フレンチキスの夜・1

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フレンチキスの夜・1

 煙草の煙。地鳴りするほどの大音量の音楽。人の笑い声、熱気、話し声。私は扉を開けたことを後悔しつつ、ぐっと前を見据えた。 「お嬢ちゃん、ここに何の用ォ?」   金色の髪をパイナップルのように逆立てた男が、私の目の前をさえぎった。 「あなたには何の用もありません」 「ああん、何だって? ほんじゃあ誰に何の用があるのよ?」  舐めるように私の顔を見るいやらしい顔をきっと睨みつけてやる。 「私が用があるのは、柴崎駿介(しばざきしゅんすけ)です。彼はどこにいるの」  パイナップル頭の顔がひきつった。ぴくぴくと動く頬のまま、彼は私に背を向けた。 「あの方のフルネーム知ってるんなら、いいだろう。ついてきな」  私はパイン君の導きで、その場へ足を踏み入れた。  ここは店ではない。廃墟のようなビルの地下に、街の不良たちが自然に集まってできた、ひとつの街だった。その中心に座るのが、この街の王者。圧倒的な知力と武力で、周辺の不良たちを配下に従えた、絶対君主。  パイン君は私を振り向きもせずに歩いていく。ここに集まる人達は誰も私に手を出さない。パイン君はたぶん、案内人。その案内人が案内している相手は、王者が必要としている人、という認識なのだろう。私をみんな遠巻きに見ている。  けど、これはまだまだこの街の入り口だ。この辺りになら誰だって入ることができる。普通に遊んでいる程度の制服の女の子の姿もあって、私の制服もそんなに浮いていない。  とはいえ、こういう場所に免疫がない私は、びくびくしながら歩いた。パイン君の背中を見失わないように、パイン君の影響下から離れてしまわないように必死で歩いた。  パイン君の行く先に、彼はいる。多分、この街の一番奥、一番深いところに。  予想に違わず、街の一番の奥に彼はいた。カーテンと屈強な男に囲まれた小部屋に。  その小部屋には、ここが廃墟だったとは微塵も感じられない、革張りのソファに豪華な装飾品が置かれていた。バーカウンターの中ではバーテンダーがシェイカーを振り、バニーガールの女の子が傍に控えている。  バニーガールは皆、大きな胸と腰を揺らしながら、彼に近づく。彼女たちの媚びた笑みも誘うような仕草も全て彼に向けられたものだ。この街の王者たる、彼に。  そんな彼女たちの身体をみるたびに、自分の胸の大きさや顔の美しさを省みて、自己嫌悪に陥る。いつもそう。私が彼に相対する時、いつも感じる気持ちは、劣等感だ。  どれだけ学校で優等生といわれ、常にテストの結果ではトップの成績を誇っていても、生徒会長として実権を振るっていても、いつも私は感じている。  かなわないんだ。彼には私はかなわない。私が百、努力して手に入れるものを、彼はなんの努力もなしに手にしている。私が欲しくてたまらなくてようやく手に入れるものを、彼は誰かから貢がれている。  その彼がソファにふんぞり返って私を見ている。震える身体を押さえるように、私は深呼吸して彼を見た。 「あ、明日はテストだよ。学校、来なよ」 「ダルイこと言ってんなよ。俺ァもうどうでもいいんだよ、テストとか、学校とか、そんなもんは」 「困るのよ、私、先生から、連れてくるようにって言われてるんだから」 「へえ? まだ俺に学校来いっていう教師がいるのかよ」  私の言葉を鼻で笑って、彼は煙草を口に咥えた。早速隣のバニーがライターを胸元から取り出して、火をつけている。。 「もう、俺のことはほっとけよ。学校だって退学寸前だ。俺は、こっちの世界のほうが、お似合いってことだろ」 「じゃあ、じゃあ私はどうすればいいのよ。私はまだ、あなたが捨てようとしているその世界にいるのよ」 「お前には、もう俺なんかいらないだろ」  バニーガールが私に挑むような目をして、彼にグラスを差し出して、しなだれかかっている。私は彼の前まで思わず歩いていった。 「いるわよ!」 「どこに、何にだよ。お前は無敵の生徒会長だろうが。文武両道、家柄、性格、指導力、容姿、人望、なんもかんもが一流だ。おまけに大人たちの信頼も厚い。俺なんか、いないほうがお前のためだろ」  バニーが差し出したグラスの中の茶色のお酒をあおりながら、彼が言った。ついでにバニーの大きな胸に顔をうずめることも忘れてない。そうやって、私を遠ざけようとしているのだ。  でも、私はいやだ。私の世界の中から、彼を排除したくない。なんとかして、私の世界に、彼をとどめておきたい。誰のためでもない、私自身のために。 「そんなことないよ! 教えてよ!」 「何をさ」 「え……英語!」  その場にいた全ての人の空気が止まった。パイン君に至っては、はあ? と呆れた声をあげていた。
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