそに亜仁衣を持ち上げた〝何かしら〟は、おもむろに亜仁衣から顔を離すと、満面の笑みを向けた。  亜仁衣に向けられた笑顔の主は、藤井貴伊守――キースの姿形――そのものだった。 「う……あ……あ……」  亜仁衣の口から変な声が出た。亜仁衣の視界には、キラキラと輝いた藤井貴伊守の笑顔が、これでもかというぐらいに光を放っている。段々、後光さえ見えてきた。視界が白くかすんでいる。このとき、亜仁衣は、後光って本当に存在するのだということを人生で初めて知った。  次に、亜仁衣をかかえた藤井貴伊守の見た目の男は、笑顔のままキースに近寄った。 「それじゃあ、お三方(さんかた)、撮りますよ~」  カメラマンがそう言うと、謎の中年男達は、 「なんだ、藤井のアンドロイドか! 二体もややこしい。他を探せ!」 と去っていった。 「はい、チーズ!」  こうして、亜仁衣とキース、そして藤井貴伊守の見た目の男の三人は、見事、写真に収まった。キスをされてしまった亜仁衣は、顔が真っ赤になって石のように固まり動かない。  この時代の写真現像は一瞬だ。 「いや~。凄く格好いい写真になりましたよ」  カメラマンはそう言うと、綺麗に仕上がった三人の写真を、姫抱っこされたままの亜仁衣に手渡した。写真には、棒立ちをするキースと藤井貴伊守の見た目の男、そしてその男に姫抱っこされている真っ赤な顔の亜仁衣が写っていた。 「格好いい方々をお連れですね」  カメラマンはそう言うと、亜仁衣にすっと手のひらを差し出した。でも、亜仁衣は反応しない。代わりに、キースが慌ててカメラマンの手に亜仁衣の指輪型デバイスをかざすと、チャリーンと音がして電子決済が終了。それを見届けたカメラマンは、笑顔で「ありがとうございました~」と颯爽と去っていった。次の瞬間、周囲に照射された『migirei(ミギレイ)』の補正映像は消え、三人の本来の姿が現われた。  刹那、亜仁衣を持ち上げていた男は、全身黒尽くめの姿に変わった。黒いジャージに黒いニット帽、黒サングラスをしている。亜仁衣は、その怪しい見てくれにぎょっとした。さっきまでは、カメラマンによる空間映像技術で、男の衣服はかき消されていたのだ。 「ちょ、ちょっと……、降ろして……ください!」  怖くなった亜仁衣がそう言ってジタバタしたから、男は呆れたような口調で、 「危ないな。そう暴れるなよ」 と亜仁衣を地に降ろした。  亜仁衣は、降ろされてすぐに男から離れた。そして、手元の写真と目の前の黒尽くめの男を何度も見比べた。写真の男の姿は、藤井貴伊守の姿形そのものだ。  亜仁衣は、黒尽くめ男のサングラスの向こう側をじっと覗き込んだ。男は、嫌そうに顔をそむけたから、亜仁衣はその顔をそむけた方向から再び覗き込んだ。 「あの……。あなたって、もしかして」  亜仁衣がそこまで言うと、男は、突然ニット帽とサングラスを脱いだ。やっぱり、藤井貴伊守……の顔だ――! 男は、黒い上着を脱ぎ捨てると、キースの持っていたエビカニ味アイスクリームを奪い取り一口食べた。そして、亜仁衣に満面の笑みを向ける。 「なんなのこれ……」  困惑した亜仁衣がキースを見やった。でも、キースは首を傾げるだけだった。次の瞬間、またさっきのふたりの男達がやってきた。けれど、 「またおまえら! ややこしいから、今日はここでデートするのはやめろ!」 と、また小走りで去っていった。それを見届けると、藤井貴伊守の見た目の男は、突然、笑顔から無表情になって、 「はい」 と、エビカニ味アイスクリームを亜仁衣に手渡した。「これ、くそ不味いねー」と一言付け加えて。亜仁衣は、再び、おそるおそる聞いた。 「あの……、あなたは……」 「さっきから、変な男らがふたり絡んでくるでしょ。あれ、俺のこと追っかけてんの。あんたらのおかげで助かったわ~。まさか、いまどき、芸能人アンドロイドを連れてる奴がいるとはねえ。ははは」  そのとき、三人の若い男女が横切った。 「うわ~。アンドロイド二体も連れてるよ」  その言葉をうけて、藤井貴伊守の見た目の男は、その若い男女に笑顔を見せると、英国紳士のように丁寧に会釈をした。すると若い男女は、ケタケタと笑い声を上げて去っていった。  次は、通りがかった家族連れが三人を見てニヤつく。それに対しても、男は笑顔で丁寧に会釈をした。  男が、しばらくそうやって来園客に対応すると、ようやく周囲に人がいなくなった。 「あー疲れた!」  藤井貴伊守の見た目の男は、そう言ってドカッとベンチに座ると「さ、座って座って」と、亜仁衣とキースを促した。  