〈第二話〉アヒルの子日奈子からの手紙(1)

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〈第二話〉アヒルの子日奈子からの手紙(1)

…ガ…ガッシャッ。 二回目のひとりエッチの空想で一番良くイケる瞬間がきたのに驚いて腰がズルっと床に落ちてしまった。同時に自宅マンションのドアポストのフタもガッシャリと音をあげて落ちた。い、いたい、う〜残念〜。良いところだったけど仕方がない。いったんパンツを上げる。何かポストに入ったみたいだ。 5月の始まりの週末は意外と寒い日。古びたエレベーターの閉まる音が響いた後、そんなに長くはない廊下をスーッとした空気が流れ持ち上げたポストにかけた指先をサーッと青白く冷やしていった。暖かく優しいハズの春の日差しも僕が家に籠もっている間に、シラフ顔になり、空の彼方の雲に遮られたよう。指先を引き抜くと夢から覚めたような気分。そして思い出す、今日は金曜日。独身男性の一人の週末の休日だ。そこへ封筒が一通舞い込んできた。さっそく差出人を見ながら開封する。 思わず目を細めている自分に気付いた。以前に好きだった人からだ。朝からさみしくて少し飲んでいたけど、嬉しくなってビールを台所の流しに戻した。彼女の前では酒飲みでない状態でいたい。きちんとした人に見られたい。封筒の中には薄い黄色のひよ子柄の大学ノート。表紙にはこう書いてある〈日奈子とブルーの夢の共有日記〉僕の彼女になる予定だった日奈子という名前のアヒルの子。僕の理想から現れたようなアヒル口で金髪ショートカットの女のコ。 …去年の夏期の公開講座で通学していた大学で出逢い、すぐに仲良くなった。彼女はこの講座と一部の昼間部にも通学していて勉強熱心だった。(児童文学を専攻してた)同じ年で親しみやすい雰囲気を持った女のコ。仕事以外では人と話すのが苦手で無口、緊張しがちだった僕にも親切に優しく接してくれた。先に話しかけてくれたのは彼女のほう。10代の頃は学校へほとんど行けてなかったので勉強についていけなくなっていた。彼女は分からない授業内容も丁寧に教えてくれた。面倒見が良かった。 送られてきた大学ノートは交換日記。仕事を持ちながら通学をしていた僕とは二人で顔を合わせる時間は少なく、すれ違っていた。夜中にSNSで話していても話しすぎてしまい彼女の朝の遅刻が増えていく。会いたいけど日常生活に良くない影響を与えるようになると学生だしせっかくの交際もしんどくなった。そんなもんもんと眠気が漂ってしまっていたある日、デートの時間を僕が間違え映画の時間に行かなくて結局その週の金曜はお互いに一人きりに。やっと数時間後に電話連絡が取れた時は不穏になっていた。 ゴソゴソ話していたけどさっきのドタキャンでモヤモヤしていたからか?電話口で大喧嘩になった。時間を間違えた僕が悪いんだけど、彼女の物言いが少しカンに障って嫌味を言いながらワガママに文句をぶちぶちたれ、お笑い番組を大音量でかけていたのがいけなかった。日奈子は普段優しいのに怒ると、とても怖くてアヒルのつぶらでカワイイ目というより真夜中の森にいるフクロウのような目つきになる。大きく見開いた大きな目はジーッと無言で睨みつけてきた。ビデオ通話からでも超迫力のアップ顔。彼女は、しばらく睨んだあと急にぶっちと通信を切ってきた。直ぐに電話やメッセージを送って謝ってもダメ。朝以降も無視。好き好き好きは遠くに逃げそうになると追いかけたくなる。やっぱり男ならではの恋愛ホルモンのせいだろうか? その後の授業も口を聞いてくれなくて目も合わせてくれない。仕方がないので彼女のノートにこっそりと「ごめんね」と謝る落書きをした。それは彼女が最新で書いたページの6ページ先に。彼女はノートに一日1ページその日の授業の内容を上手くまとめるクセがあった。だから6ページ先だと毎週デートする日の前日にその謝罪のページを見るだろう。で、上手く行けば許してもらい、一週間後は何時も通りデートする。(もっと早く見つかるかもしれない。それで許してもらえたらもっと早く会える。何しろ会いたい!) 結局作戦は上手くいった。お互いに頭を冷やす時間を作ったのは、二人のためになった。恋のはじめはちょっとした怒りなんて3日も持たない。あとの3日は彼女と一緒に撮ったピースサインなんか見て懐かしんでる。スグに寂しくなってしまう。そんなもんだ。交換日記はそんなふとした始まりだった。お互いの一日の中で一番に相手の事を考えられる時間に想いを綴る。今回はかなり会っていない。元気にしているのだろうか。最近は事情が合って手渡しできなくなって返信も滞っていた。まあその後に残念ながら訳があって本格的に付き合う前に別れていた。今は毎日、側にいる事もなくなった。でも交換日記はもし関係性が変わってもずっと長く友人として一緒に繋がりたいと付き合い始めからお互いが望んでいた。 数ヶ月前の去年の11月にさよならした朝、渡せなかったら郵送でもいいから今後も友人として続けていこうと気持ちを確認し合って。春がきた。その後の彼女はどうしているのだろう? 何時も日奈子との交換日記のページをめくる前にはふたりが好きだったアールグレイの紅茶をいれる。今日は何時もよりも長い時間かけて丁寧にいれた。なにかを期待している気持ちは嘘はつけない。ロマンチックな気持ちを盛り上げたい。引き出しから一緒にいた頃に雑貨屋でお互いに贈りあった細かい気泡入りガラスのポッテリとした指輪ひとつをカップに添える。