一樹の小話

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一樹の話はいつも「昔々、あるところに」で始まる。 もう一度ベッドにごろんと転がって話の続きを待った。 昔々、あるところに人魚姫がいました。名はエリカといい、それはそれは美しい姫でした。 彼女はいつも自分が一番美しく、愛されるにふさわしいと思っていました。 いいえ、本当はわかっていました。聡明な人魚ですから、自分が一番ではないことくらいわかっていました。 だけど、どうしても、信じたくなかったのです。だから無理矢理にでも自分が一番だと思い込む努力をしました。どうしてそこまで信じたくないのかって?それは誰にもわかりません。 人魚の世界ではみんながミネラルたっぷりの海水で年がら年中スキンケアをしていますし、真珠を細かく砕いたパウダーでお化粧をしますから、どこを見渡しても美人魚ばかりです。 彼女よりも美しい女性など余るほどいます。 ある日突然、彼女は貝殻に閉じこもるようになりました。 きっと、誰かと比べられて自分が一番ではないと気づかされることが辛くなってしまったのでしょう。 『おい!姫!姫様ぁ!!!』 「え、突然何?誰?」 一樹がいきなり大きい声を出すので思わず物語を遮ってしまった。 えっと、こいつは、とってもデリカシーのないイルカです。 身分の高い姫に対する接し方もまるでなっておりません。 さらにとんでもない馬鹿者で、真珠とかえるの卵との違いがまったくわかっていないくらいです。 「ふふ、なにそれ」 あたしが笑うと一樹は声を出さずに微笑んだ。 『何をしておるのだ!どうしたのだ?体調が悪いのか?日焼けが怖いのか?ちゃんと食べておるか?どうしたのだ?どうしたのだ?』 貝殻の中にも声は届くはずなのですが、人魚姫は返事をしませんでした。 『噂には聞いておったが、やはり”うつくし病”にかかっておるな。知っておるか?自分が綺麗でないと感じたとき、たちまち貝殻に閉じこもってしまうという女人魚の流行病だ。しかしそれなら心配無用だぞ。お前は”いいほう”だ。人魚の中でも容姿に恵まれたほうだ。嘘じゃないぞ。だから気にする必要などない、大丈夫だ』 人魚姫は全く返事をしません。 確かに女人魚というものは自分の美しさにかなりナイーブになっており、貝殻に閉じこもったきり二度と出てこなくなることが多々あります。 そのため、紳士人魚は誰が誰より美しいという話を慎まなければなりません。 しかし”うつくし病”は言い伝えに過ぎず病ではないと言われています。これは、美意識の高すぎる女性を嘲笑うためのジョークなのです。そんな言い伝えを本気で信じているのはイルカだけです。 『こら、出てくるのだ。一緒に遊ぼう。ふん、美容なんてくだらないね』 『顔や鱗の美しいことが何だというのだ』 イルカは貝殻の周りをすいすいと泳ぎ回りました。 そして、毎日毎日力尽きるまで人魚姫に話しかけるのです。 イルカは馬鹿者ですが、人魚姫のことを誰よりも愛していました。イルカには、たとえ姫がどれほど醜い容姿であっても愛する自信があったのです。 しかし彼は大馬鹿者です。彼はこのときに気づくべきだったのです。 2週間ほど経つと、とうとうイルカは我慢できなくなり貝殻に体当たりを始めました。とっても頑丈な貝殻なので壊すのに丸1日もかかってしまいます。 何度も、何度も、びくともしない貝殻にかみついたり、ぶつかったり、思いつくことを全てしました。イルカは自分の身体が壊れたっていいと思いました。 こうしてやっとの思いで貝殻を壊すことができましたが、人魚姫はすでに真っ白な顔をして気を失っていました。そして、人魚姫のひれは痛々しく折れ曲がっていました。 そしてイルカは気づきました。人魚姫は閉じこもっていたのではありません。ずっと貝殻に捕まえられて逃げられなかったのです。 『うつくし病は閉じこもる病ではない。閉じこめられる病だった。もっと早くに貝殻を壊すべきだった』 彼女が閉じ込められ痛み苦しんでいる間、彼女が生きている間、彼は助けるどころか彼女を傷つけ苦しめてしまっていたです。 『どうしてそのことを言ってくれなかったのだ』 自分の過ちに絶望したイルカは重くなった人魚を抱え暗い暗い海の底へ沈んでいきました。 イルカが愚かでないところが1つだけありました。 彼が信じていたように”うつくし病”はどこにでも存在する流行病なのです。 「はい、おしまい」 「一樹、ごめんね」 「いいよ、ううん、ごめん」 次第に叩きつけるような激しい雨になり、一樹は窓を閉めた。 雨音が窓に遮られ、あたしのすすり泣く音が響く。 「ねえ、絵理香」 「何?」 「一緒に暮らすようになって思ったんだけどさ、やっぱり僕たち、別れよっか」 「・・・うん、そうだね」
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