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ありもしないひと
丘の上の公園で青いビニルベンチに腰をおろし、普段吸わぬ洋モクなど咥えてみる。とくに火を点けるわけでもなく、ただただ何処までも澄み渡る青い空を見上げている。
彼方を流れていた雲が急激に渦を巻き、飛龍のような登鯉のような、よくわからない何かしらの生き物になって西の空へと駆け去っていった。
脇の神社では奉納が始まり、眼下の梅林の色香とともに楽想に酔いしれる俺がいる。
ふと何を思ったか、それとも何かに不意をつかれたか、俺は気圧されたような速度でうつ俯せにベンチに倒れこんだ。
うっぷした鼻先で風が揺らいで消える。何も聴こえない。何も見えない。深い淀みから一変した時のせせらぎへ。
心の外側でうぐいす鳴く、うぐいす鳴く、うぐいす飛び立つ -。
ベンチに誰かの温もりを感じる。
静かに心開き耳を澄ます。
(あぁ、誰かが詠っている…)
その温もりを探りに指先を這わせ、そこにありもしないひとを探す。目暗のまま声をかける。
「なんだ・・・いたんですか?」
「はい」
ありもしないひとがうなずく。
「いつからそこに?」
「ずっといました」
ありもしないひとが応える。
「なんで声をかけなかったんですか?」
「あなたが眠っていたから」
ありもしないひとの心遣い。
「いえ、おきてましたよ」
「はい、知ってました」
「相変わらず意地悪ですね」
「貴方ほどじゃないです」
「さわってもいいですか?」
「駄目です」
「それは残念です」
ありもしないひととの時がゆっくりと流れ、うぐいすが梅の枝にとまり、ただ蒼天を讃えようと歌うばかりの白昼夢。
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