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フレンチキスの夜 フレンチトーストの朝・エピローグ
雀が鳴く声と、カーテンの隙間から差し込む朝日のまぶしさに、俺は目が覚めた。隣にいると思った彼女は、夜中と同じように、またいなかった。頭を振って覚醒を促すと、コーヒーの香りが漂ってきた。
体を起こしてキッチンの方を見ると、すりガラス越しに誰かのシルエットが浮かんでいる。
「奈月」
俺は彼女の名前を呼ぶ。ベッドサイドの煙草を咥えて、火をつけた。それでも彼女は俺の傍へやってこない。
「奈月」
もう一度、呼ぶ。実は彼女ではないんじゃないのかと勘ぐった瞬間、ガラス戸を開けて彼女がやってきた。
「あ、おはよう。起きた?」
一晩干して乾いた服を着て、彼女は微笑んでいる。彼女はコーヒーが注がれたマグカップを両手に持ち、ベッドの横まで歩いてきた。カップを俺に差出し、俺が受け取るとまたキッチンへと消える。
煙草の煙を肺まで吸い込んで、吐き出す。彼女を、夕べのようにまた押し倒したかった。夕べのように、いや、あれよりももっと激しく、もっと何度も彼女の体をむさぼりたい。夕べは痛いだけだっただろう彼女に、絶頂感を味合わせたい。
けれどキッチンとの行き来をする彼女は、未だに歩くのが辛そうに足をすり合わせている。普段ならそんなことはおかまいなしだが、彼女にそうするつもりはなかった。
灰皿の煙草を再び口に咥えて、俺もベッドを出る。
ローテーブルには、サラダ、スクランブルエッグ、ソーセージにベーコンが並んでいた。そして最後に彼女が持って来たのは、黄金色に輝くフレンチトースト。
「――フレンチつながり……か?」
吹き出してしまった俺に、彼女はえへへと照れ笑いを向けた。
彼女は自分で作ったフレンチトーストにかぶりつき、あまーい! と歓喜の声をあげている。
俺のことをちゃんづけで呼ぶことだけは気に入らなかったが、ほっぺた落ちるぅ、とホイップクリームを鼻の頭につけて喜んでいる彼女を見ていたら、そんなことはどうでもいいことのように思えてきた。
甘いものが大好きで、うっかり屋で、甘えたがりの彼女。学校では無敵のクールな生徒会長を演じている彼女の、こんな姿を見られるのは俺だけだ。それなら、俺をちゃんづけで呼ぶことを、彼女にだけは許してもいいのではないか。
俺はそんなことを思いながら、コーヒーと煙草を交互に味わっていた。
「甘くておいしいよ、駿ちゃん!」
たっぷりのクリームと、滴り落ちるメイプルシロップのフレンチトーストを頬張って、幸せそのものの顔をしている彼女が言った。
「――やっぱり、気にいらねえ」
「え?」
「またその呼び名で呼んだな」
あ、と彼女の動きが一瞬止まった。その隙を逃さずに、俺は僅かに残ったフレンチトーストを奪って口の中に放り込んだ。途端、悲鳴とも怒号ともつかない唸り声を上げて、彼女が俺に襲い掛かってきた。
押し倒された格好の俺は、彼女の振り上げた腕を掴んで抱き寄せた。すると彼女は慣れない口調で言った。
「えっとね。When we were young, I fell in love with you at the first sight. And my feelings haven't changed. えーとなんだっけ」
俺が言った科白そのままだった。英語の教科書の隅に書き残したのを見つけて、暗記したのだろう。発音はまるきりカタカナだ。
「I still love you and I know I will love you forever. 好きだよ、奈月」
「うん、私も!」
「英語で言えよ」
「えっ……。あ! ミートゥー!」
自信満々の笑みを浮かべて、彼女は言った。
「バァカ、まるっきりカタカナじゃねェか」
彼女の鼻先についたクリームを舐めとってから、俺たちはまたキスを交わした。
「フレンチトースト食べたい」
これが俺たちの合言葉だ。
彼女が俺に会いたくなった時、俺が彼女に会いたい時、俺たちはこの合言葉をメールで流す。彼女は相変わらず俺を「駿ちゃん」と呼び、俺はその度に「お仕置き」と言う。
フレンチキスで始まる俺たちの夜と、フレンチトーストで始まるふたりの朝。
何が変わろうとも、それだけは変わらない。彼女が俺の腕の中で微笑んでいる限りは、俺は彼女の甘くてたまらないフレンチトーストを食べ続ける。
甘いモンは苦手だが、それが惚れた弱みってヤツなら、その弱みは甘んじて受け入れよう。
だから、朝の摂取カロリーを先に消化しておくために、夜の運動がちょっと激しくなるのは、勘弁な。
――了
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