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フレンチトーストの朝・2
恐る恐る目を開けると、彼の拳が真ん中の男の顔面に埋まっているシーンだった。彼は続けざまに、崩れかけていた男の横面に向かって振り抜く。男の顔がひしゃげた。
変な声を出して、男は重力に従って落ちていく。思い切り腹に向かって足を前へ突き出した。下腹部あたりに靴がヒットする。つんのめる状態の男に顔に、もう一度拳を振りぬく。勢いそのままに肘うちも食らわせた時点で、男は白目を剥いて崩れ落ちた。
彼は、仰向けに寝転んだ男の股間を思い切り踏みつけて、足先で転がす。背中を向けた男は、ぴくぴくと痙攣のような動きをしていた。
もうふたりの男たちは、そいつがやられたことに目をむいてひるんでいた。
「どうした? もう終わりか? かかってこいよ」
彼はその背中にまた蹴りを入れた。傍にいたふたりの男は、顔面を真っ白にして逃げ腰になっていた。
「おい」
背中を向けて走り去ろうとしたふたりに彼は声をかけた。ふたりはぴたりと立ち止まり、振り向いた。
「こいつ、持って帰れよ。邪魔だろ」
ふたりが、地面で伸びている男の腕を自分たちの肩に回した時、その頭上から彼は言った。
「二度と俺たちに近寄るなよ。次は手加減なしだ。死にたくなけりゃ、ママのスカートの中に隠れてな」
あれで手加減していたというのはにわかに信じがたかった。けれど、彼がそう言うなら事実なのだろう。私は彼の後ろで震えていた。私が知る柴崎駿介とのあまりのギャップに、どうにかなりそうだった。
男たちが立ち去ってしばらくしてから、彼が私を振り返った。
「大丈夫か?」
声もなくただ頷いただけの私を見て、彼は少し寂しそうな顔をして首を振った。
「だから、あんまり俺に近づくなって言ったんだ。俺のこんなところ、奈月には見せたくないんだよ」
「ね……ねえ、駿ちゃん」
「何?」
「もしさァ? 私が誰かに襲われてたら、助けてくれる?」
「――当たり前だろ。馬鹿なこと訊くなよ。それに、また言ったな?」
お仕置き、と言って彼は私の額をぴんと指で弾いた。私は彼の腕に自分の腕を絡めて、彼を見上げた。気のせいか、ほっとしたような顔をしていた。
「帰ろ? 今日はうちでご飯食べてきなよ」
「お、いいねえ。おばさんのメシ、久しぶりだな」
ふたりで私の家へ行き、夕飯まで一緒に勉強をした。夕飯を食べ終わった彼は、夜の街へ消えていった。
それからテストは滞りなく進み、彼もマジメに毎日テストを受けに学校に来ていた。だが、初日以来もう一緒に帰ることはなくなり、必然的に一緒に勉強をしたり夕飯をとることはなくなっていた。
私はどことなく彼との距離を感じて、今まで以上に寂しく感じていた。学校では彼は私に一瞥すら与えてくれない。気になってチラチラと彼を見てばかりいる私を、睨むことはするけれど。
そしてテスト結果の発表の日。成績発表の掲示板の前で、どよめきが起こっていた。
英語以外の全教科で、今まで私が守ってきたトップの座が奪われたのだ。柴崎駿介に。もちろん総合でも彼が文句なしの一番だ。
「奈月ィ、どうしたのよぉ! っていうか、柴崎くんって、頭よかったんだね、驚きだよ」
クラスメイトが私に話しかけてきた。
「う、うん。そうみたいね」
「まぐれにしては、すごいよねえ。英語はさすがに奈月が死守したのかあ」
カンニングしたのでは、と職員室は大騒ぎだったそうだ。
だが、彼の周囲の生徒はいつも彼と最下位を争うような生徒だったし、彼の机の上にはエンピツ一本しかなかったことは、監督教師が確認している。消しゴムも持っていないのか、と目を疑って何度も彼の机の上を見たから間違いないらしい。
更に、今も昔も机の中に何も入っていないのは、後ろの席の生徒の証言で証明されている。そんなわけで、どうやらこれが彼の実力らしいということが判明して、結果発表に至ったらしい。
学校中が驚きに包まれていたが、私は驚きというより、またはめられたという気持ちで一杯だった。
彼に文句を言いたい気持ちを抑えて、私は生徒会室へ向かった。参考書を副会長に貸す予定にしていた。生徒会室へ置いておいてくれれば、取りに行くから、ということだったのだ。
生徒会室へ入ると、珍しい人の姿があった。夏まで生徒会長だった、三年生の荒川先輩だった。夏までは私は荒川先輩の下で、副会長をしていた。そして秋口に行われた選挙で、生徒会長に就任したというわけだ。
「やあ、奈月くん」
荒川先輩は私に微笑んだ。
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