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 「今回の旅で何が一番大変だったの?」  旅を終え、実家に帰ると母が聞いた。  「一番。一番か。一番大変だったのは茨城県の大洗を目指してた時だね。そこから苫小牧行きのフェリーが出てたんだけど、想像絶する田舎で時間は夜八時くらいかな。本当真っ暗だったんだよね。俺、暗闇とか別怖くないけど、それでもあの暗闇は怖かった。何も見えないの。で、そんな時って色々起こっちゃうんだよね。  まず、パンクね。ま、福岡から茨城までずっと走って来てそれまでパンクしなかったのが奇跡だったのかもしれないけど、あそこでパンクしたのはきつかったな。あそこでパンクするならもっと前にパンクして欲しかったよ。どこでもいいから周りに人がいる時にね。  それで仕方ないから歩き始めたんだよ。俺の自転車のライトって自転車漕いだら発電するライトだから、徒歩だと全然光らないんだよ。携帯のライト使おうと思ったけど充電がやばくて、ずっとは使えなくて。看板とか分かれ道とかそう言う時以外は使わずに行こうって歩くんだけど本当暗いの。電灯とかほとんどないから、電灯以外何も見えないの。  そして最悪な事に雨が降り出したんだよね。ネットの天気予報だと日付け変わるまでは曇りだったんだけど、予報外れて。酷い雨ではなかったんだけど、嫌な雨で。」  「嫌な雨?」  「そう。嫌な雨。なんかたまにあるじゃん。雨粒が小さくて霧みたいな雨。傘差しても防げないような雨。そういう雨だったんだよ。傘は持ってなかったからレインコート着たんだけどそれでも濡れるんだよね。山だったから気温も寒くて。九月終わり頃だったけど凍えたんだよ。本当寒かった。それで立ち止まってタオルとか首に巻こうとしたんだよ。湿った震える手でリュック開けて、タオル取り出して首に巻いて。それで少しは楽になるだろうって出発しようと思ったら、わからなくなっちゃって」  「わからなくって?」  「自分がどっちから来たのかどっちに進めばよいのかわからなくなったんだよ。暗闇で。それまで高校の地図帳と道路の看板だけで茨城まで来たから、俺決して方向音痴ではないんだよ。道を見失うってあれが初めてだったな。方向音痴の人の気持ちがあの時理解できたもん。進んで来たはずの道がわからなくて、進むべき道もわからない。フリーズしたよ。人生初のフリーズ。フリーズしたら冷静でもいられなくなるだなってあの時知ったよ。考えが色々巡るんだけどどれが正解かわからない。ただ焦って歩き出すんだけど、それが正解の道かわからなくて立ち止まって、少しひきかえして、また立ち止まって。その繰り返し。  その時フェリー乗り場まであと十kmくらいでフェリーの出発時間は二時間を切ってたかな。チャリがパンクしてなければ余裕だったけど徒歩だと進まないといけない時間で。どうしようって絶望したね」  「どうしたの?」  「捨てる神あれば拾う神ありって言うじゃん?まさにそれだったんだよね。動く光が前から見えて。一台の軽トラックが前から来たの。二時間ぶりくらいに見た車だったよ。もう恥じらいとかなくて、手を大きく振って必死で呼び止めて。それで軽トラのおじさんが凄い良い人でさ。道だけ聞くつもりが、パンクしてるの知ると軽トラの荷台に自転車乗せてフェリー乗り場まで送ってくれたんだよね。おじさんの来た道をわざわざ引き返してくれて。大洗-苫小牧間のフェリー以外はチャリで絶対行くって決めてたんだけど。パンクと寒さと暗さで妥協しちゃった。旅、唯一の妥協。でもあの暗闇の中であの光を見た時は本当嬉しかったな」  「救われたんだね。良かったね。感謝だね」  「うん。本当感謝。俺今回旅に出たのは、俺は凄い。一人でなんでもやれる。それを証明したいってそんな子どもな理由だったんだよ。でも旅を終えて帰って自分の無力さを知ったよ。それだけ多くの人に助けられた。沢山の人が優しくしてくれたんだよね。優しさが痛いってわからないでしょ?自分がきつい時に優しくされるとその優しさって凄い沁みるんだよね。優しさが痛かった。一人じゃ何もできない。それを知れた旅だったよ」  「成長したね。あなたはもう一人で生きていけるよ」  「だから、一人じゃ生きていけないんだって。話聞いてた?」  母は笑った。僕も笑った。  手紙を書きながらニ年前、旅の報告を母にした事を思い出していた。  「そろそろよろしいでしょうか?」  係の人が呼びにきた。  「はい。今書き終えたところです」  「では時間ですので会場の方にお願いします」
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