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そして、追い詰められた俺は最悪な行動を取った。
久々に取れた会社の休み。俺は自宅に帰るのが億劫でたまらなくなり――なんと三日間も家をあけて、のんだくれて遊び歩いてしまったのである。春先の温かい時期。エアコンがなくても、特に暑さ寒さで死ぬようなことのない時期だ。ついでに治安のさほど悪くないところに住んでいるので、窓を開けっ放しにしていても泥棒が入ってくるということはないだろう。
が、だからといってまだ四歳の息子と犬を、ほったらかしておいていいはずがない。というか、春先だからうんぬんというのも、殆どその当時の俺が考えられていたかどうかは怪しい。とにかく、存在そのものが俺を追い詰めるような二人から逃げたかったというのが正しいだろう。そろそろ帰らなければいけない、そう思って家路に向かった夜も、罪悪感は殆どなかった。酒とストレスで、全く回っていなかったと言った方がいいかもしれない。
三日間。犬はともかく幼児が飲まず食わずでいたら、それだけで死ぬリスクは十分にあるだろう。ちらり、と脳の片隅に、ガリガリに痩せた息子が倒れている姿を想像していた。ここで自分が彼を死なせたら、自分は殺人犯で捕まるのだろうか、とも。そう、結局かろうじて考えたのは、己の保身だけ。あとは家が凄まじい状態になっていたら面倒くさいな、くらいのものである。
だから、驚いたのだ。
「……え?」
家は、確かに散らかっていた。交換されなかったペットシーツの上にはザシャの糞が山盛りになっていて結構な臭いを鼻っていたし、箪笥の引き出しは開けっ放しで一部衣服が散らばっていたし、ついでに言うならペットフードの残骸も一部廊下に散っていた。誰も掃除をしなかったのだから当然だろう。
でも、その当の息子は。リビングで横たわっているザシャの腹を枕にして、すよすよと寝息を立てていたのである。痩せ細っていることもなく、ちょっと髪の毛はぐちゃぐちゃで犬の毛にまみれていたがそれだけだ。殆ど健康そのもの、といった姿に俺は逆にびっくりさせられていた。
「ど、どういうことだ……」
俺が近づくと、ザシャの方がさっと起きて、頭を持ち上げると“ばふっ”と小さく鳴いた。それ以上近づくな、子供が起きるだろ、と言わんばかりである。
お前ご主人様相手に失礼な態度だな、と少しだけむっとしたが。息子がやがて、むにゃむにゃと寝言を言いながらザシャの腹に顔をうずめるのを見て我に返った。
「にゃ……ママ……ママ」
息子は。子供を産んだこともない、出るはずもないザシャのおっぱいを吸っていたのである。ただ寝ぼけていたかもしれないが、確かに彼女を“ママ”と呼びながら。
「ザシャお前……本気でそいつの“お母さん”にでもなったつもりなんじゃないだろうな」
あり得ない、とその時俺は笑ったものだ。
だってそうだろう。犬が、どうして人間の子供の母親になんぞなれるだろうか、と。例えゴールデンレトリバーであり、幼児よりもずっと体が大きかったとしても、だ。
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