ウタうたう龍

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ウタうたう龍

 父が死んでから、どれくらいの時が経ったのでしょうか? すっかり忘れてしまいました。  罰当たりと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそう思っておりません。  父が死んでから、父が残した田畑を耕したり、祖父母の世話をしたり、毎日疲れ果てて直ぐに寝てしまうような忙しい日々を送っているのです。忘れてしまっても仕方ない、と私は思っております。  父を好いていなかった、なんてことはございません。父のことは心の底から尊敬していましたし、とても大事で大好きな父にございました。 「母上、今日は天気がいいので一緒に外に行きませんか?」 「……行きません。真牛(もうし)一人で行って来てください」  天気のいい日はこうして母を外に連れ出そうと声をかけますが、母は必ず嫌がります。一度、無理矢理連れ出そうと引っ張ったこともありましたが、ぼろぼろと泣かれてしまい諦めました。  私は毎日太陽の下で動いているので肌は焼ける一方ですが、母は家の中から一歩も出ていません。生きているのか疑問に思うほど青白い肌をどうにかしたいのですが、今の私には知恵も力も足りないのです。  母は昔からとても静かな人でした。ですが、今ほどではありません。  母はこの村の人ではなく、昔は首里で暮らしていたそうです。首里城、それが母が生まれ育った場所。母の父、私にとっては祖父に当たる方は尚泰久王(しょうたいきゅうおう)と呼ばれていた方だと聞いております。  私はそういった類のものに疎いため詳しくは覚えておりませんが、兎にも角にも、この国の王様の娘。母はこの国の王女だったそうです。とても身分の高い方ということです。  王女として首里城で生まれ育った母ですが、首里城から逃げ出してこの地に身を隠すことになります。 「真牛! こっちはどうすればいい?」 「そこはですね」  父が残してくれた田畑はとても広く、一人で耕していては日が暮れてしまいます。  母は家から出てきませんし、元王女、父が生きていた頃からこういった力仕事をしている姿を見たことがありません。祖父母も同じ敷地内に住んでおりますが、もう腰が曲がってしまっています。そんな祖父母に力仕事など頼めません。  なので、村の方々に頼んで毎日誰かしらに手伝って頂いております。  今日はカマドさんという女性の方が手伝いに来てくださいました。本当はもう一人来るはずだったのですが、不幸があったらしく、今日はカマドさんと二人です。 「カマドさん、少し休みましょう」  お昼ご飯は用意してあります。本当でしたら賃金を渡したい気持ちなのですが、村の方々が嫌がるのでご飯という形でお礼しています。 「なぜ、村の方々は賃金を受け取ってくれないのでしょうか」 「そりゃ簡単な話、お金を貰うほどのことはしてないってことでしょ?」 「ですが、一日こちらの田畑を手伝って頂いていてはご自分の家のことが何も出来ないのですよ?」 「大丈夫、真牛が気にすることじゃない。私らは真牛を手伝いたくて手伝ってるの。それに、真牛が用意してくれるご飯めっちゃ美味しいからそれで十分!」  カマドさんは私とそんなに歳が変わらないはずです。それなのに、いつも姉のように優しい言葉をかけてくれます。 「真牛って、なんで誰にでもその口調なの?」 「と、おっしゃると?」 「この前、村の悪ガキたちにもその口調だったから不思議に思って」 「意識したことがありませんでした……」  なぜ、と聞かれても私自身無意識で喋っている言葉なのでどう返答すればいいか困ってしまいます。  幼い頃から……あっ。 「母上が礼儀作法、口調も含めとても厳しかったのです」 「あぁ、なるほど。真牛のお母さん(アンマー)は王族だったんだもんね。納得」  村の方々は母の身分について知っております。死んだ父も含め、母がこの村に来た時から身分を知った上で、この村に迎え入れて下さりました。  母は首里城から逃げ出して、この村にたどり着きました。この村を目指していたわけではありません。偶然この村にたどり着き、偶然村の方々が母を助けてくださいました。 「それにしても、金丸(かなまる)尚真王(しょうしんおう)も何思って玉座にいるんだか」 「カマドさんは今の王様が嫌いなのですか?」 