第四章 真実一路! 目指せ御台所!

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 瑠璃が中奥から大奥へと続く襖を開けた瞬間、激しい違和感を覚えた。いつもであれば、総触れ前の朝の掃除や、大奥女中全員の朝食の準備で女中が大奥中を走り回り忙しい筈の大奥が静寂を守っているのだ。将軍が倒れた報告はされる筈がない。こんなことをすれば大奥は阿鼻叫喚。総触れの中止にしても「中止」とだけ御鈴廊下の御鈴係に入り、理由までは説明されない。その後は迅速に御鈴係が大奥中に「総触れの中止」だけを報告し、女中達は普段通りの奉仕に入るのだ。将軍が倒れたのはまだ半刻の半分も経たぬ内、報告があるにしては早すぎる。つまり、早朝の今の時刻で「静か」と言うことは大奥ではありえないことであった。瑠璃が不自然さを覚えながら廊下を歩いていると、紫の矢羽根文様の着物を纏った女中達がスタスタと廊下を走り回っているのが見えた。彼女達は御末で大奥では最下級の女中である。瑠璃はその内の一人を呼び止めた。 「何事です。朝の掃除も朝食の準備もせずに」 「あ…… 御台所様」 その御末からすれば御台所である瑠璃は雲の上の人。平伏し、頭を垂れ、蹲おうとした。 「控えずともよい! この騒ぎが何かを説明しておくれ!」 「え、あ…… 実は……」 「早く言わぬか!」 大奥の最高権力者なんだから、このぐらい傲慢で不遜な態度でいいだろうか。瑠璃はこのような蓮っ葉な口の利き方に慣れていない。これでは単なる機嫌の悪い人ではないかと自省する。 「泰明院様と…… 拾丸君様が…… 今朝からお姿がお見えにならなくて…… 大奥総出で探しているのですが……」 次から次に困らせてくれる。いい加減にして欲しい。瑠璃は溜息を吐いた。 「まぁいいわ。あたしも探すから、どこか他探してないところは?」 「後は……」と、女中が言おうとした瞬間、別の女中が血相を変えた表情をして現れた。 その後ろには女中達が同じく血相を変えた表情をしながら走り回っている。 まさに阿鼻叫喚の騒ぎであった。 「たたたたたたた大変でつーッ!」 「何です! 御台所様の御前ですよ!」 「あ…… あ…… でも…… でも…… かじ…… かじで…… ああ、どうしたら……」 このままでは話が出来ない。瑠璃は思い切りその女中の頬に平手打ちを放ち、強引に落ち着かせた。 「早く言いなさい! その舌は飾り!?」 「あ…… 御台所様…… ご機嫌麗しゅう御座います。私のような御末なぞにお声かけを頂き光栄の至りで」 「挨拶はいいから早く何があったかを説明なさい!」 「かじぃ…… 火事なんですぅ…… 長局が燃えて…… 火元で…… それから御膳所の台所からも火が…… 火の回りが早く、長局は火に包まれ……」 「わかったありがとう。あなた達もさっさと逃げなさい。御錠口と七ツ口は開けてあるんでしょ?」 大奥から外に出るには御錠口と七ツ口の二つの出入り口を使うしかない。大奥の女中たちは炎と煙を見た瞬間から、我先に我先にと大奥の中の身分関係なしに押しのけ押しのけと向かい行く。 そこにはもう厳しい身分制度に縛られた女中はもういない。そこにいるのは生を希求する人間達である。
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