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フレンチトーストの朝・4
彼はテストの結果を見てから、生徒会室の裏で煙草を吸っていたのだと言った。生徒会室は、各クラブの部室がまとまっているクラブ棟の一階にある。今はクラブ活動は停止中だから、そこが一番誰も来なくてちょうどいいと思ったのだそうだ。
煙草を吸い終わり、帰ろうかと立ち上がると、窓の中に私の姿が見えた。
「用事が終わったら一緒に帰ろうかと思って、ドアの方に回ったんだよ。そしたら、あのヤロウがなんかヤバそうな顔して中に入ってくのが見えてな。あいつ、とうとう告んのか、って思ってさ。それなら、そのほうがいいかと思って帰ろうとしたんだよ。そしたら、お前の悲鳴が聞こえたからさ」
「……そのほうがいい、って?」
「あいつなら、お前とお似合いかと思ったからな」
彼のこの科白に、私は落胆を隠せなかった。駅までとぼとぼ歩いていた歩みが、思わず止まってしまう。
「なんだよ? ちゃんと助けただろ?」
「うん……。そうだね。ありがとう」
あんなにドキドキして嬉しかった、この間のキスの練習も、彼にとっては遊びのひとつだったのだ。彼の周りには、私なんか足元にも及ばないような美人がたくさんいるのだから、当然かもしれない。
私と一緒にいてくれるのは、あくまでも幼なじみだから。私にとってのアドバンテージはそれだけ。
とてつもなく、寂しかった。だから、それを隠すためにわざと明るく振舞うことにした。
「ねえねえ。着替え、買いたいな。あとね、スーパーも行こうよ」
「なんでだよ」
「夕飯、作ってあげる。一緒に食べようよ」
「奈月の料理ィ? 食えるのか、それ」
「ひどいなァ。たまに作ってるんだから」
そんな風にじゃれあいながら、私たちは歩いた。もうそのうち、こうやって一緒に歩くこともなくなるのかな、と私は思っていた。
買い物を済ませて、私たちは彼のアパートへ帰った。貸してくれていた彼のジャケットを脱いで、彼に返す。
「見ないでよ」
「この間見たんだから、別にいいだろ?」
「そういう問題じゃないの。もういい、お風呂場で着替える」
買ってきた服の値札を外して、私はバスルームへ入った。脱衣所で制服を脱ぐと、先輩にひっかかれたと思しき傷跡が見えた。思い出すと、先輩の唇の感触が甦ってきた。気持ち悪さを忘れるために、体を洗いたかった。
お湯を溜めようと思って、買ってきた服を着てからシャワーで軽く洗っていると、彼が入ってきて扉を閉めた。
「何やってるんだ?」
「お風呂、入れようと思って」
「それは見りゃわかるけどさ――。あそうだ、英語はお前、トップだったな。偉いぞ、俺が教えた甲斐があるよ」
いつもと違う位置に自分の名前がある、見慣れない成績表を思い出した。いろんな意味で、体が震えたんだった。
「ずっ……ずるいよ駿ちゃん! 全部トップで、なんで英語だけわざとらしく二位なのよッ!」
頭にきて、持っていたシャワーを彼の顔に向けた。
「つ、冷てェッ! 何すんだ、奈月ッ」
「やればできるのに、英語だけ手、抜いたでしょ! もう、許せないんだから! 馬鹿!」
「やめろ、奈月、風邪引くだろうが。冬なんだぞ、今」
「知らない! もう、馬鹿!」
シャワーを握り締めて彼に向かって冷水を浴びせかける。彼はシャワーの栓をひねって水を止めた。私の武器がなくなって、心細くなる。当然のように、彼の睨む視線が私に突き刺さった。
彼は、私が胸の前で抱きしめたシャワーを奪い、私の顎をがつりと掴んだ。シャワーを持って暴れたせいで、私も彼と同様、ずぶ濡れだった。
「奈月。さっき、どさくさに紛れてまた言ったな。忘れたりしねェからな?」
にじり寄ってくる彼に押されて、バスタブに転げ落ちそうになる。叫び声を上げる暇もないくらいあっという間に足が滑って、体がふわりと浮いて――彼の腕が、落ちそうになった私の体を支えてくれた。
「俺がいて、よかっただろ?」
私は頷いて彼にしがみついたが、よく考えれば彼がにじり寄ってこなければこんなことにはならなかったのだった。それに随分後にならないと気づけない私は、やっぱり彼にはかなわないのだ。
だけど、いつだって、私は彼が傍にいてくれてよかったと思っている。そしてこれから先も、ずっとそう思える自信がある。だからこそ、ずっと傍にいて欲しい。
「あいつの感触なら、俺が消してやるよ」
彼が私を抱く腕の力が強くなったように思えたのは、自意識過剰だろうか。
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