ロベルトと左心房

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発車寸前の電車に間に合いそうで間に合わなかった女性が悔しさを押し殺す姿を車内から見て蠱惑的に微笑む彼女。 その姿を見て俺は別れを決心した。 が、既に俺は針のむしろだったことに、そのときはまだ気付いていなかった。 そう、俺は彼女に取り込まれていたのだ。 カタン コトン カタン コトン ゆっくり揺れる車内。 彼女の気高さをそのまま表したような大きな帽子についている羽が揺れる。 意を決して口を開ける。 「あのさ.…」 「ん?」 魚雷のような顔をした彼女が俺をキリッと睨む。 ここで冴えない漫画の主人公なら天気の話に持ち替えて話を逸らすが、俺はそこまでヘタレではない。 「あの…  ペコちゃんて右利きなのかなぁ…」 「は?何言ってんのあんた、暇なら黙って車窓から田舎の景色見て色褪せた幼少期の想いが久々に蘇りましたみたいな顔でもしてふけってろよバカ。」 「・・・」 駄目だ、別れを切り出すことは出来ない。 いや決して彼女に怯えてるわけではない。 そう、決して彼女に怯えてるわけではない。 ではなぜ切り出せないか。 まず、第一に彼女の横にはSPのような取り巻きがいる。 2人。白人の方がルーク、黒人の方がマーシャルというらしい。 おそらく彼女に無礼を働くと俺は彼らによってその窓から放り出されるのではないかと思う。 若い命。 まだ死にたくはない。 第二に彼女と別れると、俺はご飯が食べれなくなる。 自慢じゃないが、純度100%混じりっけなしのニートの俺は先日バイト先のコンビニも辞め、現在収入がもれなくゼロなのである。 若い命。 まだ働きたくはない。 こういう一人語りは少なくとも普通第三まではあるが、以上の2点が彼女に別れを切り出せない理由だ。 だがやはりもう限界だ。 このワガママ令嬢の一応彼氏という役職を与えてはもらっているが、とどのつまり実際はただの召使いなのである。 今日も新幹線で遠方まで彼女が食べたいと言っているわけのわからないスイーツを食べて買い物の荷物持ちをやらされるだけだ。 彼氏という割にはまだ手も触れさせてもらっていない。 車から降りるときも、ドアを開けて手を差し出したが「触れてくれるな、下等生物。」と言われてしまった。 そうだ、限界だ。 別れたい理由なら山のようにある。 そうだ。 こんなの彼氏でもなんでもない。 よし、決めた。 次の停車駅の直前でトイレに行くふりをし、そのままホームに降りてしまおう。 もう金銭面などどうでもいい。 このままこの人に仕える地獄に比べれば、無一文の状態で知らない土地に放り込まれ、街行く人に地面にめり込むまで頭を下げてご飯を食べさせてもらい、拒絶されて拒絶されてなんとか頼んでヒッチハイクで家まで帰る旅行記など、ただの男一匹極楽珍道記だ。 そして帰ったら1からまたやり直そう。 「ちょっとトイレに行ってきます」 すくっと立ち上がる。 「は?いちいち言わなくていいわよ気持ち悪い、永遠の0の特攻隊みたいな顔してトイレ行ってきますじゃないのよ気持ち悪い」 2回目の気持ち悪いをお聞きしたところで俺はスタスタとトイレに向かった。 「アーアーアーむ次は名古屋〜名古屋でございます」 マイクの確認したくせに噛んでやがる。 まぁいい。 だがよし、もう到着だ。 トイレを通り過ぎて名古屋駅で降り... 「小早川様どこへ行かれるのですか?」 小早川? あ、俺の名前か。 ん?こいつは、マーシャル。 俺の手をグッと掴んでやがる。 動けない。 「アーアーアー名古屋〜名古屋でございます。お降りの方は...」 トゥルントゥルン ドアが閉まる 終わった。 閉まった。 終わり名古屋。 