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外は夕暮れを少し過ぎて、夜に向かっていた。
紗奈は目に涙を溜めて名作、名作…と制限された語彙で私に訴える。
「内容は聞かないけど、どうだった?」
ハンカチで目元を拭いながら掛けられた問いに私は背を向けていた映画館を振り返り、また紗奈に向き直る。内容は言えない。では『名作』だったのかと問われると、素直には頷けない。
私が観たのは暗闇だった。
音も光もない静寂。
ふと思い出したのは、紗奈の飲んでいた甘い紅茶。白い砂糖が薄茶色の海に溶け合う、穏やかで美しい様。そこから先は何も覚えていない。黒い帷が晴れた眼前には、上映前の平凡な光景が広がっていたのだ。
沈黙する私を気遣ったのか、紗奈はやっぱりいいやと掌を横に振る。
「でも、一緒に来られて良かった!なんか来る前より顔色良くなってるから気分転換は出来たみたいだしね」
美味しいご飯でも食べて帰ろうかと笑う紗奈に釣られて、自然と口角が上がる。言われてみれば確かに、頭が少し軽い気がする。
内容を覚えてないならそんなに深く考えなくても良いかと思ったその時、バタンと何かが倒れる音がした。振り返ると、映画館のスタッフだろうか。高齢の男性が倒れたイーゼルを持ち上げようとしている。私は咄嗟に走り出していた。紗奈にそこで待っててと声をあげたのも、きっと咄嗟の判断だ。
「ああ、申し訳ございません。片付けようと思ったのに手が滑ってしまいまして」
屈んだ男性のジャケットの胸元には映画館の屋号が印字されたバッジが付けられていた。
二つ目のお願いは覚えていたが、問わなければ良いのだろうか。私はペナルティも覚悟の上で口を開く。
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