片方は君が持っているハズ。 日奈子からの手紙: あなたが講座からさらに勉学を深めるために短期学部に編入して初めての冬が始まろうとした頃にあなたの姿を最後に見たのを覚えています。その後いかがお過ごしですか?数ヶ月の間、南の国に遊びに行ったとの事でその時のお土産が届きました、ありがとう。とても可愛くて部屋の窓辺に飾っています。久々の想い出のアールグレイを飲みながらこの手紙を書いています。私は当時言っていたようにあの後、あなたも交際をススメてくれたあの彼と付き合い始めました。 彼とは進展がありました。 私は今、結婚して妊娠をしています。春になればアヒルは繁殖の時期に入ります。暦通りに授かったのです。初めての出産です。色々不安で一杯ですが周りの人に助けてもらいながらなんとかこの期間を安心して過ごそうと思っています。 普段の週末は私とは一緒に過ごしては、いないのですが なぜかその週は、彼が家にやって来ました。 おしゃべりな人なのに一日中黙っていたのを覚えています。 数時間経ち、時計の日付が変わる頃に 大きなリボンに包まれたクッキーの缶を渡されました。 手作りの。彼はパティシエなのは覚えていますよね? フタを開けると「好きになりました。付き合って下さい」という手紙と大きなハートのクッキーが一個入っていました。 そう、ホワイトデーでした。 はじめてホワイトデーの日にプレゼントをもらいました。 それほど私には縁のないものでした。 紅茶をいれて一緒に食べた後にその気持ちを受け入れ結婚することになりました。始めにあなたにも話した事のある私の恋愛観、結婚観について手短に話し理解してもらいました。 アヒルは一夫一婦制で生涯ひとりのつがいと共に過ごします。 彼は「分かった」と一言言いました。私は受け入れてくれたのだと思っています。もちろん彼は浮気者な人物という噂は知っています。今後どうなるか?不安はあります。ただ彼の中で彼なりの私との結婚(または性行為への)の形があるのだと思います。それは私が決めたり変えたり出来ないものと思っています。長くなってしまったけどつまり、お互いの理想の結婚の形を尊重しますと言う事です。 ブルーさんは生涯ひとりの人と共に過すという価値観が同じだったので安心だった。でもそれもやっぱり縛る事はできないと思っています。(それでもあなたは生涯ひとりを愛すると言うでしょう。それは私も同じ考えです。)彼は彼なりの真剣さと優しさがあるんだと感じます。価値観を聞くとおおらかな彼らしい答えが帰ってきました。「とりあえずフィーリングが大事だと思う。一緒になってからその場その場で仲良くしていければいいな」と言ってくれました。率直でストレートな想いを受け入れました。結婚はふたりで作っていくものだと思います。これも時期でタイミングなんでしょう。早速早々と春には新たな人生が始まろうとしています。アヒルと人間では命の短さが違います。私達アヒルの寿命はせいぜい10年から20年です。でも一緒に過ごせる時間がお互いの人生の中で重なり合い充実した時間をおくれるように日々輝いていきたい。彼と共に残りの人生を過ごそうと思います。(普通に過ごせれば彼の方が長生きになるでしょう) 今回の交換日記の内容は私、日奈子の結婚と妊娠でした。 ブルーさんにそうなったら連絡するよう話し合っていたので連絡しています。お互いの人生について包み隠すことなく誠実に話す事。少し緊張しています。今回の事を言う事が果たしてブルーさんにとって…上手くかけませんが。 とつぜんの報告でびっくりしたと思います。あなたはあの時に話してくれた様に今、私について安心してくれていますか?私は反対の立場だったらと考えています。また、わたし自身も急な生活の変化に戸惑っています。 今後どうなるんだろうと。 彼は思ったより協力的です。焦らず二人でひとつひとつ色々な事をすすめていこうと思っています。 いつも気持ちを聞いてくれて感謝しています。 こんなに赤裸々に自分の事を語ったのは初めてです。 男女間の恋愛と友情について今後とも考えていきたいです。 私の近況はこんな所です。ブルーさんはその後、一時休学していると同級生から聞きました。心配しています。 おみやげの窓際に飾った綺麗な音色と音楽が今、風に吹かれてさらに美しくそよいでいます。 音楽好きなブルーさんの選曲は何時も今の私の心にぴったり。 結婚は、したけど彼は忙しい人なので意外にも夜は一人なんです。 これを気に児童文学の方を進めようと思っています。 もしまだあなたがこの交換日記を続けて貰えるのならこの前の続きの話しを送ります。「子供たちへのクリスマスのプレゼント」の童話の本の制作についてです。 最初のくだりです。 〈空から何かが舞い降りて来る〉 空から何かが舞い降りて来る。 年の終わりの12月の始め。 その日はグレー色の空だった。 ラジオではお昼過ぎから雪が降りますと、 DJが朝からかかり始めのクリスマスソングと 共にお喋りを始める。 とりあえずここまで贈ります。二人で共同制作する夢だった絵本。 まだまだ文章力がなくてブルーさんの足を引っ張っちゃいそうだけどお互いに忙しい中、時間を見つけて少しづつでも進めていければいいなと思っています。あなたへ挿し絵の良いインスピレーションになれば幸いです。 つづく…
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