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序章 嫌じゃあ! 大奥なんぞに行きとうない!
その女は譜代大名の家に生まれ、お転婆ながらに蝶よ花よと何不自由のない暮らしをしていた。
女はこの生活が永久に続くものだと疑うことはなかった。輿入れも自分の家と同格の譜代大名の御曹司が一目で求婚を求めるぐらいの美貌を持ち、引く手数多。
女が「どこの家の男子が良いかしら」と、家柄と届いた貢物の量と質で値踏みをしていると、女の父親が部屋へと入ってきた。
「はいるぞ」
女の父親は譜代大名の朱鷺捨丸(とき すてまる)、かつての天下分け目の大戦において先祖が東軍に属したことにより譜代大名に任じられた。捨丸はその当代である。朱鷺家は代々江戸に程近い藩、蒼隆(そうりゅう)藩を任され、地元領民からも人気の高い名君と評されていた。
「もう、父上。娘とは言え女子の部屋に入る際には一言お声掛けの方をしてくださいませ。お召し替えの途中であったならば恥ずかししゅうございます」
「だから『はいるぞ』と言ったではないか」
「声をお掛けになった刹那に障子を開けては無意味でございます」
捨丸はがはははと豪放磊落な笑いを見せた。もういつものことだし怒っても仕方ない。
女・朱鷺瑠璃(とき るり)は、男子の値踏み資料である文をそっと自分の後ろに隠してしまった。慌てて振り向くその頭には自分の名と同じく碧く美しく輝ける瑠璃の宝玉が付けられた簪が付けられていた。その簪、瑠璃の元服の祝いに送られたものである。
「お瑠璃や、また男子の値踏みをしていたのかい」
見通されていたか。瑠璃はやれやれと言った感じに隠していた文を出した。
「どの男子を選べばいいか悩みどころです。花井家は領土も城も大きいけど、この前あそこの御曹司にお会いしたら歯が汚いの、あれでは口吸いなぞしとうありません。野尻家は京の都の麿呂を思わせる貴公子でお優しいのけれど、お歌の才能が足りなく頭の足りなさが見えますの、あれでは一緒にいても間が持ちませんの。やっぱり長谷家の御曹司は朝廷の公家で家柄はいいし、それに尊敬する従兄弟の兄様で……」
「もうよい。わかったわかった! お前の美しさならば相手は引く手数多、好きに選ぶが良かろう。と、言いたいが、そういう訳にもいかなくなった」
「どうかなさいましたか?」
「実はな、江戸におる雅成(まさなり)がな…… 狩りで運悪く丹頂鶴を狩りおってな」
「あらまぁ、可哀想に」
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