#7 恋に落ちる真夏の夜更け

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 函館という街には、どこか現実離れしたイメージを持っている。  宝石箱みたいな夜景、海に向かって伸びる坂道、北海道のどこにもないような歴史的建造物、レトロでもの寂しい街並み。大好きな街だ。もし恋人ができたなら行ってみたい、と思っていたこともある。近所を散歩するように、あてもなく手を繋いで歩いてみたいと。  その願いがこんなふうに叶うなど想像したこともなかった。彼は恋人ではないし、これは旅行ではなく仕事だけど、それでも、自分を取り巻いている非現実的な風景に浮き足立たずにはいられない。  気になることがある。訊きたいこともある。脳はあれこれと小難しいことを考えたがっているのに、身体が言うことを聞かない。この高揚感とときめきに身を任せるように、汗ばんだ手を握り返してしまう。 「あれ、なんかやってるな。祭り?」 「ほんとだ。夏祭り、的な?」  営業所を出たのは17時ごろだった。まだ明るいから少し足を伸ばしてみるかと誘われ、市電に乗って函館駅前にやってきたのだ。  営業所も宿泊するホテルも五稜郭の近くということで、本来であれば近くでお店を探す予定だった。しかし、どうもあの辺は「函館感」が薄い。がっしりと聳え立つ白い五稜郭タワーが見えなければ、ごく普通の繁華街だ。  ──観光しに来たわけじゃないもんね。仕方ないかな。  東に提案されたとき、そう考えていたのが口に出てしまったのかと焦った。「いいの?」と返すと「せっかく観光地に来てるんだから、少しくらい観光しないと勿体ないだろ」と微笑まれ、彼も同じことを考えていたんだ、と嬉しくなった。 「見てくか。ビール飲みたくね?」  手が離れたのは市電に乗っている15分ほどの間だけだった。降りた途端に「無難に赤レンガ倉庫?それとも、坂上ってみる?」と無邪気な笑顔を向けられて、心臓が爆発するんじゃないかと心配になった。スーツとジャケット姿じゃなかったら、完全にデートだと勘違いしてしまいそうだ。 「祭りなんていつぶりだろうな。大学……いや、高校かも」 「たぶん、わたしも」 「うわ、すげえ。焼きそばとかたこ焼きとかクレープとか、エモいな」  子どもみたいにはしゃぐ姿が可愛くて、つられて笑ってしまう。さっきまできりっとした顔をしていたのにな。昇進してからは特に、うっかり「素」に戻らないように細心の注意を払っているように見える。
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