誰にでもできる簡単なお仕事

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 テーブル上のスマホが独特のリズムで震えたのは、離乳食のぶちまけられた床を拭いているときだった。  正確には、汚れたタオルを握りしめ、床に突っ伏して号泣しているときだ。ようやく眠った娘を起こさないよう声を抑えることに必死で、一度は空耳かと思った。だが床から身を起こした私の目の前で、再びスマホは震えた。  のろのろと立ち上がり、タオルの端で手をぬぐう。スマホのロックを解除すると、画面中央にいつものポップアップが表示されていた。 『ミッション開始まで 13分51秒』  1秒刻みでカウントダウンが進む。その下に並ぶ『キャンセル』と『参加』のボタン。  居間に置かれたベビーベッドを覗くと、彩菜(あやな)の寝顔が見える。あれだけ泣けば、すぐには起きないだろう。いや、起きてしまっても問題ない。これは片手でもできるなんだから。  『参加』ボタンをタップするとポップアップは消え、新しくブラウザが立ち上がった。画面の中央でカウントダウンは継続している。  まだ10分以上も余裕がある。コーヒーでも入れようか。  キッチンに入り、いつかの旅先で買ったセージ色のマグカップを取り出した。インスタントコーヒーと粉末ミルクを入れ、ポットの湯を注いでかき混ぜる。漂う香りはチープだが、気持ちを落ち着かせてくれた。居間に戻り、ソファに座ってコーヒーを飲む。  なんて贅沢な時間の使い方だろう。こうしていられるのも、ミッションの開始待ちという免罪符があるからだ。そうでなければ、娘の眠る間に終わらせようと、家事にやっきになっていたに違いない。終わりなど無いのに。  カウントダウンが1分を切る。私はサイドテーブルにカップを置き、両手をスマホに添えた。 『ミッション開始まで 0分00秒』  その直後に表示は消えて、画面が切り替わった。  青い空の下、どこまでも広がる平原。音は無い。リアルタイムに送られてくるのは映像だけだ。  画面の奥の方で土煙が上がっている。視点がそちらの方に動き始めた。カメラを搭載したドローンが、目標(ターゲット)に向かって移動しているのだ。画面の端には仲間のドローンも映り込んでいる。聞いた話では、一度のミッションに2~30機のドローンが使われる。  土煙の発生源は車の隊列だった。ほこりまみれのトラックと装甲車が十数台、一列になって走っている。  ミニカーみたいだと思っていたら、車列が崩れ始めた。こちらに気づいたらしい。同時にドローン隊は降下を始め、一台一台の車がくっきり見えるようになった。  そして、攻撃が始まった。
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