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「あたしって、本当に恵まれてるわよね……」  奈美香(なみか)と別れてからも、エレナは答えの出ない問題を考え続けていた。  おかげで酔うに酔えず、行きつけのバーへと足を運んだのだ。なんとなく後味の悪い思いを消化できずにいたところに、透から声をかけられた。 「そういう風に仕向けてきたんだろ」 「仕向けた? どういうこと?」  自分が何かをしたのだろうかと、エレナは顔を跳ね上げる。 「恵まれてるって感じるってことは、ストレスがないってことだろ。でも、その自分が心地よい環境を作るのは自分でしかないんだよ。それができないやつは、生きにくい人生を送るのさ」 透の言葉には、説得力があった。 かの透も、自らの力で環境を作り上げた過去があるからだ。非力な子供ながら、養育者に向かない両親を切り捨てたのも透だ。有名大学への進学も、一流企業への就職も偶然ではなく、透が望んだように人生を運んでいる。 「透って、いい男よね……」 「はぁ?」 ホストクラブにこういう男がいたなら、奈美香も楽しかったのではないか。悪態の目立つ透だが、身内以外には紳士的に振る舞う人物だということも分かっている。 「ほら、バカなこと言ってないで、航が来たぞ」 透は店の入口に目を向けた。 すると、自分にそっくりな若者が、こちらに笑顔を見せていた。 「――あれ、エレナも来てたの?」 久しぶりに会った息子は、エレナではなく透へ尋ねた。航の中で自分より透の方が優先順位が高いことに、喜びと淋しさを感じる。 「偶然会ったところだ」 その心中を知ってか、透はエレナの隣を航に譲る。航は促されるまま、するりとエレナの隣に座った。 ただ隣に座っただけだ。それなのに、航がそこにいるだけで空気がからっと明るいものへと変わる。これは才能以外の何ものでもないだろう。 「ああ、そうだ。エレナおめでとう」 「何?」 「『 好きな女優ランキング』ランクイン。五年連続だって、すごいね」 と、まるで自分のことのように喜んで言う。 『嫌いな女優ランキング』は連続一位であることには触れず、『好きな女優ランキング』にランクインしたことだけを称えてきた。 「……ありがとう」 まっすぐな航の言葉は、少し感じてしまっていた淋しさを見事に埋めてみせた。それは航が愛しい存在というだけではない。裏表のない航の言葉には、相手の心をあたたかくする力があるようだった。 「……これか」 エレナの心の機微を読んで、さりげなく労る透と、持ち前の明るさでその場をあたたかく照らす航。奈美香の求めているものは、きっとこういうものだと腑に落ちる。 「エレナ?」 急に考え事をはじめたエレナを訝しんで、航が声をかける。しかし、エレナの耳には我が子の言葉も入って来なかった。 「ありがとう、二人とも。いいこと思いついたから帰るわ。ここのお代は、あたしにつけといてちょうだい」 そう言って二人にキスをすると、エレナは席を立つ。カウンターに残された二人は、ぽかんとして自分を見送っていることだろう。もしかしたら、また透に振り回すなと叱られるかもしれない。 けれども、母と息子の交流など、物足りないないくらいがちょうどいい。そうでないと、必要以上に欲してしまいたくなるのだから。 それから程なくして、エレナはレンタル彼氏presageを始めるのだった。そこには、女性の心を満たす相手として、透と航の姿があった。 【終わり】
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