八色目の虹

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八色目の虹

 海は青で空も青。  バナナは黄色でナスは紫。  止まれは赤で進めは緑。  虹は七つの色で彩った。  子供の頃からそこにある。  それを不変だと思っていた。 『虹は七色じゃないんだよ』  今ならその言葉の意味が分かる。  少し……遅すぎたのかもだけど。  あの人が発した色は……。      *         *  私より六歳年上の女性は、とても綺麗なお姉さん的存在だった。とても長くて繊細な金髪で、女性雑誌のモデルをやっていても不思議ではない抜群のプロポーションをしている。やわらかそうな唇。強調された胸。粉雪のように壊れそうで白い肌。スラっとした手足。極めつけが……もう、止めよう。これ以上あの人の特徴を羅列しても自分がみじめになるだけだ。  それに比べて私は十四歳にしては低すぎる身長。可愛くないとしても普通の顔立ち。普通の中学二年生。あと、貧乳。『女の子は胸の大きい小さいじゃなくて母性をこれでもかッ!! ってくらいに見せ付ける腹黒さが大事なんだよ!』……と、クラスの女の子がフォローしてくれたようなしてないような……。その優しさが非常に心をエグったのは今でも鮮明に覚えている。  そんなお姉さんに初めてあったのは今日の七時。なんだか学校に行くのが面倒になって、近所の公園でグテー…っとしてた時だった。  バリバリ! と、雷もといバイクの音が鳴り響いた。その不快音にイラっとしたので、文句を言おうと起き上がったら……見惚れた。バイクの映える黒とは非対称に白い服装の女性に。  その女性はタバコを加えながら私に話し掛けてきた。 「ねぇ。そこの猫さんプリントのお嬢さん」 「……猫さん? え、ちょ?  あの、……あ」 刹那的にスカートを押さえて顔を真っ赤にする。 「お嬢さんにはどんな世界が視えているのかしら?」 「へ? ふぁ……い?」 「知ってる? 虹は七色じゃないんだよ」  その時は言葉の意味が分からなかった。  虹は七色でそれ以外に何の色がある。 「それ」が理解できずに生きて。 「視える」景色だけが「全て」だと思っていた。 「えっと…虹は遥か昔から七色じゃないんでございましょーか?」  思わず語尾が変になる。 「じゃあ確かめに行こっか?」      *         *  バイクは更に速度を増して。  景色は「知っている」から「知らない」へ。  普通なら付いて行かないだろう。『知らない人に付いて行っちゃダメ』だなんて幼稚園児でも知ってる世の中だし。でも、この時はそんなの関係なかった。『何処か遠い場所へ行こう』という感情でいっぱいだった。  学校も友達も家族も景色も。夢だとか愛だとか希望だとか友情だとか信頼だとか……そんなのは全部一緒に視えた。全部……どうでもいい『黒』だった。 毎日、毎日、昨日の繰り返しが嫌になって、逃げ出すその先に何が視えるだろう。 「あの……二人乗りでノーヘルなんてマズいですよね?」 「ヘルメット越しに景色を観てもつまんないわよ」  どんな理屈ですか、と思いながらも、風になびく髪が、頬を撫でてくすぐったかった。  バイクは更に速度を増して。  景色は「知らない」から「知っていく」へ。  淡々とした会話で彩った時間は淡々と過ぎて。  やがて景色は風景の一部に溶ける。  凍てつく風を凌ぐ事さえも呼吸になりかけた頃、バイクは止まる。 「見つけた……」  言って、バイクから女性が降りる。続いて私も降りる……瞬間、目の前には大きな虹と海が広がっていた。 「綺麗。……って、まさかずっと虹を探して走ってたんですか?!」 「だから『確かめに』って言ったじゃない」 「いや、言いましたけど。言いましたけどね!  見つからなかったらの話なわけで……」 「見つかったんだからいいじゃない」 「まぁ。そうなんですけど……」  こっそりと虹の色を数えてみたがやっぱり七色だった。が、しかし……。 「実のところ、虹は七色なのよ。でも、あなたはそれを不変的な事だと決めつけた」  ムッ、としたがあの人はそんなのお構いなしに話を続けた。 「ほら、この海だってそう。本当は青くない。人が棄てたゴミや砂で酷く汚れているの」 あの人の目は何処か切なくて。哀しくて。凛と、澄んでいて。頬に『それ』が伝い溢れそうなほど潤んでいる……ような気がした。今となっては知る術もないのだけれど。 「もちろん、その逆も。あなたが一緒くたにしている『世界』だって、沢山の色を持ってるのに……もっとよく視てあげて。酷く汚いけれど、儚くも綺麗な事だってあるんだから」  分かってる。分かってた……分かってるハズだった。どんな辛い毎日ばかりでも、辛いだけではないって。気付いたら其処にいて、其処にあった。大切なモノ。忘れてはいない。ただ、忘れかけていた。楽しいことだって、どっかその辺に転がってる。だから、もう少し探してみようとも思う。つまんない日常だけど。大切なモノ。 「じゃあ、帰ろっか?」  私は小さく「うん」と頷いた。      *         *  翌日、あの人の母親から電話があった。  酔っぱらった運転手のトラックと衝突して死んだそうだ。  何故ウチに電話が掛かってきたのだろうと思ったが、あの人は母親に嬉しそうに話してたらしい。私の事を。私はあの人に何かしてあげただろうか。ただ、一緒に虹を探しに行っただけなのに。誰でも良かったハズなのに。私が寂しそうな顔をしてたから? 自問自答。繰り返す。その、答えは……。  でも、今ならあの言葉の意味が分かる。  少しだけ…遅すぎたのかもだけど。  あなたが発した色は、今でも鮮明に私を捉えている。  あ、そうそう。後から聞いた話なんだけど、あの人は『色盲』という独自の色覚を持っているらしい。もしかしたら比喩じゃなくて本当に八色に視えたのかもね。  私にも視えるかな? 『八色目の虹』が……。
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