あぁ誰かに言いたい。 それにしてもこいつ、なぜ俺か逃げるとわかった… 「あ、トイレそっちか、通り過ぎちゃったよ。ゴメンゴメン。」 「トイレが見つからなかったんでございますか、小早川様。 お気をつけなさってくださいね。」 マーシャルは鷹のような眼光で俺を睨んだ。 その後トイレに入って一応アリバイ作りのために用を足そうかと思ったが、なぜか数滴しかでなかった。 理科の実験で使ったピペットで水を出しているような感覚。 ピペット。 そう、俺はピペット人間だ。 彼女から逃げ出すこともできない。 新幹線から逃げ出すことさえできない。 ピペットハート。 しかし  なぜマーシャルは俺がトイレに行かないと分かったのだろうか。 念の為についてきただけなのだろうか。 そんな疑問を抱きながらも、席に戻ったピペット人間はピペット人間らしく、チョコンと端に座り、目的駅に到着すると彼女の 「さぁ、降りるわよ」 の合図で荷物を颯爽と持ち、重い足取りを隠しながら目的地のなんちゃらカフェに向かう。 Silver heart〜青い鳥の休憩場〜 これが目的地のカフェだ。 紫芋のタルト〜Yellow Happy〜 これが一時間半並んで食べたスイーツだ。 「うわ〜もう最高。映えたし、美味しいし、癒やされたし。」 この人は何を言ってらっしゃるのだろう。 大阪から横浜まで来てわけのわからない色の食べ物を食べただけだ。 ラーメン食べたい。 シュウマイ食べたい。 帰りたい。 その後もわけのわからない色のお召し物を彼女は買い、わけのわからない袋を俺は持たされ、わけのわからない時間に俺達は帰った。 家についた俺の目からはわけのわからない液体が流れた。 涙は透明のはずだ。 黄色に見えた。 これが「映え」というやつだろうか。 俺は「映え」を一定量見ると、映え色の涙を流すのか。 パブロフの犬のようだ。 いや、違うか。 ベットに入り天井を眺める。 色々な想いが駆け巡る。 銀 青 紫 黃 色々な色が駆け巡る。 うん、駄目だ。 よし、逃げよう。 もう俺はYellow Tears、いや黄色の涙など流したくない。 だがこの家は彼女にバレている。 となると、遠くに逃げて携帯電話は捨てよう。 リセットするのだ。 彼女との関係を。 全てを。 そして俺は必要最低限のものだけを持って、彼女が近くに潜んでるわけでもないのに、ゆっくりドアを開け、一人暮らししていた部屋に別れを告げた。 いつだって別れは突然だ。 深夜の街路を歩きこれからどうするか物思いに耽る。 ふと見上げると街灯に蛾が群がっている。 俺にも群がれる場所はあるだろうか。 いや、そもそも俺はこれで独りぼっちだ。 群がる、ということ自体がもう無理なのかもしれない。 さらに落ち込んできたので一旦公園のベンチにすわると、トントンと肩を叩かれた。 マーシャルだった。 人は本当に驚いたとき声が出ない。 見上げると街灯の光にマーシャルの顔が光っていた。 よくよく近くで見ると、意外と歳もいってそうだった。 そんなことを考えるくらい俺は冷静だった。 「こんな深夜にどこへ行かれるのですか、小早川様。」 その丁寧な言い方にはやはり圧があった。 俺はゆっくり立ち上がり、彼に従うふりをして一気に駆け出した。 こう見えても中学の時は野球部の代走要員だった。 1年から3年まで代走だった。 3年のときに「お前、陸上部に入れば良かったのに」と監督に言われた苦々しい想い出が蘇る。 大丈夫、マーシャルはいくら鍛えてても俺には追いつけない。 そう高を括っていたが、公園の出口にまた人影が見えた。 ルークだ。 俺はあっという間に取り押さえられ、マーシャルにも追い付かれ捕獲された。 そしてまた気付けば、先程別れを告げたはずの自分のベットで寝ていた。 