十、逃亡者たち2

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十、逃亡者たち2

「やっぱり、来たな」  おばあは感心したようにそう言った。亜仁衣がそこにたどり着くと、おばあとキースが待っていた。  そことは、島にちらばる地下洞窟のうちのひとつ、通称『akiba(アキバ)』洞だ。その洞窟が他と違うところは、亜仁衣が小さい頃、良くそこでおばあと遊んだことだった。  地下洞窟の入口は、サトウキビ畑のど真ん中、場違いにも存在する小さな森の中にある。その森に入ってすぐ、岩壁を二メートルほど降りると、目の前が入口だ。  そうやって地下にもぐっているから、畑の外からではそこが入口だとはわからない。だから、隠れ場所としてちょうどいいのだ。  唯一、不思議なのは、この場所のことを知らないはずのキースが来られたことだった。けれど、キースは、麻伎衣からこの場所のことを聞いていたというからすぐに納得した。  なぜなら、初めて亜仁衣にこの場所を教えてくれたのは、その麻伎衣だったからだ。彼女も、ここが島の中で一番いい隠れ場所だっていうことを良く知っている。  地下洞窟は、天井から無数の鍾乳石が垂れさがる鍾乳洞だ。地面のほうからも、その行く手をはばむようにしてそこかしこ鍾乳石が林立している。天井はあまり高くはないから、洞窟内は少し窮屈だ。  それに慣れっこのおばあと亜仁衣、そして人間の十倍の能力があるキースは、いとも簡単に歩き進む。でも、そのどちらでもない藤井は、しけた地面や突き出す鍾乳石に四苦八苦した。そして、とうとう、垂れさがる鍾乳石に肩をぶつけてしまった。おばあが振り返った。 「今、ポキッといったなぁ」  藤井の肩には、五センチほどの細長い鍾乳石が乗っていた。藤井は、おばあの目線が向かう先、自分の肩に目をやると、その鍾乳石を掴み取った。藤井の指につままれた鍾乳石は、細長い乳白色をしている。 「百年で一センチ」おばあは重々しい口調で言った。「おまえが今折った鍾乳石は、今から五百年近く前、関が原の戦いときに誕生した石だ」  おばあの鋭い視線に、藤井は「マジかよ」とたじろいだ。しかし、おばあは一転、穏やかな顔つきになって、 「だが、そう考えると、おまえ達に今起きていることも、すべて小さなことなのかもしれないな。みな、すぐに忘れる。だから、あまり気にするな」 と言うと、さっさと洞窟の奥へと進んでいった。  藤井は、難しい顔をして手に持った鍾乳石を見た。そして、それをその場に捨てようとした。けれど、おばあの言う『関ケ原の戦い』という言葉を思い出して、やっぱりそれをポケットにしまいこんだ。  四人は最下層まできた。地下十四メートル。太陽光は一切入らないから、ここは夏でもひんやりとしている。その空間奥には地底湖がある。垂れさがる鍾乳石の先端から、時折、地底湖に向かってポタッと水の落ちる音がする。  地底湖の脇、人が休むのにちょうど良い大きめのスペースがある。おばあは、そこにバッグから取り出したシートを広げると、ドカッと腰を下ろして平手でポンポンと叩いた。 「ほれ、ここに座れ」  おばあに従って皆な大人しく座った。でも、キースと藤井は大男だ。おかげで、シートが手狭になってしまった。  藤井は、居心地が悪かったのかすぐにその場を立ち上がった。そして、 「あっちのほう、おもしろそうだな」 と地底湖に向かうと、湖から顔を出す岩に飛び乗った。 「おい。その辺りは湿気ですべるから気をつけろ」  おばあは、声を張ってそう言ったけれど、 「大丈夫、大丈夫」 と、藤井はあまり取り合っているようではなかった。 「あいつ、絶対、湖に落ちるぞ」  おばあは呆れ顔でそう言った。それから、「そうだ」と気づいたように、自分のバッグを取り上げると中を探りだした。 「急いでいたから、食べる物なんか何も持ってきちゃいない。あとで取りに行かないとな。でも、明るいうちに外へ出たら、あいつらにとっつかまる。でも、暗い中を行けば、電灯の明かりで見つかってしまうしなあ。