母親の名前

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 ***  小説でも、時々見かける設定。  果たして異種族同士で、恋人同士になれるのか――そんな問題。ファンタジーの世界では、人間と悪魔が恋人同士になったり、オークと天使でカップルが成立するなんて話もあったりはする。俺も暇つぶし程度にそういった作品を読むことがあったが、正直本気にしていたつもりはなかった。  少なくともこういう設定は、架空の世界だからこそ成立するものだと。  現実の世界で、異種族同士で本当に愛し合うことなどできるはずがない。それは恋愛に限らず、家族としても同じだと思っていた。そう、どんなに足掻いても、人は種族を超えるのには限界がある。人間の子供の母親になど、たとえ本人(本犬?)がどれほど望んだところでなれるはずもないのだと。  ザシャが、どのような意図をもって、ドミニクに対し母親のような振る舞いをすることを決意したのかはわからない。単純計算で言うなら彼女の方がドミニクより年下なわけだし、妻がいて正しく母親という存在を知っていた頃の息子を見ているなら尚更である。例え妻が出ていったとはいえ、その間に自分が入り込む余地などないことくらい、彼女もよくわかっていたはずなのだ。  そう、何度考えても俺にはわからなかったのである。だから。 「ザシャ、やめろ、何すんだ!」  妻がいなくなって、一年が過ぎたある日。家が火事になるという惨事に見舞われた。隣の家が寝煙草で失火したのが、俺達の家にまで燃え広がってきたという寸法である。運が悪いことに、俺はその日仕事に行っていて家をあけていた。夜帰ってきたら家がごうごうと火に包まれており、唖然とさせられたというのが正しい。あちこち火傷をしながら飛び出してきたザシャは、ぐいぐいと俺の袖を引っ張った。  まだ中にドミニクが残されている。お願いだから助けてくれ、と言うように。 「無茶言うな、できるわけねえだろ!」  俺達の家は二階建て。二階がドミニクの部屋で、まだ火はそこまで回っていないように見えた。だが、一階は既に火の海だし、仮に突破できたところで帰りの道が確保されているとは到底思えない。  助けることなんか、不可能だ。俺だって命は惜しい。父親として最低なのはわかっているが、俺はそこまでして息子を助けに行くだけの勇気なんぞ、その時は持ち合わせていなかったのである。
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