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月の声
山中を散策するにはひどく寒い日で、薄霧の中を彷徨い歩くうちに朝日は夕日に変わり、夕日はやがて月夜に変わった。冷たいような熱いような、そんな狂った夜に紛れボクは足を止めることができない。
頭上には血色に染まる月が貼り付いている。ソレは次第に火花を散らし、上下に揺れながら何かと鳴動していた。
そして徐々に輪郭から剥がれ落ちていく。
キラキラと、ギラギラと欠けていくその月は、やがてヒトガタの何かに限りなく近づいていった。
視界の端から月の欠片が堕ちてくる。それはよく見ると黒い揚羽蝶の消炭で、ふたつに割ると中から黄色い宝石が出てきた。
ボクはその宝石を呑んだ。
宝石は腹の中で飴色に溶け、その養分はボクに『人から好かれる才能』というものを与えてくれた。
もちろんタダではない。かわりにボクは左目と左耳を失ってしまったのである。
やがて月は白く燃え尽き、歪に尖る抜け殻になった。
おそらくそれがボクたちが知っているあの三日月なんだろう。
片羽をもがれたボクがたどたどしくも夜道を彷徨う。
わずか数晩で何人もと出会い、恋に落ち、そして死に別れた。
7度目の朝。目覚めると辺り一面に鳳仙花が咲き乱れている。
それっきり、その場所へはもうたどり着けない。
代わりに手に入れたものは、都会の陽に紛れた哀しい月の声を、潰れた耳で聴く能力である。
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