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朝の準備を終えた二人が向かうのは江戸城中奥にある御清間。そこに安置された初代将軍以降全ての位牌を参拝するのである。瑠璃は位牌が壁を埋めるように並べられた光景をみて気圧される。大奥の女中でこの御清間に入ることが出来るのは御台所のみである。
「どうであるか?」
「どう…… と、申されましても……」
瑠璃にとっては元を辿れば同じ血ではあるが、現時点では縁もゆかりもない見知らぬ他人の位牌にすぎない。ただ、将軍家の胤が連連と繋がっているのだとしか思えないのであった。
「兄も、そなたと同じ気持ちであったのだろうな」
「あの、それはどういった」
「縁もゆかりもない者の位牌を見て何を祈れと言うか。とでも言うべきだろうかな?」
今、自分が考えていることを読まれたようで瑠璃の背筋に激しい寒気が襲った。しかし、それよりも驚くべきことを言ったことに気がつくのに刹那の時を要した。
「兄君…… つまり永光様が『縁もゆかりもない』とは」
「ほう、朝の起き抜けの割には右から左に聞き流さんぐらいには頭が動いているようで何よりだ。その通り、兄・永光には彼ら将軍家の血はない。流れておるのは大奥に巣食う怪物、泰明院の血と…… 五代目歌舞伎団五郎の血よ!」
自分の頭がどうにかなってしまったのだろうか。耳の中に蛆虫でも入ってしまったのだろうか。瑠璃は頭を抱え、左右に激しく振り動揺に動揺を重ねる。将軍は瑠璃に構わずに話を続けた。
「泰明院、我が母は元々は外様の地方の小藩の娘だ。父親の藩主に半ば無理矢理大奥に放り込まれたそうだ。将軍を暗殺し、天下分け目の大戦で西軍につき外様大名とされた復讐のためにな。本気で倒幕を企んでいたのだ」
「昔の話なのに……」
「恨みというのは人の心に宿る不死身の生物だ、親から子へと宿る悪霊と言った方が良いかも知れん。幕府に対する恨みを晴らすために大奥に入ったはいいが、なかなか将軍の『お手つき』にはなれない。そんな折だ、歌舞伎座で四代目歌舞伎団五郎の公演が行われると大奥内で話題になったのは」
「今は六代目歌舞伎団五郎…… 五代目は……」
「もうとうに亡くなっている。泰明院がまだ娘であった刻の話であるからな。御切手書に袖の下を渡して歌舞伎座の公演に行き、陰間茶屋で芸を磨いているからと指名をするように言われたそうでな。泰明院は御切手書に袖の下を渡して何度も何度も会いに行ったそうだ。そんな折『お手つき』に選ばれてな、そのまま十月十日後に生まれたのが兄の永光だ」
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