2人が本棚に入れています
本棚に追加
磔台より愛を込めて
眼下に広がる稲穂の海原。はるか先の丘で農夫婦が木陰に寄り添い仲睦まじく、空はどこまでも澄み渡り、小鳥の羽音が気忙しい。
俺は帰るべき現実から遠く離れ、カルデミナンの赤い丘の上。棘の十字架に拘束され欠伸ひとつ満足にできない状況にある。
夜が明けたらどうやら処刑されるらしい。
不思議と思い残すこともないし恐怖心もない。石打たれたであろう胸の痣がほんのちょっとだけ痛むが、まだ生きている証拠だなと他人事のように思うだけだった。
洛日に至る最中、農夫婦が何やら話しているのが見える。あの二人からしたら俺のこの姿なんて、きっと枯れ枝のひとつぐらいにしか見えないんだろう。ましてや何の罪で俺がここに吊るされているのかなど、まったく興味が無いんだろうなと思った。
夜になった。
いまこうしているのは何かの間違いじゃいか。そんな事を考えた。
誰かの陰謀に嵌められたか、何らかの不運に巻き込まれたか。
それでも俺は甘んじて罰を受けようと思った。このカルデミナンの丘の上に骸を晒されるのも悪くはない、そう思った。
(それは、人生に負けたってことじゃないよな?)
無関心な大地を視界外へ棄て、逆さ吊りを錯覚させる満点の星々にそう尋ねてみたが、もちろん返事は無い。
深夜になると妙な感覚に襲われた。それは存在しえない女の記憶。
とてつもなく我儘で、とてつもなくプライドの高い鼻もちならない女の記憶だ。それが夜のうちに現われ、この身体を奪い去りに来る。と、そんな根拠のない幻想を抱いた。
あぁ、思い出した。なぜ俺がこうなったのか -。
その女は実在する。たしか名前は【マリア】だ。彼女の呼び声に応えたから俺は罪に問われここに磔にされたのだ。
しかもあの悲しい女は夜明けが待てなくてこの俺を浚いに来るのだ。また終わらない罪を重ねるために。それでも幸せだと言い張りながら。
嗚呼、星が墜ちそうだ -。
本来、ここに磔になるのは、マリアだった。彼女の裏切りで俺は今ここにいるのだ。それなのに死の手前にあって尚、俺は彼女の事を想うのだろう。彼女との関係性がいまだにどうしても掴めない。
ただひとつ、分かっていること。それは俺たちのどちらかがくたばれば、この悪夢が終わるという事。
やがて白み始める空。俺のマリアは現われない。
嗚呼、マリアよ
はやく俺をさらいに来い
そして、お前が代わりに磔になれ
俺はお前を救わない
くたばるのは
おまえひとりで充分だ。
いまだ夢中の俺のマリア へ
磔台より愛を込めて -。
最初のコメントを投稿しよう!