第四章 真実一路! 目指せ御台所!

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 富士子の手が止まった。次の一手を打つ場面なのだが、なかなか手が動かない。半刻の更に半分ほどの長い長考の末、一手を繰り出した富士子は(おもむろ)に口を開いた。 「えっと、先の将軍様を殺した下手人の女中って知ってるかしら?」 知ってるも何もその本人である。瑠璃は苦笑いを隠しながら一手を繰り出し、沈黙でその返事を返した。 「朱鷺瑠璃、お瑠璃って御方。お美しくて、心技体全てを兼ね備え、家柄も譜代大名の出で、天が一物も二物も与えたような素晴らしい御方。あまり付き合いはなかったから顔はよく覚えてないんだけど、とにかく綺麗な方だった」 褒められたものだな…… 瑠璃は照れくさくなり緊張で手に汗握るようになっていた。必死にそれを隠すために膝小僧で掌の汗を拭う。 「その御方、御次だったんだけど…… すぐにお手つきになるか、次の御台所様になるって思ってた」 形は違えど、それを実現させた瑠璃が一番驚いていた。瑠璃は沈黙を守った。富士子は続けた。 「大奥の薙刀のお稽古の日、泰明院様が思いつきで前の将軍様…… 永光様のお相手を決めることになったのよ。永光様は母親には逆らえない情けない男なのか言いなり操り人形、文句も言わない。その方法が薙刀の腕を競い合うこと。渚子様…… 今の栄光院様が十年前にお子を成して、幼い内に天にお帰りになったの。大奥からしたら一大事、泰明院様としては早く世継が欲しかったのね。それでこんな思いつきを」 「……くだらない」 「そうね…… 私だってそう思う。でも、大奥ではこの下らないことが重要問題なのよ。栄光院様も腹が悪いって毎日のように詰られていたわ」 その詰られている姿は瑠璃も見たことがある。泰明院は廊下ですれ違い様に渚子に肩をぶつけ「ややこはまだかいなぁ?」と宣うのである。その後、渚子は廊下の中央で蹲り打掛の袖を濡らしていた。思い出すだけで胸が締まる思いに襲われる。 瑠璃は話の続きを富士子に促した。 「それで? 薙刀の腕の競い合いの結果は?」 「お瑠璃が勝ち上がったわ。あたしが決勝戦の相手だったんだけど、強かった…… 本物の薙刀を使っていたら胴と足が泣き別れになっている程の一撃だった。今でも思い出すだけで寒気がするわ」 「……こちらだって捌き切れなければ蜂の巣みたいに穴ぼこだらけになっていたわ」 「え?」 「いいえ、気にしないで。続けて」 あの瞬間(とき)の戦いを懐かしんではいられない。瑠璃にとってはここからの富士子のことは知らない話。緊張し、何度も何度も唾を飲み込む。そんな瑠璃の押さえきれない感情も知らずに富士子はぽんと手を叩いた。
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