終末思想

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終末思想

 死んじゃえ。とか、普通に考える。例えば、自己中心的な人間とか。例えば、血液型に未来を託すロマンチストなど。知らない人に挨拶されるだけで、冬の訪れを感じるだけで、とても優しい気持ちになれるのに。二秒後には普通に考える。死んじゃえ。とか。世界なんか壊れちゃえ。とか。幼稚で当然のように毎日考える。  そんな事を思ったからこんな世界になったのか。或いは、これは彼女の夢なのかも。これは彼女の望む世界。全てに置いて平等で不公平で。全てに置いて綺麗で醜くて。何が楽しくて、何が悲しくて、何を求めて生きて、何が嫌で死にたくて、終末思想。稚拙な彼女。  そんな彼女でも好きになったんだ。それでも僕ら恋人になったんだ。色恋しそう。歪んだ思想。正しい彼女に合わせるよ。終末思想の集合体に合わせるよ。      *         *  二月の寒さで目が覚めた。  デジタル時計の表示する数字が全て0になっていて、アラームが鳴らなかったのだ。携帯で時間を確認すると十三時を過ぎていた。あとで時計の電池を取り替えようと思いながら、僕は日課のようにテレビの電源を入れると、そこには砂嵐が映る。故障でもしたかなと思いケーブルの類を調べても全く原因は解らなかった。  今日は彼女と待ち合わせをして、『週末になったら』と前々から話してたクレープ屋さんに行く事になっている。待ち合わせ時間に少しでも遅れたら彼女はとても不機嫌になるので、三十分前だけどスグに服を着替えて家を出た。      *         *  外に出ると既に日が沈みかけていた。  時刻はまだ十四時を回っていないはずなのに、街中が鮮明なオレンジに染まる。しばらく商店街を歩いていると更におかしい事に気付いた。動物や昆虫は当たり前のようにありふれているけど、人の姿がない。いつも賑わっている商店街というわけではないが、こんなにも閑散としている光景を見るのは初めてだった。いや、閑散の言葉は相応しくない。誰一人いないのだ。恐らく。何処にも。静か過ぎて、心が騒々しい。  活気のない大型電気店。マネキンだけの洋服店。辺りを見回している内に状況の理解も出来ぬまま、時間と平常心だけが過ぎていく。 『現段階で考えられ得るエコって、みんな死ぬ事だと思うの』  彼女が言っていた。終末思想。  もしかしたらこれは彼女の夢なのかも。それか彼女の望む世界。  兎にも角にも、僕以外の生きている人間を捜す事が最優先だと思い、大型電気店へと足を向ける。      *         *  拡声器と大量の単三電池をパッケージから取り出してポケットに突っ込んだ。加えて双眼鏡を適当に見繕う。両手いっぱいに抱え込みながら店の外へ出て、一番見晴らしの良い建物を捜していると、数百メートル先にデパートが見えたので其処を目指す。  デパートの屋上に立って、拡声器に単三電池を二本セットしてスイッチを押す。呼吸。ゆっくりと、深呼吸。そして、 「       」  叫んだ。  誰かいませんか。とか。おーい。とか。誰もいないかもしれない現状を逆手に取って、彼女の名前とか。好きだとか。叫んだ。  大きい声を出したせいか、拡声器から発せられた音が割れる。何度も、何度も、似たような言葉を放つ。何時間も、何日も叫んだような気がする。なのに一向に雨が止む気配はなく、夕暮れは夕暮れのままだった。いつしか喉が潰れて、汚い地面に仰向けで倒れた。  ……。……。……。……ん。視界がぼやけてきた。呼吸も苦しくなって……。もう、いいや。この呼び掛けを聞いて誰かが此処に来ると思うから。例えば、彼女とか。例えば、彼女以外とか。その誰かが来るまで、もうしばらく倒れていよう。      *         * 『君は……その、私の事、可哀相と思った?』  互いに大学一年生だった僕達は小さい病院の大広間で対面した。 汚い椅子に座って、背中越しに。僕と彼女は大学で会うまで全く知らない同士だったけど、昨日の入学式での出来事は鮮明に、衝動的に覚えている。世界にはこんなにも綺麗な人が本当に存在するのかと思ったし、すぐに僕の憧れにもなった。 『別に……。理解してるつもりだし』 『…………そう』  言って、彼女は病院の出口へと向かって行った。と、思う。背中越しだったから。僕は存分に時間を空けた後、振り返り出口の方を見たけどやっぱり、当たり前のように彼女はいなくなっていた。  彼女の事が気になる訳じゃない。彼女の事が好きな訳じゃない。ただ、知りたいだけなんだ。彼女の世界。彼女の思想。僕は、ずっとそういった『差異』や『異常』に憧れていたから。 『君さ』『え?』  急に後ろから肩を叩かれた。声のする方へと体を回転させると、そこには二十代前半の髪の長い、綺麗な女性が立っていた。 『何ですか?』 『君はあの娘の、その……何なの?』 『……昨日入学式で知り合ったばかりの存在です』 『……そう』 『あの、あなた誰なんですか?』急に彼女と僕の関係性を聞いてくる失礼なあなたは、とまではさすがに言葉を続けられなかった。 『あの娘の主治医だよ』『はい?』  思わず大きな声が出てしまう。失礼なのは僕の方だった。でも、この女性が先生だとは思えない。だって、 『あー、よく驚かれるの。色んな人から『そんなに綺麗ならモデルにでもなればいいのに』って言われるし。大丈夫、慣れてるから』  確かにモデルになれそうなくらい綺麗な人だけど、自分でそれを言うからには、性格はお世辞にも良いとは言えないかもしれない。 『でもそれってさ、主治医にはオッサンしかいないと思ってるからじゃないの? 失礼とは思わない? 君を含めて』 『そんなイメージがありますからね』皮肉を込めて言ってやった。 『……君は、あの娘の事、正直どう思った?』 『そりゃ……まぁ、』不幸だな、とは思いましけど。言葉が詰まる。 『個人の勝手な価値観で不幸だと思わない方がいいよ。君がどれほどあの娘を不幸だと思おうと、あの娘の世界では絶対的な幸福が形成されている。例えそれがどんなに、』『あの』『…………何?』  もういい。もういいから。 『彼女は……その、どうしてこんな事になったんですか?』 『それは……、』  世の中には聞かない方がいい事もある。そう言って、僕に何の用事があったのかも解からずに女性は去って行った。守秘義務と言わなかった辺りが、彼女の、深い闇に届きそうで嫌になった。
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