二つの滝(4)

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二つの滝(4)

 「先ほど言うたであろう、広小路の欺瞞を見抜き、 天晴であったと。あのままあやつを飼っておったら、 あの後、何をしでかしたものやら」  黙ったまま、聴き入っている。  「人には誰でも見どころというものがある。 あいつには無い。良いか、裏切りは一命をもって償うもの。 仙千代も儂の傍で斯様に様々なことを学んでゆけば、 儂ぐらいの歳になれば天地(あめつち)の王となっているやもしれぬぞ」  激励をこめて話したつもりが、仙千代の顔色はけして優れなかった。  「さ、欲しいものは何だ?言うてみよ」  このようなことにいかにも不慣れな仙千代を竹丸が助ける。  「有り難い御言葉である。お待たせせず、早々に申せ」  いかにも思い付きの苦し紛れ候という答えが返った。  「では……紙を頂戴したく存じまする」  またも信長は蕩けた。何という健気さ、いじらしさかと、 胸が疼いて熱くなる。  一方、竹丸は、珍しいことに、笑いを堪えているのが見て取れた。  「竹丸」  信長が顎を向けた方には文机があり、 竹丸が、美濃紙を三、四帖と、 香料を指定し、興福寺に特別に作らせている墨を数個まとめたので、 信長が、  「その箱に」  と指して、螺鈿(らでん)細工の文箱に入れさせた。 螺鈿細工は輸出用に南蛮漆器という名で人気があることから、 信長は職人を大いに育成し、造らせていた。  竹丸が掲げ持ち、仙千代の前に進み出ると、 仙千代も慣れない様子ではあるものの、 礼法通りの所作で恭しく受け取った。  「どうか?気に入ったか?」  「細工の見事さに驚嘆するばかりでございます」  正直なところのようで、文箱の装飾に目を丸くしている。 竹丸が渡したものは信長が祐筆に使わせていたもので、 地はよくある黒ではなく、珍しい朱塗りで、 ヤコウガイの真珠層を削り出し描かれているのは、 精緻な文様の唐風の壺に野の花の枝という逸品だった。  仙千代が手にすると、朱の色が仙千代の面立ちをまた惹き立てた。  「その紙にまた経文を書くのか?」  ちょっと茶々を入れたくなる。  「見たこともない立派な紙で何を書けば良いのか…… 見当がつきませぬ」  からかわれていると気付かず、まともな返答だった。 紙を願ったはずが、墨と文箱まで付いてきたことで、 他に頭が回らないようだった。      
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