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1 マリー・ロックハートの憂鬱
「今度こそ、お前を処刑してやる! 覚悟しろ! 不死身の令嬢──マリー・ロックハートよ!」
目の前にいる男は、重厚感のある鉄の椅子に私を座らせると、息を切らしながらそう叫んだ。
それに応えるように、周りにいる数人の男がすぐに私の手足を拘束した。
不死身の令嬢──この不本意な名は、いつの間にか周囲の人間につけられてしまった私の二つ名である。
こんな呼び名を、まだ十八歳のうら若い乙女につけるなんて、失礼極まりない。
私、マリー・ロックハートはこれでも一応、名家であるロックハート公爵家の令嬢だ。
この国──アージェント帝国の皇太子であるデューク・ハウエルズの許嫁だった私は、幼い頃より妃となるための教養を積んできた。
それなのに……ある日突然婚約破棄をされた上、酷い濡れ衣を着せられ、地下牢に投獄されてしまった。
まったく、何たる仕打ちだろう。
……まあ、全部想定内なんだけどね。
と言うのも。私は、自分の行く末を知っていたからだ。
早い話が、ここは私が前世で読んでいた少女漫画『孤独な令嬢は皇帝陛下に溺愛される』の世界なのである。
内容はタイトル通り、シンプルで王道なものとなっている。
コミュ障かつ重度の男性不信でなかなか縁談が纏まらなかったヒロインであるミレイユ・フィリスが、ひょんなことから皇家に嫁ぐことになり、夫になった皇帝のデュークに溺愛されるというシンデレラストーリーだ。
正直、この手の話はもうお腹いっぱいなので私はあまり気が進まなかったのだが、友人が「どうしても読んでほしい」としつこく勧めてきたため、渋々読破した。
その直後、不運にも交通事故に遭って死んでしまい、悪役令嬢であるマリーに転生し現在に至るというわけだ。
なぜ前世で読んでいた少女漫画の世界に転生してしまったのかについては、未だに謎なのだけども。本当に、なんでよりによってこの世界に……? という感じである。
正直、私はあの漫画が嫌いだった。
何せ、ミレイユは悲劇のヒロイン気取りな上、周りに流されっぱなしだし、皇帝は簡単に自分の許嫁を捨てるし、全く主人公カップルに感情移入ができなかったからだ。
読了後、腹いせとばかりにレビューサイトで低評価をしたのは内緒だ。
納得がいかないけれど、今さら嘆いても仕方がない。
というわけで……悪役であるマリーとして転生してしまったからには、なんとしてもバッドエンドを回避したかった。
本編では、物語の序盤でアージェント帝国の皇帝であるフィリップが崩御し、デュークは弱冠十八歳で皇帝として即位することになる。
そこから、マリーの人生は狂っていくのだ。
ある日、マリーとデュークが通っている学園にミレイユが編入をしてくる。
編入をした理由は、ある縁談が破談になり、その時の見合い相手が同じ学校にいて気まずくなったからだ。
デュークは、男性不信であるミレイユが唯一気兼ねなく話せる異性だった。二人は親交を深めていくが、デュークは皇太子である上、将来を約束した許嫁もいる。
その事実を知り、「自分の入り込む余地はない」と思い身を引いたミレイユだったが、その頃からマリーとその取り巻きたちによる嫌がらせが始まるのだ。
幼少期からデュークを慕っていたマリーは、ミレイユに対して嫉妬をするあまり、過激ないじめを繰り返すようになる。
それを知ったデュークは激怒し、マリーとの婚約を解消する。その時、デュークは逆上したマリーによって刺されることになるのだが……幸いにも、一命を取り留める。
物語の終盤では、マリーは皇帝に対する殺人未遂容疑で城の地下牢に投獄され、その後は処刑……という流れになっている。
邪魔者がいなくなったため、デュークとミレイユはめでたく結ばれるのだが、私は最初からマリーに感情移入していたせいか、この結末を素直に喜べなかった。
寧ろ、「何この胸くそ悪いNTR話……」という感想しか出てこなかったのである。
とにかく、作中ではこんな結末なので、私はミレイユと極力関わらないようにしていた。