俺は本当に逃げられないのか。 そして、彼らはなぜ俺が逃げ出すのがわかったのか。 なぜ逃げ出してからこんなすぐに捕まえられたのか。 少し疑問に思っていたことがあったので、実は先程の二人とのつかみ合いのときに俺はあることを仕掛けた。 二人のスーツの背中にGPSを取り付けたのだ。 俺は急いで対応してるスマホのアプリを起動させる。 バレる前に調べてしまわないと。 起動。 二人の居場所が表示される。 俺の部屋の両隣の部屋に彼らはいた。 やはり。 いくらなんでもSPが早すぎると思ったのだ。 だが。 にしてもおかしい。 俺は物音1つさせず、部屋を出たはずだ。 小型カメラで監視されてる? いや違う、天井付近にそんなもの見当たらないし、さっき俺が逃げたときたしかに途中まで彼らはついてきていなかった。 隠れる場所がないようなところでも後ろを何度も振り返ったから間違いない。 俺が公園のベンチで一息入れたときに彼らは追いついてきたのだ。 ということは おそらく俺の身体のどこかにGPSがつけられている。 持っていかない可能性があるから、持ち物にはたぶんつけない。 しかしどこだ? 俺の身体のどこに奴らは? そのとき奴らのGPSの信号が消えた。 バレたか。 しかしこうなったらもうヤケクソだ。 俺は少し考えた結果、ドアではなく窓から脱走を試みる。 たかが二階だ。 ここから飛び降りて裏からこっそり逃げよう。 たとえ俺の居場所がわかろうが囲まれさえしなければ追い付かれない自信はある。 何度でも言うが、俺は高校の貴重な3年間を代走に捧げた男の中の男だ。 明日、逃げる途中で病院に寄って医者に身体にGPSがつけられていないか調べてもらおう。 窓を開ける。 息を1つ大きく吐き、飛び降りる。 そのとき背後でドアを開ける音がした気がした。 まさか。 早すぎる。 俺が飛び降りた数秒後、隣の各窓からマーシャルとルークが飛び降りてきた。 なぜ?? その疑問も虚しく俺はまた即座に捕獲された。 「ふふふ、小早川様。 どうしてこんなにすぐ行動が読まれるか疑問に思っておられますね。」 俺は無言でうなずく。 「それはあなたの身体にもGPSがつけられているからです。」 そんなことは分かっている。 「どこについているかわからないでしょう?」 確かにさっき部屋の鏡の前で調べたが背中にもついていなかった。 「どこについているか教えて差し上げましょうか。 GPSは、あなたの左心房につけられています。」 左…心房? 「だからあなたはもう私達から逃げることはもう不可能なのです。 ちなみにあなたの位置情報だけではなく、あなたがドキドキするとその心拍数も私達にはわかるようになっているのです。 だからあなたの心拍数が増えるときには、私達は警戒していたのです。」 さ、左心…房? 「すみませんが、次に小早川様が脱走しようとしたら、私のところまで連れてくるように、とお嬢様から言われています。ご了承ください。」 俺はマーシャルに抱き上げられ、お姫様抱っこのような状態で彼等の車まで連れ去られた。 俺はもう抵抗する気も起きなかった。 動けなかった。 冷凍マグロのようだった。 築地に売り飛ばされるのだろうか。 いや、違う。 あの悪魔のところに飛ばされるのだ。 俺は後部座席に寝転ばされ、数分で悪魔の館に着いた。   途中、マーシャルとルークが何やらずっと母国語で喋っていたが英語の偏差値37の俺には何もわからなかった。 車から降ろされると、ほぼ同時に館の入り口が開いた。 悪魔だ。 蛇女だ。 メデューサだ。 「あら、こんばんは小早川。さぁいらっしゃい。」 不敵に笑うそれは悪魔の所業。 俺(マグロ)はまだ冷凍状態から解凍されず、マーシャルに担ぎ込まれたまま館に入り 「じゃ、マーシャル。 あの部屋によろしく。」 