「嫌いってわけでもないけど、好きではない。真牛だって同じでしょ?」  同意を求められてしまいました。何と答えればいいかわかりません。 「金丸が叛乱なんて起こさなければ、真牛だってこんな方田舎で苦労することなかったんだから」  これは皆様がよく私に言う言葉です。  昔はこの言葉を言われるとあからさまに態度に出てしまいましたが、今では流すことができるほど大人になりました。 「王家の血を引く真牛が田舎で太陽の下田畑を耕してるなんて可哀想に。私たち村人はみんなそう思ってんの」  これが村の方々が母をこの村に匿ってくださった理由です。  可哀想という気持ち、同情です。  私からしたら同情なんて気持ちを向けられる覚えはないのですが、一々反論していては私自身、そして母の首まで締めてしまうことになります。ですから、笑ってただ受け流す。これが正解なのだと学びました。  こんな気持ちの時には歌うに限ります。田畑では毎日同じことを繰り返します。村の方々も私も毎日同じでは飽きてしまいます。  私は飽きた時も、あまり気持ちが良くない時も、何かあったら歌うようにしております。 「真牛の美声はいつでも聴き惚れちゃう」  琉球独特の歌謡を琉歌と呼びます。国が違えば字数も名前も違うと父から聞いたことがあるのです。大和(ヤマト)では和歌という歌謡があるそうです。  私は幼い頃から琉歌がとても好きでした。でした、と言うのはおかしいですね。今でもとても好きです。  幼い頃は父が教えてくれた琉歌ばかりを歌っていましたが、大きくなった今では自分で詠んだ琉歌を歌ったりもします。とは言っても、自分で詠むのはあまり得意ではありません。大半は父から教えてもらった歌を歌っています。 「真牛の美声は隣村でも有名で、その村人たちったら、真牛が歌えば鳥たちまで飛ぶのを忘れて聴き惚れるほどだーって言ってたの」 「それは、嬉しいですけど……照れるばかりですね」 「そんな風に言われるぐらいなんだから! もっと自信いっぱいに歌えばいいのに」  歌うのはとても好きです。歌ってる時は何も考えなくていいので、できることなら四六時中歌っていたいと思うほどです。  ですが、村の方々が私のことをあちらこちらで話してしまうため、最近は歌うのを少し躊躇ってしまいます。  母は首里城から逃げ出した王女なのです。今の王様は母やその血族たち、第一尚氏と呼ばれる王族の方々を惨殺したのです。  そんな惨事から逃げ出し、ひっそりと暮らす母の邪魔はしたくないのです。  もし、母が今の王様に見つかってしまったら。母や私の命だけではなく、母を匿った祖父母や村の方々まで殺されてしまうかもしれません。 「母上、体調は大丈夫ですか? 一層食が細くなっていくばかりです。食べたくなくても食べてくださいませんか?」 「……食べたくありません」  日が沈む前にカマドさんには帰って頂きました。カマドさんだけに限らず、手伝いに来てくださった方はいつも同じ時間に帰っていただきます。  口にはしませんが、母は夜が苦手なのです。暗さを怖がるのです。そんな母を一人にしておくわけにはいきません。 「ですが母上、私は「お願いです。母のことは気にしないでください」  父だったら何か上手い言葉を返せるのでしょう。  父がいた頃の母に戻ってほしい。ただその一心なのですが、母に戻る気配はありません。戻るどころか、どんどん静かになってしまうばかり。私が不甲斐ないから、なのでしょうか。 「……母上はこの村がお嫌いなのでしょうか?」  祖父母の家を片付けている時、昔話をしている二人になら聞けるかもと思い恐る恐る聞いてみます。 「真牛はこの村が嫌い?」  祖母の優しい声は震えているように聞こえます。 「いいえ、まさか。嫌いだなんて思ったことがありません。私は大好きなこの村で生まれ育つことができている幸せ者です」 「……もうそろそろ、真牛も知らなければいけない歳になったらしい」  祖父はいつもと変わらないゆっくりとした口調で話を始めます。  何ごとなのでしょうか? 祖母の様子が明らかにおかしいのです。祖父の顔も曇っていくばかり。 「真牛、あなた様は……」  祖父から聞かされたのは私の出生の話でした。  私が父や母から聞かされた話とは全く違います。 「それは……本当、なのですか……?」 「えぇ、その通りにございます」 「母上も父上も……私と血の繋がりがないのですか?」  言葉にするのはとても恐ろしいことです。  