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フレンチトーストの朝・3
私はカバンを自分のデスクに置き、中から貸す予定の参考書を取り出した。
「どうなさったんですか?」
参考書をしまいながら、私は先輩に話しかけた。
人望厚く、女子生徒からの人気も高い先輩の周りには、いつも女子生徒がいた。けれど、個人的にその中の誰かと付き合ったという話は、一向に伝わってこなかった。
「奈月くんが来ると思ってね」
「え? ここに来たのは、たまたまですよ。用事があるなら、おっしゃってくださればよかったのに」
「いや、必ず来ると思ってたよ」
がたりと椅子から立ち上がった先輩は、入り口のボタンロックを押して、私の方へやってきて笑った。爽やかな笑顔のはずなのに、どこか陰鬱さが見える。
「だって、参考書貸してくれって頼め、って言ったのは、僕だから」
「え?」
「重いだろうからココに置いといてくれと言え、と言ったのも、僕だからね」
先輩が私に近づいてくる。私の背後はキャビネット、右は窓、先輩は、唯一の通路である左側にいる。私はじりじりと後ずさりした。
「奈月くん。僕がずっとキミを見てたの、気づいてた?」
「い、いいえ。すみません……」
声が震えそうになるのを、かろうじて抑える。どん、とキャビネットに体が当たって、もう逃げ場がないことを私は悟った。
「僕らなら、お似合いだと思わない?」
「や……。そうですかね。アハハ。いや、そうは思わないです。先輩には、もっとふさわしい女性がきっと……」
キャビネットが揺れて、びくりと身を竦めると、先輩が私の背後のキャビネットに手をついていた。ゆっくりと先輩の顔が私に近づいてくる。私は先輩の顔を見て、ひきつった笑いを浮かべた。
「やだな先輩。私、先輩とはそういうつもりで接してたこと、ないです。先輩もそうだと思ってました」
「僕はそんなことなかったよ。ずっと、キミが入学してきた時から、キミを見てたんだ。キミが好きだ」
「や……やだ……」
「いやだ、じゃないだろ。キミだって僕と一緒にいられて楽しいと言っていたじゃないか。だから、もっと楽しいことをしようよ」
「助けて、駿ちゃん」
先輩の手がセーラー服を引き裂いて、露わになった胸に先輩の唇が触れた。先輩の手と唇は、容赦なく私の体を這いずり回った。
「いやあああああッ!」
私が叫んで目を閉じた時、ドアが蹴り破られて、私を呼ぶ声がした。
「奈月ッ!」
閉じていた目を開くと、彼が先輩の襟元を掴んでいた。先輩は抵抗しているが、彼の力には負けるようだった。
「奈月に何しやがんだ、手前ェ、ふざけんじゃねえぞ」
テスト初日に襲ってきた男たちに向けた目よりも怖く鋭い目を、彼は先輩に向けていた。振り上げた拳を、容赦なく先輩のボディに叩きつけている。当たり前だろうが、先輩は喧嘩の経験などないだろう。最初の一発で、失神寸前のようだった。
「だ、だめ! 駿ちゃん、だめ! 死んじゃうよ!」
私は彼の腕を必死で止めた。あの時の彼の暴力で、あの男は白目を剥き口から泡を吹いて、ぴくりとも動かなかった。死んでしまったのかと思ったほどだった。それと同じことを、先輩にしたら本当に死んでしまう。彼を人殺しにはしたくない。
「離せ奈月。こんなくらいじゃ死にゃあしねえ」
「だめ、だめだめ。学校で喧嘩しちゃだめ! お願い、駿ちゃん、やめて! 退学になっちゃうよ!」
彼が退学になっていないのも、騒ぎを起こすのが常に学外だからだった。学校の中で暴力を振るえば、即退学にしてやりたいと思っている教師は少なくない。
舌打ちしながら彼は制服のジャケットを脱いで、私の肩にかけてくれた。
セーラー服は先輩が引き裂いたため、無残なことになっている。中から下着と素肌が見え、肌寒い。彼は私をぐっと自分の体に抱き寄せて、先輩に言った。
「退学なんぞどうでもいいが、奈月が泣くから勘弁してやる。奈月に感謝するんだな。ああそうだ。ドアの鍵壊しちまったんで、適当な言い訳、しといてくださいよ、センパイ? それから、俺と奈月の名前出した時には――死ぬよりひでえ目にあわせてやる」
胸倉を掴んで顔をぐっと近づけてそう言うと、彼は先輩の顔に唾を吐きかけた。
「行くぞ」
ぐったりとしている先輩を残して、私たちは生徒会室を後にした。
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