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ふいの来客
今夜は祭りだ。杜の住人たちは、露店を出したり、神輿を手配したり、それぞれに忙しなく駆け回っていた。南の沼の河童たちが、奉納の相撲の稽古をしている。祭り好きの波山は、神輿の用意で声を荒げる。北の山のかげから顔を出した大入道は、祭はまだかと山々のあいだをうろうろしていた。杜の外れの狐狸の子供が、雀の涙ほどの銭を握りしめて準備中の露店を物色しているのもうかがえる。私はというと、特に何をするでもなく、馴染みの樹の上で法螺貝を玩びつつ、こうして祭りの成り行きを眺めている。
杜に一つある神社に、ここの神様は祭られている。神社はどちらかといえば外れの方で生活の場から離れているので、いつもは閑散としているが、祭りの時だけ賑やかになる。
杜が薄く西日に照らされていく。この景色が、私はこの上なく好きだ。どこからともなく妖が集まり、祭囃子が聞こえてくる。狸の腹太鼓とイタチの打つ拍子木を聴きながら、出店を順繰り見て回った。食べ物屋、簪屋、香を売る店…どの店も、杜の物から作られた品を商っている。
「今朝とれたばかりの山菜だよ!見ていっておくれよ!」
「雪駄に草鞋、下駄もあるよ!おーい、お兄さん!粋な一本歯なんかどうだい?お兄さんにぴったりだよ」
客引きの声で賑わう露店の中を、その活気を味わいながら歩く。祭りの空気は楽しげで、肌に心地よい。
知り合いの岩魚坊様の店が目に留まったので立ち寄ってみた。
「こんばんは」
「おぉ、来とったか」
「やはり立派な店構えでいらっしゃる。こたびも数珠をお売りに?」
「そうじゃよ、また滝壺の近くで質のいい岩を見つけてのう。その岩をちょいと分けていただいたのじゃ。近ごろ川も澄んでおる。神様のお恵みじゃ」
心底嬉しそうに話すので、こちらも嬉しくなった。
「それは良かった。岩魚坊様の石細工を楽しみにしておりますゆえ」
「そりゃあ嬉しいねぇ。その岩で作った数珠がこれでのう」
岩魚坊様が自慢げに、並んでいる数珠の一つを差し出した。透き通った石英につややかな雲母が混じった石が、綺麗な球に削られている。それがいくつも連なり、腕飾りや首飾りとしても美しいのではないかと思われた。
「本当に綺麗な石ですね。一ついただけませんか」
「おっ、一番客じゃな。お前さんには世話になっとるからのう、まけとくよ」
そんな、他愛ない話をしているときだった。幼い子供が無我夢中でこちらに走ってきた。とっさに両の手で受け止める。どうしたのかと尋ねてみたが、泣きじゃくって話にならない。よく見れば、それは人の子だった。
「誰じゃその子は?」
岩魚坊様も不思議そうに屋台から身を乗り出した。
「さあ…?人の子のようですが…」
里の子供が迷って入ってきてしまったのだろうか。私は身を屈めて、子供を落ち着かせようとした。
「どうしたの、話してくれるかい?」
ゆっくりと、怖がらせないように子供に尋ねてみた。
「迷子かのう?」
岩魚坊様が屋台から出てきた。子供は岩魚坊様を見るとまた泣き出した。
「わし、そんなにひどい顔しとるかのう?」
子供好きの岩魚坊様が残念そうに屋台に引っ込んでいった。
「うえぇ、ひっく、オバケが…!」
怖い、助けて、食べないで。子供はそんなようなことを泣きながら言い、ひどく咳き込んで黙った。
「それは怖かったね。大丈夫、ここには君を食べるようなオバケはいないよ」
私が笑って背中をさすってやると、子供は少し落ち着いたようだ。
「どうやってここに来たの?お家はどこ?」
「みんなとかくれんぼしてて…おまつりのおとがしたから、みてみたくなって…」
なるほど。一人隠れん坊からそれて杜へ入ってしまったわけだ。
「夕暮れ時にかくれんぼしたら駄目だ。教わらなかったかい?」
神隠しにあうから夕暮れ時にかくれんぼはするなと、人の子はよく言われるはずなのだが。そうやって引き合いに出されるのは正直心外である。
「子供の相手が上手いのう。大したもんじゃ。どれ、わしも怖くないぞお」
岩魚坊様が話しかけると子供は怯えて私にしがみつく。
「魚のお坊さんだよ」
「おぼーさん?」
子供が恐る恐る顔を上げたときには、岩魚坊様は禅宗風の袈裟を纏う僧侶に化けていた。
「ほんとだ!」
禅僧姿の岩魚坊様は、今度は袖で顔を隠して、魚の顔に戻って見せた。さっきまでの怖がりようが嘘のように、面白がって大笑いする子供。
「あはは!さかな!おぼうさん!さかな!」
すっかり機嫌を良くした岩魚坊様はくるくると人と魚の面を入れかえていた。
「人の子と話すのは久しぶりじゃのう。おっと、いかん。お嬢ちゃん、もうじきお天道様が山に沈む。お母ちゃんが心配するから帰りなさい。ほれ、送っておやり」
「はい。…お嬢さん、帰りましょう」
子供の手を引いて歩き出そうとしたが、子供は動かない。
「やだ!まだ遊ぶ!」