亜仁衣は、躊躇しつつもベンチに腰を下ろした。そして、「あなたは……」と亜仁衣がつぶやくやいなや、男は乱暴に亜仁衣のカバンを奪い取った。 「あっ」と、驚く亜仁衣を無視して男は、 「キミ、俺のファンでしょう。サインしてあげるよ」 と、ズボンから、書くとほぼ落ちない銀色電子ペンを取り出して、勝手にカバンにサインをはじめた。 「ちょっと、何する……んですか。本物……?」 と亜仁衣が言うと、男は「さあね~」と言って笑った。その瞬間、亜仁衣の顔は凍った。 (ゲッ……!)  亜仁衣の視線は、男の頭に注がれていた。男の頭には、よく見ると白い粉雪のようなものがある。いわゆるフケまみれだったのだ!  更に、顔を良く見ると、鼻からは長い毛が一本飛び出し、まばらに剃り残した無精(ぶしよう)ひげ。腕毛に至っては不揃いにボウボウ――と、はっきり言って清潔感のカケラもない様子だ。  さっき、写真を撮った際には、映像照射機能『migirei(ミギレイ)』がこの男の不潔感あるもろもろを補正していたのだ。本物のほうは、見れば見るほど負のオーラで包まれた強烈な不潔感だ! (……………………!)  男が動くたびに、頭のフケが空間に舞う。 (う……!) 耐え切れなくなった亜仁衣は、苦痛で次第に息が荒くなった。しかし、思いのほかすぐに落ち着きを取り戻した。それは、ある考えに辿り着いたからだ。 (こんな男があの藤井貴伊守なわけない! この男はきっと、所有者にそまつに扱われた芸能人型アンドロイドなんだ……!)  アンドロイドも、一部、人間の細胞で再現されている。だから、手入れを欠かせば、フケやそまつな毛が現われるのだ。このアンドロイドは、きっと、普段お風呂も無いような環境に閉じ込められているに違いない。  そう考えながら、亜仁衣は難しい顔でその男を見つめた。男はたじろいだ。 「な、なんだ、その目は」  そう藤井顔の男が困惑していると、またぞろ、さっきの中年男達が遠くのほうに見えた。それを見た藤井顔の男は、 「頼む。しばらく一緒にいてくれ」 と亜仁衣の腕をつかんだ。反動で、藤井顔の男の頭から、亜仁衣に向かってパラパラとフケが落ちた。 「ひゃぁ!」  亜仁衣は男の手を振り払い、ベンチから立ち上がった。藤井顔の男は「待て!」と、また亜仁衣の腕を強くつかんだ。刹那、亜仁衣の目には、男の不潔感が次々と飛び込んできた! (フケ……鼻毛……無精ヒゲ……腕毛…………それに、なんか臭い………………) 「い…………いやーー!!」  つい、亜仁衣は大声で叫んだ。次の瞬間、キースは藤井顔の男に体当たりをした……! 亜仁衣から男を切り離すためだ。勢いで、男は地面にすっころんだ。 「やりやがったな、おまえ……っていうか見た目が俺の野郎!」  男は、そう言ってキースに殴りかかった。しかし、キースはそれをいとも簡単によけた。男は殴りかかった勢いで、前のめりに倒れこんでしまった。それを見た周囲の人々は、 「見て、アンドロイド同士が喧嘩してる!」 「カオスじゃない~?」 と指差して笑っている。 「ちょっと……! やめてよ!」  亜仁衣が叫んだ。でも、ふたりの耳には届かない。次の瞬間、キースに突き飛ばされた男は派手に転んだ。 「いてえ……」  男は足を押さえている。どうやら、転んだ勢いで足をすりむいたようだ。めくれたズボンの裾からは、血を流しているすねが見える。男は慌ててそれを隠した。  だが、亜仁衣とキースは見てしまった。男の流した血を――。  ふたりに気づかれたことに気づいた男は、とっさにニット帽とサングラスをまとい脱ぎ捨てたジャージを拾うと、脱兎のごとく人の間を駆け抜け消えていった。  しばらくして、近くで始終を見ていた子供連れの老婆が、亜仁衣に寄ってきた。 「あなたのアンドロイド逃げちゃったけどいいの?」  老婆がそう聞くと、周囲の人達はドッと笑った。 「い……、いいんです!」  泣きそうになった亜仁衣は、勢い良くキースの手を引っ張るとその場を走り去った。  それから家に着くまでの間、亜仁衣とキースのふたりは一言も口を聞くことがなかった。それは、ふたりの頭の中に同じ考えが渦巻いていたからだ。その考えとは、藤井貴伊守の見た目の男が、すねから血を流していたことだ。人型アンドロイドの体内には血液が流れていない。すなわち、あの男は生身の人間だってことだ。ということは、あの男は、本物の藤井貴伊守――!?  ふたりは、帰り道の間、ずっと、そのことを考えていた。
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