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「荷物あるだろうから迎えに行くわ。7時半な」
大丈夫、と言う前に電話が切れてしまった。昨夜のことだ。その言葉のとおり、マンションを出ると白いSUV車が停まっていた。どこに乗ればいいかとまごつくわたしの手を引いて、「早く乗れよ」と彼が当たり前のように助手席のドアを開けた。今朝のことだ。
どうやら、遠出だからと理由をつけて自家用車を使う許可を取ったらしい。社用車ならまだしも、自家用車なんて完全なプライベート空間だ。ましてや助手席に乗せられているなど、緊張と幸福感で倒れてしまうのではないだろうか。
「函館営業所って行ったことあるか?けっこうでかいんだよな」
「ううん、道南の方は一度も。前は帯広にいたから、道東とオホーツクはだいたい」
「そうか。俺はずっと本社だからなあ」
「異動希望出してみるとか」
「いまさらかよ。地元の近くとか行きたくねえぞ」
「地元、どこだっけ」
「道北のド田舎。もうあそこじゃ暮らせねえわ」
他愛もない会話をしながら窓の外を眺める。淡い雲がかかった空の下に広がる街並みは、浅く広い。もうすぐ札幌を出るところらしいが、高速道路に乗ると、いまどこを走っているのかさっぱり分からない。
ここから函館までは3時間半。今日の昼飯は高瀬が決めていいぞ、と言われたので、あの有名なハンバーガーショップに決めた。
メインは午後二時からの研修会で、函館営業所で行われるものだ。明日の午前中もお邪魔して打ち合わせをし──だいたい、本社にああしてほしいとかこうしてほしいとか、要望と愚痴の狭間みたいな話を聞かされる──、午後は取引先の函館支社や競合企業を訪問する予定だ。
「今日は、やっぱり飲み会?」
「いや、かわしといた」
「え、どうして」
「……ふたりで、なんか食いに行こうと思って」
車内に流れているのは、音楽配信サブスクのプレイリスト。タイトルは「夏ドライブ」らしい。小さな声とアップテンポなラブソングが重なって、不意打ちに胸が高鳴る。
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