#7 恋に落ちる真夏の夜更け

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──Side 隆平  ──女の家に上がって、大人しく飯を出されるのを待ってるなんて、初めてじゃないか?  だいたい、やることなんていつもひとつなのだ。ひとたび部屋に足を踏み入れれば抱き合うのもキスもおざなりで、目的に向かって互いを昂らせていくのみ。そこにあるのはただの動物的な興奮だ。こんなふうに、相手の一挙一動に心臓を捻り潰されるような気持ちにはならない。 「ねえ、離してくれないと準備できない」  いつもとは違った、少し鼻にかかっているような甘えた口調。こんな話し方、職場では絶対にしない。「黙ってればクールビューティー」なんて言われるくらいだ。見た目は地味にしているくせに気が強くて強情で、男ウケとは無縁。可愛らしさなど微塵もない、はずなのだが。 「やだ」  小さなダイヤのピアスがくっついた耳朶を食むと、「やっ」と彼女の声が跳ねた。耳とうなじがほんのり紅くなる。子どもみたいなこと言わないで、と呟いた声には力がない。そこに唇を押し当てようと思って──やめた。自分で自分の首を絞めることになりそうだから。  ──くそ、マジで、すっげえ可愛いな。  一瞬、このまま抱き上げてリビングまで連れていき、ソファーに押し倒す妄想で頭がいっぱいになる。 そんなことをしたら、今度こそ無理やりにでも「大切なもの」に手を出してしまいそうだ。あのとき佐野さんから電話が来なかったら、俺は途中で止まれていただろうか。 「ご飯、いつまで経っても食べられないよ。いいの?」  俺にがっちりホールドされながらもマリネを盛りつけていく手際は見事だ。真っ赤なパプリカを摘んで口に放り込むと、甘酸っぱさと爽やかな香味が口中に広がった。 「もう、行儀悪い」  彼女が唇を尖らせたところで、もう一度それを奪った。「パプリカの、味」──きょとんと呟いた顔も、職場では見せないものだ。 「いま、食ったからな」 「邪魔するならあっちに行っててよ。さっきの肉巻き、冷めちゃう」  せっかく作ったのに、と悲しそうに目を伏せる顔も。ひとつひとつがこんなに可愛いなんて反則だ。全部、俺だけに見せる顔ならいいのに。
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