どうしたもんか……」  おばあが頭を悩ませていると「あ、おばあ!」と亜仁衣が声を上げた。 「なんだ急に」 「ここにいるアンドロイド君は、暗い中でも目が見えるんだ。だから、小型電灯の代わりになってもらって、家まで連れて行ってもらうのはどう?」  それを聞いたおばあは、キースの顔を覗き込んだ。 「ほ~。こいつは本当にアンドロイドなのか? どこからどう見ても人間なのになあ」  人型アンドロイドは都会の産物だ。だから、離島に住むおばあにとっては物珍しいのだ。 「まあわかった。それなら、あとで暗いうちに家まで連れて行ってもらおう。でもその前にちょっと疲れたから一旦休ませてくれ」  そう言って、おばあはシートに寝ころがった。おかげで、亜仁衣とキースは身を縮めるしかなかった。亜仁衣は苦笑いで言った。 「おばあ、できればもう一枚シート持ってきて欲しいな」  藤井同様、手狭なシートがつらくなった亜仁衣は立ち上がった。  それがいけなかった。足元にあったおばあの小型電灯を踏みつけてしまったのだ。  鍾乳洞の中は突如、真っ暗になった。 「わっ!」  亜仁衣が驚きの声を上げた次の瞬間、地底湖のほうからドボンッと水没音がした。 「うわぁっ!」  藤井の叫び声だ。そのあと「うわぁ」とか、「おわっ」という声とともに、バシャバシャと水のはねる音がする。亜仁衣は、慌てて足元の小型電灯を探り当てると、スイッチを入れた。  見ると、やっぱり藤井が湖に落ちて暴れていた。 「藤井! そこ、足つくよ!」  亜仁衣の声を聞いて、藤井はその場に立った。落ちた場所は底が浅く、水位は腰くらいまでしかなかった。 「く、暗かったんだから、仕方ねえよな」  藤井はそう言って下を向くと、湖の水が真っ白になっているのに気がついた。  ギョっとした藤井は「うわぁっ!」と叫ぶと、すぐに岩場にのぼった。  おばあは、その様子をあぐらをかいて見ていた。 「言わんこっちゃない。だから気をつけろと言っただろう」  藤井は、湖の色が白いのを見て気味悪そうに服の水をはたいた。おばあは呆れ顔だ。 「湖が白くなったのは、おまえさんがかきまわして化学反応が起きただけだ。これといった害はない」 「なんだ、焦ったー」  そう言って、藤井は岩場を飛び移った。 「わー!」  湖は、再び、ドボンッと大きな音を立てて、派手な水しぶきを上げた。濡れた足のせいですべった藤井は、再び湖に落ちてしまったのだ。おばあは呆れたように首を横に振った。 「まったく。この地底湖は一度濁にごすと、直るまでに一か月かかるんだぞ。大切な観光資源だというのに。本当に、お前はテレビに出ているスタアなのか? あたしゃ、信じられん」  藤井は濁にごった湖の中に立ったまま、ジトッと亜仁衣のおばあを見やった。  それを見た亜仁衣とキースがくすくすと笑ったから、藤井は目を細めてふたりに抗議の視線を送った。 「さて、おかげですっかり目が覚めてしまった。このハンサムなアンドロイドと、必要な物資でも取りに行くか」  予定を少し早めたおばあとキースは、真っ暗闇の中おばあの家へと向かった。  鍾乳洞には、藤井と亜仁衣だけが残った。  藤井は、びしょ濡れになった服を両手で一生懸命に絞っている。そのたびに地面は水浸しになる。そして、まだだいぶ服が濡れている状態で、藤井はシートに座ろうとした。  先に座っていた亜仁衣が「濡れるからダメ!」とそれを制すと、今度は藤井は「分かったよ」と上着を脱ごうとしだしたから、亜仁衣は慌てた。 「や……、やっぱいい! 座って!」 「なんだよ、どっちなんだ」  藤井は、もう1回ズボンと上着の水気をはたいて飛ばすと、シートに座った。  亜仁衣と藤井が横並びに座ると、しばし気まずい沈黙が続いた。そのせいで、亜仁衣は思わず『大池(おおいけ)』で藤井に言った言葉を思い出してしまった。  ――私の大好きな藤井貴伊守が。  亜仁衣が藤井のことを言った言葉だ。あの時は一生懸命で、それ以外は何を言ったのか良く覚えていない。でも、その言葉だけはちゃんと覚えている。  