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三話 知らぬは製作者ばかりなり
藤井のいう通り、ワニは流行った。100日後に亡くなったし、長男を流行らせたし、なんならラコステは今も流行っている。
それらが流行っている最中、私たちは動画サイトに三本の動画をアップしていた。初めて上げた動画は、スマホを持った藤井と一緒に近所の市民センターの芝生広場で自転車の練習をした動画だった。
その動画はただ私がぎこちなく自転車に乗っている姿や藤井に後ろを補助してもらい(スマホは近所の友達を呼んで持たせた)走行して「はやい! はやい! やめっ! ……ばかっ! 離れるな、ずっと側にいろよ!」と片足から地面に転げ落ちて尻餅を着いた私が、思わず藤井に告白まがいな台詞を吐いた場面など。最後は私がポカリスエット片手に愚痴っている姿で終わる三分動画だった。思い返してみても恥ずかしい。
帰り際も藤井は「ムラカミさん、帰り道は自転車に乗って帰ってみようよ」と何故かスマホ片手にずっと私を撮っていたが、三分間の本編を見終わると、ラストにおまけと称して何度も片足を地面に着けながらぎこちなく走行する私を横に、褐色のいい自転車の軍団が追い越していく姿が撮られていたことが後になって判明した。
「最初の動画は千回再生、登録者数は五十人か……」
「すごいじゃん。五十人ってなかなかじゃない」
「……」
私たちがシュールな動画を撮ることに慣れ始めたそんな時、コロナの影響で自粛期間となって撮影は中止になった。
自粛期間中のある日、藤井からラインが来た。
『SNS始めた』
『ああ、私もやっとるよ。フォローしようか?』
『ちがう。ワニの』
「あー……ね」
卒論に向けて先行研究を読んでいた最中の事だった。
『宣伝で始めたんだけど、動画撮ったの送ってくれん?』
『一分ちょっとの短いやつ、たまにでいいけ』
私はスマホから部屋の壁に面したクローゼットに目を遣った。
『今、論文読んでるから。あ−−』
−−後で。そう打とうとした指先を止める。脳内はレジリエンスだのストレッサーだのこんがらがった論文から離れ、どんな風に撮ろうか、どんなことをすれば面白くワニが映るだろうか、そんなことを想像して体はそわそわしだして、落ち着かなくなっていた。
私は椅子から立ち上がるとクローゼットを開けた。薄暗い中は服が吊るされてカーテンのよう。その下、クローゼットの床の大半を占めている段ボール。私はそこからワニの着ぐるみを取り出して片足を入れた。
再び椅子に腰を下ろすと尻尾の部分がごわついて違和感があった。
スマホのカメラをセットして、右手の手袋を一旦外す。画面に表示された赤い点を人差し指で押して再び手袋をはめた。冷たい緑茶が入ったマグカップをカメラから見える位置に持っていく。視界が狭いため、パソコンに食いつくように画面を覗いて論文の続きを読んでいった。
停止ボタンを押した頃には十分ほどの動画が出来上がっていた。私はさっそくその動画をパソコンに送るため、スマホにUSBケーブルを繋ぐ。
『今から送るから、適当に切ってもらって』
先ほど撮影した動画をクラウド上に共有設定して藤井に送った。
『来た、あざす』
こんな風に私と藤井は自粛期間中も動画を作り続けたのだった。
SNSでの宣伝にも慣れ始め、やっと自粛期間が開けて暫く経ったある日。その知らせは突然だった。
『やばい、いまみろ、とまらん』
何度も震えるスマホ。マリンバで叩いたような柔らかい通知音で起こされる。寝ぼけ眼でスマホを開くと藤井から数件のメッセージが矢継ぎ早に送られて来ていた。
『どうが、みろ、あとえすえぬえす』
『やばい、なんで、え、やば、なんで』
『はやく、おい、おきろばか』
(怒ったスタンプ)
(怒ったスタンプ)
『編集してた私より起きるの遅いってなんだお前』
『喧嘩売ってんのか、はたくぞ』
「……こわっ」
余りの鬼気迫るメッセージに思わず寝起きの気怠い声が漏れてしまう。
言われた通り、動画サイトを開いて自身のチャンネルを見る。最初、再生回数二十回と減っていることに驚き、じっとその数字を眺める。やがて隣の漢字に気づいた私は「は?」と眼球が飛び出るほど瞠目してベッドから飛び起きた。
−−千回再生だった最初の動画が、気づいたら二十万回再生に達していた。
「は、え、は、はは……え?」
続けてチャネル登録者数を見れば、五十人だった数は七万人と膨れ上がっている。思わず顔を両手で覆うように拭う。
「え、こわ……」
吐きそうになって思わず咳き込んだ。胴から震えがとまらない。鼓動が激しく脈打つ。
藤井はメッセージでSNSも見ろと言っていた。バケツ一杯の未知数な出来事が私の後ろでスタンバイしていて怖い。先ほどぶっ掛けられた未知数のせいでぼんやりとした頭は冷水を浴びたように冴えきっている。
正座した膝元で湿った掌を拭う。震える指先でホーム画面に戻り、青い鳥のマークを押した。
こっそり鍵垢でフォローしていたワニのアカウントのプロフィール画面を覗く。
そこにはチェンネル登録者数同様、フォロワーが万人越え、 SNSにアップロードした一分ちょっとの動画に着けられた『いいね』はその倍に膨れ上って、今もなお天井知らずに伸びている。
『なんで?』
数分後、既読がついた私のメッセージに藤井が『ラジオ リツイート』というメッセージを送ってきて私は全て納得がいった。
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