母親の名前

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 ***  そう、嘲っていたのにだ。  家を片づけたあとで息子に話を聴くと、息子は拙い言葉で三日間のことを全て話してくれたのである。  彼は、妻がいなくなったのは自分のせいではないかと思っていた。彼女もまたいなくなる直前に、息子にやつあたりのように叱ることが多かったからだろう。だから、なるべく自分のことは自分できるように頑張ろうと思って、着替えやお風呂を一人で入れるようになろうとしたのだそうだ。彼がきちんと服を着替えていて、体もそれなりに清潔に保たれていたのは、四歳ながらひとりでお風呂を入るスキルを身に着けていたからだったのである。 「さみしくなかったよ。ドムがわからなかったら、ママが全部教えてくれた!」 「ママ?」 「ママ!もう一人のママ!お風呂、一緒に入ってくれたよ!」  ドミニクがそう言いながら抱きついたのは、ザシャである。ザシャは嬉しそうに笑いながらこちらを見ていた。嘘だろう、と俺は思った。まさか犬が、息子の生活を手伝い、世話をしていたとでもいうのか。では、ペットフードが散らばっていたのは。 「お前、ペットボトルとか水はあったからいいとして。食べ物どうしてたんだよ。家に大して残ってなかったはずだろ」  予想通りというべきか。ドミニクはえっへんと胸を張って言ったのだ。 「ママがわけてくれた、ママのごはん!」  最近のペットフードは、人間が食べても美味しいものがあったりするとは聞いている(ただし犬猫に塩分はご法度なので、非常に薄味には違いないのだが)。確かに、俺が餌を出すところはザシャもずっと見てきているし、人間のメシを作れなくても自分のフードを引っ張り出してくるくらいはザシャにできてもおかしくない。でもまさか、あの食いしん坊のザシャが自分のご飯を人間のこどもに分け与えるだなんて。 「……犬は、ママにはなれないんだぞ」  思えば。何故言葉が話せないはずのザシャを、ドミニクは普通に“ママ”と呼び慕っていたのか。今から思えば、俺が知らない間に、二人だけの特別な時間があっただろうことは想像に難くない。 「あんまりガキを、調子に乗せるんじゃねえよ。……お前は、絶対にこいつの母親になんかなれない。絶対にだ」 「わんっ!」  そんなことはわかっている。そういうように、ザシャは吠えた。そんなことをしている間にも、ドミニクは嬉しそうにザシャのしっぽでじゃれていたのである。
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