藤井がそれを思い出していやしないか、亜仁衣は気が気でなくなった。できればなかったことにして欲しい――!  亜仁衣がそう思った瞬間、藤井は口火を切った。 「おまえのばあちゃん」 「え?」 「肝が据わってるっていうか、なんかすげえな」  「あ、うん。なんか……すごいよね。私も思う」 「おまえも将来あんな感じになるってことか」 「かなぁ~?」  そこで会話は途切れた。なんだか意識してしまって、いつものように切り返せない。変に意識しているのがバレなきゃいいけど……。  亜仁衣は頭が痛くなってきた。そして、早くおばあとキースが帰ってこないかと祈った。  それにしても、あまりに藤井の言葉数が少ない。亜仁衣は、おそるおそる藤井のほうを見やった。すると、藤井は意外にも深刻そうな顔つきをしていた。 「藤井?」と亜仁衣。  藤井は軽くため息をつくと言った。 「おまえの人生めちゃくちゃにして悪かった」  亜仁衣は、一瞬、何のことだか分からなかった。けれど、少し考えて、会社中に芸能人型アンドロイドと住んでいることをバラされたのを思い出した。 「あ……、そのことなら別に。……別にいいよ」 「別にいいって……。いいわけないだろ?」 「ううん」と亜仁衣は首を横に振って、 「あれが、私がやっていることへの周りの本当の反応だから」  亜仁衣は、騒ぎの中、叙鞍が自分から目をそむけたのを思い出した。きっと、あれで叙鞍との仲はもう終わりだろう。そしてあの様子だったら、キースのことを話しても遅かれ早かれ、きっとダメになっていたはず。亜仁衣は叙鞍に目をそむけられたとき、瞬時にそう悟っていた。 「私の人生は壊れたんじゃなくて、はじめから壊れてたんだと思う」  そこまで言って亜仁衣は言い直した。 「ううん、違う。壊れてたんじゃなくて……、これが私の生き方なの」  亜仁衣の生き方。それは、周囲から嘲笑を受けようとも、芸能人型アンドロイド『キース』と生きてきた時間のことだ。 「おまえ、意外と図太いんだな」 「藤井ほどじゃないよ」  そう言うと亜仁衣はふふっと笑った。そう。藤井ほど、図太い人間はそういない。だから、藤井はいつだってとんでもないことをしでかす。  亜仁衣はふと、空中庭園で藤井が自分の腕を傷つけたときのことを思い出した。あのとき、藤井は周りの人間に向かって「亜仁衣のことを笑うな」と言って自分の腕を傷つけた。藤井は自分の立場を忘れてまで私を守ってくれようとした。その結果、逆に私は追い詰められることになってしまったけれど。  でも、この世にたったひとりでも自分の味方になってくれる人がいる。そう思えた瞬間、なんでなのか周りに笑われることなんて、どうでもいいような気がしてしまったのだ。  藤井は、私を嘲笑から初めて守ってくれた人。藤井の初めて泥棒はこれで6犯目だ。どれだけ罪を重ねたら気が済むんだろう。  そう思った瞬間、亜仁衣は笑えてきた。くすくす笑うと藤井は怪訝な顔をした。 「何笑ってんだよ。気持ち悪いな」 「いいじゃない。それより、藤井のほうは大丈夫なの?」 「俺……?」  大丈夫なのかとは、もちろん元婚約者の乃亜のことだ。ふいをつかれた藤井はしばらく沈黙したあと、 「ああ、大丈夫じゃない」 と言い切った。そう言われたから、亜仁衣は返す言葉が無くなってしまった。けれど藤井はこう続けた。 「でもよく考えると、アイツが今幸せなんだったらそれでいいかと思えてきた。俺ずっとアイツのことを不幸にしたと思ってきたから」 「……そっか」亜仁衣はつぶやくように言った。「じゃあ――。もう帰るとか言わないでよ」  藤井は少し間を置いてから「わかった」と、ひとことだけ言った。  そのあとまた会話は途切れた。地底湖にポツポツと水滴の垂れる音だけが響く。  藤井は減らず口が多いわりには、ほとんど本音を言わない。亜仁衣は今日一日の出来事でそのことが良くわかった。今日のことで、やっと本当の藤井を理解できたからだ。結構な間、一緒に住んでいたというのに。  今だって、「わかった」とひとこと言うだけ。