言葉にしてしまっては、もう後戻りができない。そんな気がしてしまい、祖母と同じように声が震えてしまいます。 「……母上と話をして来てもよろしいでしょうか?」  祖父母の家の片付けは終わっていません。あと半分は残っています。ですが、今は片付けよりも大事なことがあります。  祖父母は行っておいでと背中を押してくれました。 「母上、聞きたいことがございます」 「……なんでしょう」 「私は母上の子ではないのですか?」  母上は顔色を変えることなく私から少し離れると、静かに頭を下げます。 「その通りにございます。あなた様の父上は第一尚氏最後の国王となられた尚徳王(しょうとくおう)。私はただの乳母にございます」  第一尚氏、それは前の王様の血族たちを表す言葉にございます。  そういった類のものに疎い私ですら、知っている言葉です。  今の王様は第二尚氏と呼ばれる方々。第一尚氏の血族は敵にあたります。 「金丸は王となり名を改め、尚円王(しょうえんおう)となりました。金丸が叛乱を起こした際、王妃様に頼まれて私は王女様を連れ出しここにたどり着きました」  確か今の王様の名前は尚真王だったと思います。尚真王は金丸改め、尚円王の息子。 「私を王女としておけば、万が一見つかった時に私を囮にして王女様を逃がせる。そう思い、嘘を付いておりました。大変申し訳ございません」 「……父上が死んでから、どうして母上はこのような態度をお取りになっていたのですか?」  母は頭をあげようとしません。私の顔を見ずに、ずっと、頭を下げて下を見たまま。 「私一人でどうしたら王女様をお守り出来るのか。そして、母と偽る続けることにも限界を感じており、接し方に悩んでおりました。ですが、真実を知られたのでしたら王女様の言う通りに致します」  王女様、私は王女なの……? 母にとって私は王女でしかないのでしょうか? 「……第一尚氏だとか、父が王だったとか、そんなことは知りません」  私はこの村で生まれ育ちました。生まれてはいないかもしれないですが、私の記憶の全てはこの村の中にあります。詰まっているのです。私の頭の中に首里城だとか王様だとか王妃様だとか、そんな記憶は一切ありません。 「私は真牛です。この村で育った真牛なのです。私の父上は死んでしまったこの村の人で、母上は今私の前にいる方だけなのですよ!?」  母は私が声を荒らげたことにびっくりしたようです。下を向いていた頭をやっと上げてくれました。母の目は潤んでいます。 「私の母上は一人だけです。記憶に残っていない人を母と呼ぶ気はありません」  母の手を握るとその細さに驚いてしまいます。少しでも力を入れたらぽきりと簡単に折れてしまいそうなほど、とてもか細く、弱い。 「……と、私はそう思っているのですが……母上は私のことをどう思われますか……?」  最後まで強いままで意見を通せば良かったのですが、どうにも、私は小心者のようです。 「……王女様なのです、あなた様は王女様。私とは住む世界が違う。自分自身に何度も、何度も、そう言い聞かせて来たのです」  母の声は消えてしまいそうなほどの小ささですが、いつも楽しげに聞こえてくる村の方々の声も、鳥のさえずりも今は聞こえてきません。  母の小さな声だけが、私の耳にはっきりと聞こえてくるだけ。 「それなのに……そのようなことを言われてしまっては……押さえつけてた欲が湧き出てきてしまうではありませんか……!」  あぁ、これ以上は言葉にしなくてもわかります。母が今どんな気持ちでいるのか、湧き出てくる欲とは何か、言わなくたって良いのです。  今はただ、母の隣で慰めるだけ。私はそれだけで満足することができてしまいます。 「先ほど言ったばかりではありませんか。私にとっての母上は一人だけです。私はこの村の真牛でしかありませんから」  父が死んでから、母とあまり話すことはありませんでした。ですが、今からは互いに少しづつ歩み寄ってみようと思います。  それと、明日から母も田畑を耕してみると言っていました。少し心配ですが、私は見守ってみようと思います。  私たち親子はこれでいいのです。今のこの距離が、私たち親子にとって最適なものだと信じています。  私は今日も明日も変わらずに、唯一の母と共に静かに楽しく過ごして、琉歌を歌えれば、それだけで満足なのですから。
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