デュークから婚約破棄を言い渡されれば、「ああ、そうですか。私のことなら、お気になさらないで下さい」と返し、にっこり微笑んで二人を祝福するつもりでいた。
それなのに……どういうわけか、罠にはめられたのである。
どうやら、ミレイユは、私がいじめなくても別の人間からいじめられていたようなのだ。
私はそのいじめのことすら知らなかったのだが、いつの間にか、自分がミレイユをいじめた主犯格ということにされていた。
挙げ句、私はシナリオ通りにデュークに対する殺人未遂容疑をかけられてしまった。
あの日──思いもよらぬ濡れ衣を着せられた日、私は校内でデュークに呼び出された。
そして、話をしている最中、突然意識がなくなり……気づけば、ナイフを握って立っていたのだ。
その現場を見られた私は、勿論現行犯で捕まり、牢屋に放り込まれてしまった。
恐らく、私はデュークにはめられたのだろう。
バッドエンドを回避したかった私は、何があっても困らないように、前世の記憶を取り戻した五歳頃から自身を鍛えることに専念していた。
女だてらに、幼い頃から剣術や体術を学び、ひたすらトレーニングに励んだ。
幸い、マリーの体は物覚えも良かったし、稽古の甲斐もあって今ではそこらの騎士や剣士より強くなった。
そんな私を、デュークはいつも面白くなさそうに見ていた。
あの男は、昔から私を妬んでいたようだし、これまでのことは全部彼の仕業とみて間違いないだろう。
「お前の強運っぷりは、散々目の当たりにしてきた。だが……今度は薬殺刑だ。いくら強運なお前でも、これは流石に回避できないだろう」
そう言いながら、男は注射器を手に取り、それを私の腕に近づけてきた。
今目の前にいる、黒い制服を着た男はこの国の死刑執行人の一人なのだが……私の処刑にことごとく失敗しているせいか、最早意地になっているようだ。
どうも私はこの世界に転生した際、人並み外れた強運を手に入れてしまったらしい。
そのお陰で、これまで何度も死刑を執行されたが、全て失敗に終わっている。
但し、私が強運を発揮するのはあくまで『自分の身に危険が降りかかった場合のみ』である。
その他──例えば、金運や恋愛運などといった運は人並みだ。
「いくぞ……」
その合図とともに、注射器の先端がちくりと私の腕に刺さり、わずかに痛みが走る。
少し意地悪がしてみたくなった私は、薬剤が注入されると同時に、藻掻き苦しむような動作をし、やがて頭を垂らしてみせた。
「効いた……のか……?」
男は注射器を持ったまま私から離れた。後ろにいる男たちも、不安そうな顔でこちらの様子を窺っている。
そんな男たちの様子を、私は自分の長い金髪の隙間から覗き見る。
「やった! ついに……ついに、死んだぞ!」
「ああ! やったな! 今夜は祝杯だ!」
少し間を置いて、周囲にいる男たちが歓声を上げた。
頃合いを見計らった私は、ゆっくりと頭を上げてこう言ってやった。
「……あら、ごめんなさい。今回も死ねなかったみたいです。実は私、小さい頃から自分を鍛えるのが趣味でして……昔から、色んな毒を少量ずつ飲んで、体を慣らしていたんですよね。そのお陰で、抗体が出来てしまったらしいんですよ。どうやら、毒薬程度では死ねない体になってしまったみたいです」
それを聞いた死刑執行人たちは一瞬で顔を引きつらせ、「貴様は化け物か!」「こんな化け物、相手にしていられるか!」「もう限界だ! 俺は降りるぞ!」などと口々に叫び、室内は阿鼻叫喚の巷と化した。
生まれつきの強運に加え、チート並みの武術の才能を発揮し、さらには毒薬に対する抗体まで持っている──自分でも、「これじゃあ、まるで化け物だな」と苦笑する時があるが、そのお陰で今も死なずにいられるのだ。
化け物と罵られても、こっちは法に触れることは一切していないわけだし……寧ろ、無実の罪で投獄したあっちが悪い。
別に気に病む必要はないし、私はただ堂々としていればいいのだ。
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