本当に大丈夫なんだろうか? でも顔を覗き込んでみると、藤井は本当にわかってくれているように感じた。  すると、藤井はふと何かに気がついたように、少し照れくさそうな顔をした。そして、すぐに立ち上がると地底湖の岩場のほうへと行ってしまった。  地底湖から点々と顔を出す岩場の中ごろ。藤井は後ろ姿のまま立ち止まった。 「おまえも……」藤井は天井を見上げた。「おまえも、一生懸命になってくれてるしな……」  藤井の言葉を聞いて、亜仁衣はまたもや『大池(おおいけ)』での出来事を思い出してしまった。藤井は完全にそのときのことを言っている。自分が藤井を必死に守ろうとしたこと。それから、〝大好きな藤井貴伊守〟と言ってしまったこと。我に返るとやっぱり物凄く恥ずかしい。おかげで、亜仁衣は何も言えなくなってしまった。  よく考えると、亜仁衣が男の人に告白じみたことをしたのはこれが初めてだ。これはまた藤井による初めて泥棒? 一瞬そう思った。けれど、今回は自分が勝手にやったことだ。でも、なんだか不可抗力だったような気もする。  しばらく沈黙が続いた。藤井もその雰囲気が気まずくなったのか、天井を見上げたまま頭をかいた。そして突然大きな声を出した。 「おまえが……! 一生懸命になってくれたから、俺は思い出したんだ!」  大声に亜仁衣はビックリした。けれど、次の発言にはもっと驚かされた。 「俺には、とんでもない商品価値があるということを!」 「え⁉」  亜仁衣は声が裏返った。  藤井は腕を組むと続けた。 「俺には、全国におまえみたいなファンがゴロゴロいて、とんでもない商品価値がある。そんな俺が自暴自棄になって失墜すれば、なんて莫大な損失なんだろう。そう思い出してな。まぁ俺のことを大好きだというおまえの気持ちも、たまには役に立つってことだ」  藤井がそう言い放つとまた沈黙が訪れた。だから、今度は、それをかき消すように、「あれだ! あれ!」と言うと、 「お、おまえは、俺の役に立ててうれしいだろ! 何せ、俺のことが大好きだからな!」  そう言い切って振り返った。すると、亜仁衣はすぐ後ろに立っていた。  刹那、藤井はギョッとした。なぜなら、亜仁衣は目を吊り上げて怒り満面だったからだ。そして、その両手は藤井を押そうとしている。 「ちょ、ちょっと、さすがにもうやめろよ……!」  亜仁衣は、藤井に向かって両手を突き出した。けれど、さっき藤井が湖に落ちたせいで足元の岩場は濡れていた。おかげで亜仁衣は足を滑らせた。 「危ね!」  藤井は声を上げた。亜仁衣は地底湖に落ちずに済んだ。藤井が落ちそうな亜仁衣を抱きとめたからだ。藤井の右腕は亜仁衣をかかえている。そして、左腕のほうは垂れさがる鍾乳石に手をつき、ふたりの体重を支えていた。  きつい体勢だ。藤井は顔をゆがませている。 「おい、あっちの岩に移れ」  亜仁衣も相当きつい。動けるような状態じゃない。 「……む、無理だって」 「何だよ……。面倒くさいことになったな! じゃあ、逆に動くな!」  そう言って、何とか落ちないよう藤井が身をよじって体勢を変えようとした。そのせいでふたりの顔は近づいて、今にもキスしてしまいそうな距離になった。 「ちょっと……!」  亜仁衣は慌ててじたばたした。 「動くな! おまえ! うわっ――!」  地底湖は激しい水没音とともに、大きな水しぶきを上げた。  おばあは呆れ顔でふたりを見た。藤井はびしょぬれ姿でシートに横になっている。亜仁衣はスカートをパタパタと仰いで乾かそうとしていた。おばあはため息をついた。 「まさか、亜仁衣まで落ちるとはな」 「違うの! 私は藤井のせいで落ちたの」 「何言ってる。そっちが先に落ちそうになったんだろ?」  藤井がそう返すと、おばあは更に呆れた顔をした。 「おまえもまた落ちたのか⁉ 島の小学生でも一日に3回も落ちた奴はいないぞ」 「いやだから、それは――」 「あ!」  おばあは藤井の言葉を遮って叫ぶと、地底湖の岩場まで走っていった。 「こ、こ、ここにあった鍾乳石は……あ! 折れてるじゃないか!」  