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二
エレナは息子に一度も『ママ』と呼ばせたことはなかった。便宜上、母だと名乗ることはあるが、母と名乗ったことで子供が自分の所有物になるようで、親子関係を誇示するのは嫌だった。
なぜなら、それはエレナ自身がずっと、母の所有物として苦しんできたからだ。
キッズモデルの頃のエレナは、仕事が楽しいと思ったことなど一度もない。しかし、芸能への執着が尋常ではない母の監視の元にあって、手を抜くことなど許されなかった。モデルの仕事は嫌で嫌で仕方なかったが、雑誌やCMに出演すると母が喜ぶので、母の賞賛を得たいがために頑張っていただけだ。
本当は逃げてしまいたかった。
カメラの前で楽しくもないのに笑うなんて、まだ子供のエレナには理解ができなかった。けれども、母がエレナに優しくするのはいい作品が出来た時だけだったので、褒めて貰えるよう一生懸命にならざるを得なかったのだ。
やがて、キッズモデルからティーンモデルへ成長すると、撮影現場に母が付いて来ないことが増えて来た。
手綱が緩んだチャンスを逃すエレナではない。カメラマンとモデルという間柄で、長いつき合いのあった似鳥譲二の元へ押しかけ、居候。既成事実を作って、半ば無理矢理結婚を迫った。
やがて生まれた息子はとても可愛く、母の二の舞にはなりたくはない一心から、エレナは息子に『ママ』と呼ぶのを禁じたのだ。
親子である以前に、対等な人と人だ。
だからエレナは、航に対して母の顔など見せたことがない。特に航が幼い頃は、むやみやたらと甘やかすこともして来なかった。もしかしたら、そのことで淋しい思いをしてきているのかもしれないが、それが原因で嫌われるのであれば、仕方ないことだと考えていた。
――親しか愛せない子供にはしたくない。
子供が成長をした後に、支えていくのは親ではない。だからこそ、親元を離れた後に、伴侶や友人としいい関係性を作れるような人に育てて行くのが親の務めだと信じていた。
息子も成長し、そろそろ人生のパートナーを得てもおかしくない年頃になって、そんな自分の考えは間違いではなかったと思う。
「いい子に育ったでしょ」
「あんたの手柄みたいな言い方だな」
と、透は憎らしく鼻白む。
「あたしの手柄よ。反面教師だもの。おかげで強くて優しい子に育っちゃって……」
「そういう意味なら、大した功労だな」
いつも険しい表情の透は、珍しく表情を緩めた。
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