という彼女の言葉を聞き、どうやらその部屋の前までやってきた。 部屋の名前は消されてるが、よく見るとロベルトの部屋と書いてある。 ロベルトとは誰だ。 部屋に入れられると、壁に一面パイナップルの模様が描かれていた。 一見パイナップルは南国気分で楽しい雰囲気とと思われるかもしれないが、何個も壁に描かれていると恐怖すら感じる。 「では、小早川様ごゆるりと。」 マーシャルは凍った俺を降ろし、そそくさと出ていった。 嫌な予感がする。 カチッ。 鍵の閉まる音。 やはり当たった。 そのまま俺はずっと放置された。 恐怖から抜け出し、手足は動くようになったがもう逃げることもできない。 あまりの退屈に壁のパイナップルを数えることにした。 数時間後、壁の際の半分になったパイナップルを数えたか数えてないか、自分でもわからなくなってやめた。 やることがない。 まただ。 また天井を見つめて考え事をするしかないのか。 今度は目を閉じなければ真っ黄色だ。 嫌な色だ。 トントン。 ドアの音。 「ん、ファイ」 久しぶりに口を開いた俺の声は静寂にかき消されるかのような声だった。 「ん?いるのよね、入るわよ。」 この声は、、、 悪魔だった。 「あなたに話があるの。」 なぜか悪魔は小声だった。 「どうしたの?男のくせに、囚われの身の少女みたいな顔して。」 俺は顔を振った。 「…囚われの身。 実はね、囚われの身はあなただけじゃないのよ。」 え? 何を言ってるんだ、この悪魔。 「実はね、私も囚われの身なの。」 え? 「私、マーシャルとルークに監禁されているのよ。」 え? 「で、でも旅行とか行ってるじゃないですか。」 「それはね。 旅行は口実で、家に閉じ込めてると自分達も退屈だから外で監禁しようってわけ。 だから私達は旅行に行くのよ。 もちろん、私今まで自分の意思で行ったことはないわ。」 「え、じゃあ二人は結局誰なんですか?」 「マーシャルは私の父。ルークは私の兄よ。」 えー。 そう言って彼女は大きな帽子を脱いだ。 思えばこんなに近くで彼女の顔全面を見るのは初めてだった。 どちらかといえば色白くらいにしか思っていなかった彼女の肌は、ルークのそれと全く同じ色をしていた。 「私も今のあなたと一緒なの。 身体にGPSを入れられ、どこにも逃げれない。 たしかあなたは左心房に入れられたのよね。 私はマーシャルとルークにそれぞれ左心室と右心室に1つずつ入れられたのよ。 私の体力では逃げ場なんてない。 だからあなたを道連れにしたの。」 えー。 途中までそこそこ感情移入して、この女に対する憎しみがなんか少しぼやけてきていたのに。 結局悪者なの?この女。 というか正体はまさか… 「もしかして僕って、あなたの弟じゃないですよね?」 「違うわ。 ついでに言っとくと私の母親は、普通よ。 最寄り駅の中のパン屋で働いてるわ。」 「朝番ですか?夜番ですか?」 「朝番よ。週3よ。」 なんで、聞いたんだろ俺。 というか週何勤務かは聞いてないし。 「あっ、ちょっと待って。 月末は週4だったかもしれないわ。」 もう無視だ。 パン屋、ねぇ… 「あの、じゃあ僕のことを異常に虐げてたのって全部演技ですか?」 「まぁそれは説明したいけど時間がないわ。 いい?これから私の言う通りに…」 ドドドド 「おいルーク、ここに逃げたんじゃないかー?」 まずい、見つかった! 「フフフ。」 え?何この人!? うっすら笑ってるんだけど。 え? どうなるの俺達!? ふと壁を見る。 目がクラクラしてきた。 だめだ、また倒れそうだ。 「最後に1つだけきいていいですか? 時給何円ですか?そのパン屋。」
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