おばあが覗き込んだのは、さっき藤井が亜仁衣を助けたときに支えにしていた鍾乳石だ。長さ一メートル半はある鍾乳石は、無残にも白濁した地底湖の湖面からその割れた断面を覗かせていた。藤井と亜仁衣が落ちた瞬間、支えにしていた鍾乳石も一緒に割れ落ちてしまったのだ。  おばあは、しゃがみこんで鍾乳石の断面をまじまじと見つめた。 「この鍾乳石は、わたしが小さいころからあったんだぞ。たくさんの思い出が詰まっているというのに」  おばあは、振り返りざまに「このばかもの!」と叫んだ。 「ばかもの――!?」  藤井は今まで見たことがないような、ひきつった顔をした。それを見た亜仁衣は思わず吹き出してしまった。ふと見るとキースも同じように笑っている。ふたりは目が合った。すると、キースはいつもの優しい笑顔を向けてくれた。キースの冷たい態度は、このどさくさのせいかどこかへ消え去っていた。  亜仁衣は嬉しくなってキースに近づいた。そのとき、嬉しさのあまり思わず抱きつきたくなって両腕を差し出した。すると、キースは驚いたような困った顔をした。  そうだ。そういえば、これってマズかったんだ。そう思い出した亜仁衣は、差し出した両腕を引っ込めて後ろ手に組むと笑顔で言った。 「おかえりなさい」 「ただいま、亜仁衣」  キースもそれに笑顔で返した。  四人は、鍾乳洞の入口の前に出ていた。外は真夜中だ。 「おばあ。外に出ちゃって本当に大丈夫?」  亜仁衣は、入口に自生しているガジュマルの根っこにつかまりながら周辺を見回した。  新月の今、この『dダaイiトtウo』は真っ暗闇に包まれている。おばあの小型電灯が無ければ、亜仁衣達の足元さえ見えない。  でも、おばあの小型電灯も付けっぱなしでは明かりが漏れてマスコミにかぎつけられてしまう。おばあは「もういいか?」と皆に尋ねると小型電灯を消した。 「月の出ない夜は真っ暗でなんにも見えない。だから、外に出ても大丈夫だ。それより、わたしゃおまえ達が鍾乳洞の中にいる方が心配だ。下手したら鍾乳石が一本も無くなってしまうからな――」  そのとき、夜空にひとつ花火が打ちあがった。花火は、まばゆい光を放ち、暗闇の中、色とりどりの大輪の花を浮かび上がらせた。 「おばあ! これ、もしかして」 「そうだ。今日は終戦記念日。今年は終戦からちょうど百四十年目だ」  さっき打ちあがった花火が消え去る前に、次の花火がボンとまた上がった。この『daito(ダイトウ)』では、毎年八月十五日になると、終戦記念として打ち上げ花火が上げられる。観光客向けのイベントだ。今年は、その観光客を締め出してしまったけれど。 「どうせだから、夏を楽しもう」  おばあはそう言うと、もう少し視界の開けた花火の良く見える位置にまで移動した。  暗闇の中、慣れない亜仁衣と藤井はおそるおそるおばあに続いた。その瞬間、また打ち上げ花火が上がった。  四人の姿は花火の明かりで照らされた。おかげで皆な姿が良く見える。しかし、ただ姿が見えるだけではなかった。亜仁衣は浴衣を、藤井とキースは甚平を着ている。その花火が消えゆくとまた皆の姿は見えなくなった。 「お、おばあ……。これって?」 「新しい観光システムを導入したんだと。こうやって花火を打ち上げると、その明かりに照らされた者達が、夏らし~い格好になるよう目の前が映像処理されるんだ」  映像補正機能『migirei(ミギレイ)』の花火版だろう。おばあがそう言った瞬間、また次の花火が上がった。照らされたおばあは、若くて可愛らしい浴衣姿の女の子になった。 「おばあ!?」と亜仁衣。 「え!?」と藤井。  まるで芸能人かと思うような可愛らしい女の子がそこにいる。目はくりくりとして愛らしい。少女の浴衣は赤とピンクの花模様をあしらった華か憐れんなもので、それが可愛らしさを更に引き立てていた。  花火が消えるまでの間、亜仁衣と藤井の目はその少女に釘付けになった。花火は完全に消え去り、また亜仁衣達は暗闇に包まれた。 「おばあ、今のって……」  刹那、おばあが自身の顔を小型電灯で照らしたから、いつものおばあの顔が闇に浮かび上がった。 