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「保冷用のエコバックを常備してる人、初めて見ました」
「そう?結構便利だよ。いまでこそ偉そうにスーツ着て仕事してるけど、最初は店舗で研修してましたから」
熱帯夜とまではいかないものの、今夜も寝苦しそうだ。さっきは寒いと感じたエアコンの冷風が心地いい。
時間帯のおかげか値引き商品が多く、肉や魚をいくつか買ってしまった。冷凍庫に入りきるだろうか。次になにか作ってあげる機会があれば、魚料理もいいな。
ここから、会社のある大通までは30分弱。到着は21時ごろになりそうだが、東はまだ残業しているだろう。適当なところで下ろしてもらってそのまま会社に戻って──。
「つばきちゃん、家はどこ?」
「西18丁目の辺りです。でも、会社に戻ろうと思うので、」
「ここから先はプライベートだね。ご飯、一緒にどうですか」
赤信号が灯り、ゆっくりと減速して停車する。ほっとしたそばから顔が強張ってしまう。予想していなかった、わけではなかった。打ち合わせ終わりに二度ほど、「今夜どうですか」と誘われたことがあったから。
用事があって、と絞り出した声は情けないほどに掠れていた。相変わらず流れ続けるグルービーな洋楽に息が詰まりそうになる。車の中とは、これほどまでに閉塞感があるものなのか。
「用事、ね。あの子犬くんと?」
信号が青に変わる。郊外から札幌の街中へ、賑やかな光に吸い寄せられるように向かっていく。外を眺めるうち、無意識にシートベルトを強く握っていたことに気がついて、慌てて太腿の上で拳を作った。
「子犬、って」
「つばきちゃん、大丈夫?遊ばれてない?」
胸の真ん中より少し左奥──きゅん、とするのとは違うところ。そこが鈍く痛んで、一瞬、息をうまく吸えなくなった。雲の上を泳いでいたのに、突然、奈落の底まで突き落とされたような感覚に陥る。
「どういう、意味ですか」
「心配してるんだよ。東さんはきっと、つばきちゃんより一枚も二枚も上手だから」
「……そんなこと」
「分かるよ。あの人、甘え上手だろうしとっつきやすいからモテるでしょ。一番女泣かせなんだよね、ああいうタイプが」
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