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子どもの頃、母が服を直しているところを見るのが好きだった。大きなおにぎりを握る手が、小さな針を自在に操るのが不思議で仕方がなかったのだ。洋服とはぐれてしまったボタンは役割を失っていじけているように見えるのに、元の位置に付けてもらった途端、活き活きとし始める。
「大きくなったら、枝里子にお母さんのボタン付けてもらおうかな」
母にそう言われて、私は大きく頷いた。
「じゃあ、お母さんのお裁縫箱はいつか、枝里子にあげようね」
指切りを交わしたのを覚えている。柔らかな小指の温もりが、私の指にも宿ったかのようだった。
樹美と並んで歩いたスーパーの帰り道、レジ袋が食い込む指先に、母との指切りがふと甦った。
「お祖母ちゃんの裁縫道具、出してあげようか」
私がそう言うと、樹美は驚いた顔をしていた。
彼女を叱ったことなんて、おそらく一度もなかったと思う。
それでも、私と話すときかならずあの子は身構えているのだ。どんな厳しいことを突然言われても耐えられるようにと、備えているのかもしれない。
私は、自分でもそうと気づかぬうち、樹美に圧力を掛けてしまっていたのだろうか。
あの子はよく笑顔も見せてくれる。しかしながらそれも、胸の内側を悟られまいという気持ちの表れなのではないだろうか。
かつて姉の前で、私が振舞ったのと同じように。
姉が和樹を初めて連れてきたとき、両親、とくに父の顔には、不安と、怒りのようなものが滲み出てしまっていた。和樹はそれに気づいていないのか、両親が振舞った出前の鮨をうまいうまいと口に運んでいた。姉は珍しくうろたえて、ふいに私の顔を見た。思わず私は笑顔を作った。それは、姉の味方だと表明するものでも、両親の肩を持つという立場を示すためのものでもなかった。
空気になろうとしていただけなのだ。
私がそういう質であることがそもそもの原因なのだろうが、私は樹美の笑顔を見る度、それが本物か偽物か鑑定しようとしてしまうのをやめられない。
あの子にはそんな私の心さえも、きっと透けて見えてしまうだろう。
ますますあの子をかたくなにしてしまうだけなのに。
母の裁縫箱を渡してから、樹美は夜な夜な打ち込むようになった。一生懸命に何かつくっている。もう寝なさい、と言ってみようかと思ったこともあったが、あの子がそんな風に何かに夢中になるのを見たのは初めてだった。
私に出来ることは、あの子の邪魔をしないことだけかもしれない。そう思って、灯りの漏れる部屋の前を素通りし、夫の眠るベッドに入った。
「樹美ちゃん、まだ起きているみたいだね」
「気づいてたの?」
「眠らない夜が、必要な時期もあるよ」
その言葉を聞いて、夫の背中に私は頬を付けた。息をするたびに揺れる彼の背中が、私をあやしてくれるようだった。
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