「きゃあ!」とのけぞる亜仁衣。 「うわっ!」と驚く藤井。  おばあは苦笑いした。 「ちょっと映像処理しすぎな面もあるから、調節しなければならないのだけど……」 「た、確かに若返りすぎだね……」  亜仁衣がそう答えると、藤井が耳打ちしてきた。 「おまえのばあちゃんって、昔あんなに可愛かったのか?」 「うん。島一番の美少女だったっていう話だし、昔の写真でもあんな感じ」  藤井はニヤッとすると小声でささやいた。 「しゃくだけど俺好みかも。おまえとは全然似てないな」  亜仁衣はムっとした。どうせ闇だから見えないだろう。そう思って、軽く藤井の足を踏んでやった。 「うわあ!」  すると、藤井の叫び声とともに何かが転がり落ちていく派手な音がした。 「なんだ! 何がおきたんだ⁉」とおばあ。  地下洞窟の入口は斜面になっている。もしかして、自分が足を踏んだせいで、藤井がその斜面をすべって洞窟に落ちたのかもしれない。亜仁衣は慌てて声のした方を見た。でも、真っ暗で何も見えない。 「危ないだろ! 死んだらどうするんだ!」  藤井の声だ。洞窟の下の方からする。 「大丈夫かー! 怪我してないかあ!?」  おばあが洞窟に向かって叫ぶと「大丈夫だ!」という藤井の声が聞こえてきた。しかし、即座に「いや、大丈夫じゃない! 亜仁衣! 足踏んだのおまえだろ!」と言い換えた。 「ごめん……! 軽くやったつもりだったんだけど……!」 「やっぱり、おまえか……!」  そのとき、花火が打ち上がった。その明かりは洞窟に落ちた藤井にほど良い角度で届いた。  藤井は、比較的足場の良いところで後ろ向きに立ちあがっているところだった。花火の明かりのせいで藤井は甚平姿になっていた。でも、明るさが足りなかったのかその甚平姿はぼやけて幻想的に見えた。藤井は後ろ姿だというのに、亜仁衣は不覚にもトキめいてしまった。  やっぱり、あいつは本物の藤井貴伊守なんだ――。改めてそう思った。そして、藤井は後ろ向きのままだ。亜仁衣は、テレビの藤井貴伊守を見るように好きなだけ藤井のことを見つめた。  その花火の明かりは段々と消えていった。それと同時に藤井の姿も闇に消えた。亜仁衣は、もうちょっと見ていたかったと切ない気分になった。その次の瞬間、花火は連発で打ち上げられた。  強い明かりが四人を照らした。その明かりは強烈だった。さっきまでとは違って、洞窟に落ちた藤井のこともはっきりと見せた。花火に背を向けていた亜仁衣の顔さえも。藤井はまだ後ろ姿だった。でも次の瞬間、藤井は振り返って叫んだ。 「おまえ、俺のことを殺す気なのか……――!」  藤井は、自分のことを見つめていた亜仁衣とバッチリ目が合ってしまった。ふいうちだった。亜仁衣の視線には切なさがこもったままだった。それは、これまで藤井が向けられたことがない目だ。藤井は驚いた顔をして固まった。気づかれた亜仁衣は恥ずかしくなって顔を赤くした。そして、0コンマ1秒もしないうち、両手で頬を抑えると慌ててクルっと後ろを向いた。  その仕草は、完全に恋する乙女のそのものだ。ハッキリ言って好意はバレバレだ。さすがに、藤井から見てもそのときの亜仁衣は可愛らしかった。  少しして、連発花火の明かりが消えると同時に、再び辺りは闇に包まれた。闇の中、藤井はまだ固まっていた。けれど、亜仁衣の様子を思い出すと少し顔を赤くして頭をかいた。  そのあと、ふたりは気まずかったのか、花火が上がっている間、藤井は洞窟の中であぐらをかいたままで。亜仁衣のほうは、藤井のことを一切見ようとしなかった。  真っ暗な中でも、すべてが見えてしまうアンドロイドのキースはふたりの様子を見てフフッと笑った。  突然、静かになったものだから、おばあは「なんだ急に静かになったなぁ」と首を傾げた。けれど「まぁ、花火は静かに楽しむもんだ。こっちの方がいい」とにこやかに言った。
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