思わず苦笑してしまった。
「とは言ってもお嬢ちゃんや…」
岩魚坊様も困り顔だ。子供はいやいやとしゃがみ込んで私から離れない。
「困りましたね……でも、日暮れまでまだ半刻ばかり時間があります。少しならお祭りを見物させてあげましょう」
「お前が一緒なら心配ないかの。これもお役目じゃ、面倒見ておやり」
「やったー!」
はしゃいだ子供は私の手を握って早く行こうと急かした。
「それでは少しだけ、オバケの世界をご案内しましょう」
まずは神様に挨拶すべく、本殿に向かった。小さな境内は参道よりも静かだった。もしかしたら神様も、祭に行ってしまったのかもしれない。
禊も忘れないように、作法通りに挨拶する。子供は鐘を鳴らすくらいでいいだろう。子供は私の腕の中でガラガラと鐘を鳴らした。
「お晩です。おや、その子は…?」
聞き覚えのあるもの静かな声に振り返ると、鳥居の下に一つ目と唐傘がいた。二人とも一つずつの目で、見慣れない子供を不思議そうに眺めている。
「こんにちはー!」
子供は元気に挨拶した。
「はじめまして。僕は一つ目、こっちは唐傘お化け」
唐傘が挨拶代わりにぴょんぴょん跳ねる。
「め…ひとつしかないの?」
「うん。おかしいと思う?」
「うーん、ちょっとこわいなぁ」
「唐傘とあわせると、きみとおそろい」
そう言って、一つ目と唐傘は並んで見せた。
「ほんとだー!」
私が感心してそのやりとりを眺めていると、一つ目がこちらを向いた。
「もうお弟子さんを見つけたんですか?」
「そう見えますか」
一つ目は解せないという目をしていた。唐傘のほうは、一本足で子供と遊んでいる。
「実は人の子のお守りをおおせつかりまして」
「えっ、人ですか!先達さんが人の子を帰さないなんて、どうしたんですか?」
私は一つ目にことの成り行きを説明した。
「そうでしたか。せっかくだから、いろいろ見せてあげたらいいと思います」
「ありがとうございます。それではこのへんで。日暮れまで時間がありませぬゆえ」
その後は出店を見て回ることにした。さっきよりも露店が増えた。べっこう飴、金魚すくい、綿菓子、笛や竹とんぼなど、里の祭で見かけるような出店が軒を連ねている。しかしやはり妖怪たちの祭りだから、猫又が売る飴玉は玉虫色に光ってふわふわと浮いているし、金魚すくいの水槽には人面の怪魚が混ざっていた。そこには、人の祭と似ているようでどこか、人でない身からすれば心地よい空気が漂っていた。
「お兄ちゃん、あれほしい!」
子供が私の懐事情も考えずにあれこれとねだる。私はいいよと言ったりだめと言ったりしながら、気の赴くまま自由にさせた。鬼の屋台の前を通った時、子供が並んでいたビー玉にくぎ付けになった。透明のガラスの中に色の筋が入っていて、私も目を惹かれる美しいものだった。子供があまりにじっと見つめるから、鬼がビー玉の説明をしてくれた。
「お嬢ちゃん、それ気に入ったの。あたしが遊びで作ったんだ。中の色は、あたしの故郷の石を溶かして入れたのよ」
鬼の説明に、私も感心する。鬼の故郷と言えば…
「これと、これほしい」
「ふうん、きれいだね。いいよ」
私もビー玉が気に入ったし、思ったより高くはなかったから、二つ返事で買って持たせた。
もういくばくもなく、日が暮れる。波山たちの声が大きくなり、幽霊商人たちも騒ぎだした。祭りの本番まで、あとすこし。
「さぁ、そろそろ帰らないと」
日暮れまでに杜から出さなければ、二度とこの子を現世に帰せなくなる。子供がしがみついてきた。帰りたくないと、顔に書いてある。柔らかい髪を撫でて諭した。
「もう帰らなきゃいけない。ご家族が心配するよ。私が家まで送っていくから、安心して」
人の子を一人で帰らせるわけにはいかない。子供は名残惜しそうにうつむいていたが、分かってくれたようだった。子供を抱え、杜を抜けた。眼下には朱色に照らされた人の町がある。
民家の前について、子供を降ろした。
「おまつり、楽しかった」
「よかった。お嬢さんが楽しかったなら、私たちは嬉しいよ」
「ありがとう!これあげる!」
子供がポケットから取り出したのは、さっきのビー玉。緑の模様がきれいで、私も一番気に入ったものだった。
「くれるの、ありがとう」
うれしくなって夕日にビー玉をかざし、その色合いを楽しんだ後、大切にしまった。
「今度はいつ遊ぶ?」
そう無邪気に聞く。また遊ぶなんて、考えてもみなかった。もう会えないだろうし会わない方が良いとは言えなかった。
「そうだね……お嬢さんがまたあの杜を見つけられたら、遊ぼうか」
「じゃあ、また明日行くからね!」
その言葉に少し罪悪感を抱きつつ、風に乗って上空に飛び上がった。子供は何の疑いもなく、元気に私に手を振っている。
「さようなら」
親が玄関から出てくるのを見届けて、私も杜へ帰った。
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