ハイブリッド・ラン

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ハイブリッド・ラン

 位置について……ヨーイ、ドン!  その僅か三秒の間に、三年間の思い出が馳せる。何足も履き潰し たスニーカーには、泥に塗れた練習の記憶を乗せて。ただ、まっす ぐに。百メートル先にあなたを想い描きながら、ピストルが鳴るの をひたすら待った。  高校最後の陸上大会。その真っ只中に僕はいる。  銃声が響けば始まる。始まれば終わる、終われば始まる。百メートル先のあなたに伝える気持ちを、三秒の間に考える。刹那、銃口が空に向けられて、僕も一緒に始まりの合図を呟く。 「位置について……ヨーイ、ドン!」  湿った地面を蹴って、走り出す。      *         *  陸上部に入部した理由は好きな先輩が誘ってくれたからで、別にこれと言って走るのが好きなわけではなく、むしろ嫌いな方だった。大した実績も持たないクセに無駄に練習と上下関係だけは厳しかったが、それでも辞めずに三年間やってこれたのは、やはり先輩への憧れが一番の理由だった。  先輩は卒業してからも、ちょくちょくと部活に参加してくれては優しくしてくれた。もちろん僕以外の人にも部員にも平等に接するし、誰に対しても優しいんだけど……。その為、先輩のファンはとても多い。加えて、色んな人から告白されていた。    そんな先輩に無謀にも告白したのが、大会前日の僕である。この三年間、伝えようか伝えまいか悩みに悩んだ挙げ句、このままだと自分がダメになってしまう気がしたので、雑ざりあった想いをぶつけたのだ。真夜中0時。衝動的に家を飛び出して、先輩の家まで辿り着いた。インターフォンを押して出てきた先輩のお母さんに、「先輩に明日の大会についてアドバイスを貰いたいと思いまして」と苦し過ぎる言い訳をして、何とか先輩に会えた。  戸惑う先輩の気持ちなどムシして、僕は僕の想いを先輩に伝えた。先輩は困った顔をしながらも、少し考えながら口を開く。 「私……速い人が好き……」  言って、先輩は家の中へと入ってしまった。それがどういう意味なのか分からない。けど、何となく、ふられたんだなってことだけは理解した。そして、高校最後の大会に、至る。      *         *  ……。……。……。終わった。 「残念だったね。でも自己ベストじゃない! うん。感動!」  ベンチでうなだれている僕に、先輩はタオルとスポーツドリンクを渡して頭を撫でてくれた。気持ちは嬉しいけど、そうやって誰にでも無償の優しさを与えるから、勘違いしてしまうんだ。 「だけど、優勝はしてないですから……」  わざと拗ねて先輩を困らせる。昨日と同じように、困らせる。そんな困った顔も可愛いと思ってしまう僕は、やっぱり付き合う価値なんてないのだろう。 「……ヨーイ、ドン!」 「え、ちょ?! つか、先輩速すぎだし!!」  そう言って急に走りだした彼女は、数秒後に僕の眼の前から消えそうな勢いだった。遅れを取りながらも走って、駆け出す。一度走るのを止めてしまうと、二度と先輩に会える気がしなくて、とにかく全力で走った。これくらいのスピードだったら優勝できたのにな。  ……という、くだらないことを考えて、苦しくても、ひたすらに。 「な、なんだ……もっと、走れるんじゃ……な、い」 「せ、先輩……こそ……速すぎます……よ」  二人とも息を切らしながら呼吸を整える。……と、 「あ、そうだ。昨日の『速い人が好き』ってのは何なんですか?」 「あー……うん。あれはー……えっと……えいッ!」 走り出す。 「何でまた走るんですか?!」 「私は速い人が好きなのー!」  ……まだ応えてくれなくても構わない。その日が来るまで歩みを止めることもなく、色んな想いが雑ざりあって、僕も走り出した。
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